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六段の調べ 急 四段 二、秋眠暁を覚えず

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序・初段一話へ


 週末の午後、北の家にいながらも清隆が考えていたのは、相変わらず八重崎のことだった。あれから彼女とまともな話も出来ていない。その真意が分からないまま、臆病な自分を置いて時は流れている。受験が終わったらまた変わるだろうか、それともずっとこの関係が続いてしまうのか――。
「清隆くん、さっきからぼんやりしているね。やっぱり勉強で疲れているのかな?」
 北の声で我に返り、清隆は出されていた紅茶がすっかり冷めていたと気付いた。淹れられた時と変わらない量のそれを口にし、八重崎以外で気になっていることは自分にないか心の中で問う。そこに信が明るい調子で割り込んだ。
「よし、受験終わった後どうしようか? 打ち上げとかする? あ、シャシャテンの結婚式があった!」
「そうだ、そのことを確認したかったんだよね」
 北が別室から楽譜を取って戻る。自身が式で演奏するという譜面をぱらぱらめくる彼は、一人でのピアノに加えて箏教室の一員としての合奏をするはずだ。それだけでなく両親の吹奏楽団から特別に、ピアノのパートをやってほしいとも言われていた。
「清隆くんは、吹奏楽と箏をやるんだっけ? ああ、美央さんと一緒にソロを弾くって、先生が言っていたね」
「えっ、ほんと!? かっこいいなぁ、うらやましいなぁ!」
 信が目を輝かせる横で、清隆は北へ話を伝えていた母を軽く恨んだ。箏には長く触れられていないのに、過度な期待をされても困る。今後の練習時間が短いだろう楽器の出来を憂いていると、北も自らの腕前を卑下した。
「先に入った人たちのほうがうまい気がしてね。ぼくはやっぱり、何もできないのかなぁ……」
 彼による箏の演奏は見ていないが、母は確か呑み込みが早いことを褒めていた気がする。ピアノと同じく、相変わらず自信が持てないようだ。
 話を進めようとして、清隆にはまたも八重崎の姿がよぎった。彼女はあの調子で、結婚式の舞台に立てるだろうか。
「それからもう一つ確認があってね。そちらの吹奏楽団に、シャシャテンさんのことはちゃんと伝えてあるのかな?」
 北に言われて、清隆は思い出す。両親は共に、まだ知人の挙式としか言っていなかったはずだ。そろそろ詳しい紹介をした方が良いと焦りが生まれる一方、懸念はある。
「瑞香という国があると、団員の人にも話すべきでしょうか」
 これまでシャシャテンの故国は、隠されるべきものとして扱われてきた。しかし彼女が王女であり、式で瑞香の民を呼びたいと言っているのなら、参加する日本の人々にも理解してもらう必要がある。
「難しいね。倉橋さんがお父さんの原稿をもとに、瑞香の本を出したいって言ってたけど」
 北が話すには、倉橋は全国的な出版を利用して、長く忘れられていた瑞香の存在を広めようとしているらしい。その時になれば少しずつ理解はされてくるだろうが、残念ながら結婚式には間に合わない。
「それにシャシャテンさんについては、早めに伝えたほうがいいと思うんだよね。急に姫だと言われたら驚いちゃうよ」
 さらりと、北は居候が王女であることを当然のように話す。しかし彼にシャシャテンの正体を教えていただろうか。「越界衆」の件で伊勢のもとへ向かった時、彼女が六段姫の名を出していた気がする。あるいは倉橋から聞いたのかなど考えている間に、信が身を乗り出して尋ねる。
「『シャシャテン』のまま通しちゃ、だめですかね?」
 彼の疑問に対し、北は怪しむ人が出ると首を振る。しかし瑞香をいきなり大っぴらに明かせば、世間の混乱は確実だ。不安を見せる北へ、再び信が提案をした。
「おれたちみたいに瑞香を知ってる人が、ちょっとずつ発信すればいいんじゃないですか? ほら、SNSとかで情報をばーって拡散できるでしょ? これなら世界中に瑞香のことが教えられますよ! うん、間違いない!」
「もし見た人からデマだと受け取られたらどうする」
 ネット上には真実か分からない情報も多い。ここは慎重になるべきだろう。清隆が勧めると、北がゆっくり頷いた。
「ネットだけじゃなくて、倉橋さんが出す本も嘘だって言われそうだね。出版先は、わりと大手の歴史系出版社みたいだけどね」
 いくら信頼できる所から出ているとしても、明かされた事柄を嘘だと否定する人は一定数いるはずだ。清隆も初めは、瑞香の実在さえ疑っていた。あらゆる経験を経てきたからこそ、こうしてあの国を受け入れられているが、何も知らない人へ一から理解させていくのは相当骨が折れる。瑞香を一生信じない人もいるかもしれない。確かにあるものを根本から否定されると思うと、清隆は妙に歯痒さを覚えた。
「結局、瑞香はゆっくり人々に教えていく必要があるみたいだね」
 北が呟くも、今回の結婚式については、どうしてもすぐに明かさなければならない事情がある。シャシャテンの件だけ分かってもらうにしても、そもそも彼女の立場自体が大事を引き起こしかねない。
「せめてシャシャテンさんが、普通の人だったらよかったんだけどね……」
 北がソファーの背に寄り掛かる。うつらうつらしているようにも見える彼をひとまず置いて、信が小声で問うてきた。
「ご両親は、シャシャテンとか瑞香の件をどうするつもりって言ってる?」
「まだ聞いてない。帰ったら北の心配と一緒に伝えておく」
「わかった。じゃあ、そういうことなので北さ――」
 北の方に向き直った信が言葉を失う。清隆も、正面の男が首を深くうなだれている様に戸惑いを隠せなかった。何度か声を掛けてみるが、反応はない。そこにインターホンが何度も続けて鳴らされる音が部屋に届いた。信が応答すると、通話口からシャシャテンが家へ入れるよう、焦りながら訴えた。シャシャテンは信に連れられて部屋へ飛び込むなり、北の姿を見て愕然とする。
「嗚呼、遅かったか! 賀茂殿、もう一人じゃ!」
 シャシャテンが片手で結界を手繰り、もう片方で北を引っ張り上げようとする。輪の中には畳敷きの部屋があり、何人かが布団で眠りに就いている。そこから賀茂が顔を出し、動かない北を抱えて空いた布団へと運んだ。
「シャシャテン、何があったんだ。あの部屋はどこだ」
「賀茂殿の屋敷よ。行けば分かる」
 シャシャテンに袖を掴まれ、清隆と信は畳の上に下り立った。ここで清隆が初めて気付いたのは、今眠っているのがどれも自分と縁のある人たちだということだった。家族だけでなくクラスメイトの八重崎、瑞香を通して知り合った山住に倉橋、妙音院一家もいる。広間と思われる部屋には布団が敷き詰められおり、賀茂が慌ただしく一人一人の様子を見ていた。
「先程賀茂殿から聞いたのじゃ。これは呪い、しかも清隆にまつわる者たちへ掛けられておると……」
 部屋の隅で賀茂が落ち着くのを待って、シャシャテンは事情を語る。数時間前からこうした事態が発生しており、今後さらに被害者が増える可能性もあると。
 並べられた布団を前に、清隆はすぐ現実を受け入れられなかった。なぜ自分が中心になっているのか、なぜこんな事態になってしまったのか。まだはっきりとした理由も判明していないのに、清隆は自然とこう口にしていた。
「……俺が、悪いのか」

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