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蒐集家、団結する 第三章 八、蒐集家

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 ライニアから無事に戻ってきた翌日の夕方、「早二野」の面々は揃って「七分咲き」へ赴いた。暖簾の出ていないことから店はやっていない、やっているなどと言い合っているうちに、苫小牧が顔を出す。どうやら開店の時間が来ていたと気付いていなかったようだ。
 店に入ると、カウンター席に折り畳まれた新聞が置かれていた。椛がよく見てみたいと思ったそれは、暖簾を掛け終わって店へ戻った苫小牧に片付けられる。
「お帰りなさい。ライニアへの旅は疲れたでしょう? 今日は特別に、サービスするわ」
 そう告げられるなり、椛は腰を下ろした席で拳を突き上げた。そしてライニアでの「武勇伝」を語りだす。途中で仲間たちの突っ込みや呆れ声が入りながら、長い話は続いた。
「――でさ、苫小牧さん。あたしたち、これからも蒐集家やるって決めたんだよ。世界中――どんな世界からも、盗まれた人のものを返してあげるの!」
「おれの実家にある名物蒐集にも協力すると言ったの、忘れるなよ?」
 望みを叶えた白神も、また新たな目標へ進むため「早二野」で動くつもりでいる。そういえば治が蒐集家をやめるかもしれないと言っていたのを思い出し、慌てて椛は真意を尋ねた。本当に「早二野」を抜けてしまうのか、切なる問いに治は目を逸らして答える。
「……どうやら、俺のやりたいことを果たすには時間が掛かりそうだからね。もう少し付き合うよ」
 それで彼ともまた一緒に蒐集できると知って、椛は歓声を上げた。一人で盛り上がっているのを、隣に座る真木から窘められる。彼女は相変わらず、今後も自分や「早二野」のために依頼の請負や情報集めなどを行うという。こうして頼もしい仲間の揃うことが、椛には何より嬉しかった。
 頼もしいといえば、苫小牧も忘れてはいけない。団体の名前を付ける参考を示してくれたり、新聞を見せてライニアの様子を教えてくれたりと、恩は尽きない。いっそ「早二野」に加えようか考えて、カウンターの向こうにいる彼女がいつもと違うことに椛は気付いた。
 キャベツに入れていた包丁が、途中でぴたりと止まっている。顔はわずかに俯き、眉もいくらか吊り上げて、周りを構わずただ物思いに耽っているようだった。椛が声を掛けると、女将は我に返って作業を再開する。そして塩だれキャベツをあっという間にこちらへ差し出した。
「それで椛、今月の生活は大丈夫なの? あの雑貨屋、全然人が来ないでしょう?」
 食事を口に運ぼうとして、真木の痛い指摘に手が止まる。確かに今の生活は厳しい。あの雑貨屋で得られる収入など、月にいくらだろうか。昔に働いていたころの貯金を崩しているが、それもいつかは尽きかねない。安定した職に就けば良いとは薄々分かっているものの、やはり会社で働くということに椛は抵抗があった。否応にも思い出したくない記憶が再生されそうになり、体に寒気が走る。そうこうしているうちに、箸からキャベツが虚しく落ちた。溜息をついて片付ける真木に、椛は正直なことを明かす。
「うん、ぎりぎりだけど……やっぱりあのお店は続けていきたいなぁ……」
 会社に行きたくないというだけではない。母が大事にしてきた店を、自分も守りたかった。そして数少ない客が来た時は、精一杯もてなしてやりたいのだ。
「しかしまともな収入も得ずに蒐集家をやろうなんて、我らがリーダーの今後が心配だねぇ。蒐集とは関係ない所で、餓死するんじゃない?」
「怖いこと言わないでよー!」
 治の言葉に不安を煽られ、椛は咄嗟に噛み付いた。一方で心臓は大きく騒ぎ、彼の言う通りになりかねないことを危惧している。さすがに空腹で蒐集を出来ないことは避けたい。かといってどうすれば良いか分からず、椛はテーブルに額を付けて唸り声を上げた。今後の悪い想像だけがぐるぐると巡る中、頭上から救いの声が降り掛かる。
「それなら富岡さん、このお店でバイトしてみない? 開店前の仕込みだけで良いから」
 すかさず顔を上げ、椛は正面にいる女将を見る。彼女には「楽土蒐集会」を倒すため世話になってきた。この人なら、信頼できる。無理に遅くまで働かせたり、やたらと失敗を指摘したりすることはないだろう。即座に心を決め、椛は椅子を蹴倒さん勢いで立ち上がった。
「苫小牧さんなら、安心だよ! これからよろしくお願いします!」
 突然の事態に唖然とする仲間も気にならず、椛は頭を下げる。いったん座らされてから、契約にまつわる話に入った。これまで従業員を雇ったことがないという苫小牧は、それでもてきぱきと取り決めを定めていく。そして早速翌週から、この店で働くことになった。
「そういえば、ライニアのほうはどうなったんだ? 女将、確か新聞があっただろう」
 何気なく口を開いた白神に応え、苫小牧は奥の部屋へ引き返して「ライニア日報」を持ってくる。渡されたそれをテーブルに広げ、四人は紙面を一斉に覗き込んだ。ページがめくられる度、椛は手から温度が抜けていくのを覚えた。将来の不安とはまた別の焦燥が増す。
 記事には崩壊した「楽土園」のことが記されていた。それにまつわる人々の反応は、椛が「楽土蒐集会」を倒そうと志した中で見過ごしてきたものだった。もうすぐ完成するはずだったのに残念だ、博物館がどんなものか知りたかった、世界の色々な作品を見てみたかった――。新聞が畳まれても、椛は紙片を固く握っていた。唐突に、喉から絞り出したようなか細い声が漏れる。
「苫小牧さん、これってまた読む?」
「一応取っておくつもりだけど。どうかしたの?」
 椅子から身を乗り出した椛に、両隣の仲間たちが驚きを示す。それも気にせず、椛は新聞を手に女将へ申し出た。
「この新聞、もらってもいいですか? ライニアのこと、もっと知りたくって」

 冷たくなってきた風の吹く中、椛は見覚えのあるビルを通り過ぎようとして足を止めた。二週間前に終わった「楽土蒐集会」の東京支部だと真木に聞かされ、ここに来たこともあったと振り返る。今は空きビルとなり、寂しい雰囲気を放っている。不意に「ライニア日報」の記述が蘇り、椛は手に抱えた箱を持ち直して歩きだした。自然と視線が下がり、箱の蓋に目が行く。
 四人で蒐集した品を先ほど返却しようとしたが、持ち主は姿を見せなかった。急に訪れた自分たちを怪しみ、インターホンでやり取りをするだけで突き返されてしまったのだ。真木から情報を聞いただけで意気込み、相手の頼みも得ずやったのが良くなかったか。「だから『天使』を目指すなんて無謀なんだよ」と治が言った通りにも思える。次からはきちんと依頼を受け、相手とも予定を取り付けた上で蒐集・返却しようと反省した。
 そんな落ち込みに加えて、新聞で見たライニアの人々の声が浮かんでしまった。「七分咲き」で貰って以来、定期的に苫小牧から渡される記事を椛は熟読している。期待を膨らませていた人を、悲しませてしまった。自分たちが「楽園」を直接壊したのではないが、それでも罪悪感がよぎる。
 ビルの前を過ぎ、椛は再び停止して後ろの仲間に問い掛けた。
「ねぇ。みんなは『楽園』があってほしいって人の声を知っても、『楽土会』を倒すつもりだった?」
「おれは間違いなくそうした。あんなぐだぐだな会長に、貴重な名物を預かる博物館を任せておけるか」
 白神は即座にそう言ったが、真木と治は黙っている。やはり自分たちのやったことは、間違いだったのか。
「そんな風に悩むくらいなら、今すぐ蒐集家をやめる?」
 治に問われても、椛は答えられなかった。前にも似たようなことを聞いた気がする。人を助けようとして、別の人を傷付けてしまった。自分は「天使」のようになれない、そんな悲観が椛を襲う。
「でもあんた、『盗品が盗まれているのでは見る人も不快になる』なんて言って、やる気だったでしょう?」
 真木の不意な指摘に、椛は顔を上げる。異世界行きを決めた時はいつも以上に張り切っていたなど教えられても、あまり記憶がない。それでも自分は、あの時「楽土蒐集会」を倒そうとやる気になっていたようだ。
「結局、身近な人の役に立ちたいと思っているのが、富岡椛って人なのよ」
 真木の言葉が本当か悩みながら、椛は再び歩き始める。そして数メートル行った辺りだったか。交差点の近くで、幼い子どもが泣いているのを見つけた。その少し上空に、赤い風船がある。冬の迫る雲がかった灰色の空に、今にも高く飛んでいきそうだった。
 咄嗟に椛は箱を真木へ渡し、車道沿いのガードレールに飛び乗った。そこからすぐ近くの木へ跳ね上がり、下の方にあった枝を掴む。懸垂の要領で体を上まで持っていき、枝をいくつか使って風船の届きそうな位置へ向かう。途中で小枝を数本折ったが、気にしてはいられない。
 風船を前に、椛は手を伸ばして木から飛び降りた。掴んだ紐を離さずに着地する。そこが意図せず車道だったことで、危うく自動車に轢かれそうになった。何とか歩道まで戻り、子どもへ風船を手渡す。笑顔で感謝した幼子が去っていく中、椛は仲間三人を見返った。
「どう、すごいでしょ! あたし、ちょっと命がけだったんだよ!」
「それより、君が公共物破損をしたことは、いただけないねぇ」
 街路樹の根本に散らばる枝を見、治がにやにやと笑う。それに続いて、真木と白神も「罪」を責めてきた。
「自動車の前に出るのは、道路交通法違反でしたっけ?」
「あとガードレールに乗るのも、犯罪に入るのか?」
 誰も自分の行動を褒めてくれない。確かに「犯罪」をしてしまったかもしれないと、椛は薄汚れたガードレールを一瞥する。だがその視線は、風船を手にする子どもの後ろ姿へとすぐ移った。何より、あの子を助けたかったのだ。それを自分で理解し、椛は再び仲間を見る。
「決めたよ。なるべく人やものを傷つけないで、困っている人の笑顔のために動く! これがあたしのやり方、あたしの正義だよ!」
 雲に覆われていた空から光が覗く。眩しさに目を細めつつ、椛は強く口元を吊り上げる。それを見ていた白神が、笑いを含んだ息を漏らした。彼も実家から盗まれた品を蒐集しようとしている。似た者同士だと、彼は椛へまっすぐ目を向けた。
「なんだか、おれがきみについていきたいと思った理由がわかった気がするよ、『偽善家』」
 その呼び方はやめてほしいと言い返す前に、どこかで聞いた女の声が耳に届いた。その主を探していると、後方から茶色い制服に身を包んだ小柄な刑事が、こちらへ走り寄って警察手帳を突き付けた。自身は国際蒐集取締機構で、蒐集団体「早二野」専属の捜査官になった所沢雲雀だと名乗る。ついに一つの犯罪組織として、目を付けられてしまったらしい。その事実を横に起き、椛は恐るべき敵へ軽く手を振る。
「やっほー、ザワ。元気にしてる?」
「もちろん。あんたたちが大人しくしてくれれば、もっと気分が晴れるんだけど。で、日光さんの言っていたことをあれから改めて考えてみて思った」
 ジャケットの裏に入れていた髪を整えていた刑事が、重く一歩を踏み出す。
「わたしはわたしが正しいと思うことをやらなきゃ。あんたたちが正しいか、ゆっくり考えながらね」
 所沢がじりじりと距離を詰めていく。もしかしたら先ほどの「犯罪」を見ていたのだろうか。いつ彼女が手錠を取り出してくるか分からない。そんな恐怖に怯えながら相手との間合いを取ろうとし、やがて椛は叫んだ。
「逃げよう、逃げよう!」
 一斉に四人は走りだす。後ろで所沢がすかさず続いてくる。蒐集家である限り、この追い掛けっこは終わらないだろう。それでも椛は、今の自分ほど好きでいられる自分はない誇らしさに笑みを深めていたのだった。


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