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六段の調べ 急 五段 五、栄光の全てに

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 清隆にとっては、ようやく受験が終わったと安堵した時に起きた事件だった。後は結果を待って一日を終えようとしたところに、シャシャテンが危急を告げた。彼女は昨日、美央と瑞香へ行ったが一人だけで戻ってきた。妹は鳳凰の箏を盗んだ罪を着せられ、「花籠」に入れられているらしい。先に彼女を救出しようとした信からも連絡がない。もう伯母の命令は無視して出向かなければならないのだと、シャシャテンは必死の形相だった。
 日付も変わろうかという時間になって、清隆は瑞香へ赴いた。鳳凰の箏にまつわる事情をシャシャテンに聞きながら、積もる雪も解けつつある道を行く。その途中で思いがけない声がし、清隆たちは振り返った。
「お二人も、御所へお出でになりますか?」
 滑りやすい道を歩きにくそうにして、提灯を持つ妙音院が追い付く。シャシャテンが肯定すると、彼は息を切らしつつその横に並んだ。
「あなたがたに手間を掛けさせるつもりはありません。わたしが、あの箏を盗んだことにします」
 まるで自分は実際に盗んでいないというような口ぶりだった。盗んだのは本当か清隆が問うと、妙音院はしばらく口を閉ざしてから嘘だと告げた。
「どうして妙音院さんが、そんなことを」
「わたしが美央さんを巻き込みました。異国の方に濡れ衣を着せたなど、己が浅ましくてなりません」
 美央が彼女にとっての「異国」で囚われ、最悪処刑されるのは耐えられない。それを思って、妙音院は敢えて自らを犠牲にしようとしているのだ。
「妙音院殿が悪い訳ではなかろう! あやつを一人で行かせた私のせいじゃ!」
 シャシャテンが帰そうとしても、妙音院は聞かなかった。このまま揉め事を長引かせそうな二人の間へ割って入り、清隆はどのように妹を救うのかシャシャテンに尋ねた。信が戻ってこないことから、彼も捕まった可能性はあり得る。ただ内裏に行っただけでは、その二の舞となってもおかしくない。それを伝えたが、シャシャテンはどこか追い詰められているような顔をするだけだった。
「……私が話せば、伯母上は分かってくださるはずじゃ」
「そうしようとして、昨日は御所へ入れもしなかったんだろう」
 シャシャテン自身が先ほどした話を持ち出すと、彼女は清隆からそっと顔を背けた。
「全て、私が悪いのじゃ。私は伯母上を、ずっと見過ごしてきたのじゃ……」
 その声色は暗く、清隆は普段との違いをすぐに感じ取った。伯母を素晴らしい人と褒めたたえるシャシャテンは、どこにもいなかった。四辻姫の悩みや苦しみに気付かなかった後悔を、彼女はつらつらと語っている。幽閉されて伯母も苦しかっただろうに、それでも育ててくれた。これまで押し殺した不満が爆発したのが、今回の「乱心」に繋がったのだろうと。
「最もそばにおる私が、支えてやるべきだったのじゃ。しかし私は母……伯母上から、ただ受け取るだけじゃった」
 シャシャテンは今、四辻姫を「母上」と呼びかけていなかったか。確かに彼女は、四辻姫を良い存在として見過ぎていたのだろう。それは反省したようだ。だが母とも言い間違えるほどに、その情は深いものなのか――むしろ反省したから、余計深まってしまったのか。
「されど、いくら六段姫さまが四辻姫さまを大事に思っておられても、それがすべて届いているとは限りません。これから会うこともたやすくはないと思われます。やはり嘘でも、わたしが名乗り出たほうが早いのでは――」
 妙音院に言い返そうとしたシャシャテンを、清隆は止めた。まだ文通も再開していない間柄で、姪がいきなり訴え出るのは難しいだろう。妙音院が罪を被ってしまうのはどうしても引っ掛かるが、彼のことはまた別の方法で無実を伝えるのが良い。その提案にシャシャテンも、苦い顔をしながら受け入れてくれた。
 提灯の光が、先方の門をうっすらと捉えた。いきなり王女が出てきてもまた止められると懸念し、シャシャテンと清隆はかがり火から離れた闇の中に隠れる。そして妙音院は一人で、門前に立つ衛士に歩み寄った。ぼんやりと清隆が聞いた会話の中では、妙音院が神器を盗んだ罪で牢に入ること、代わりに今牢にいる者を解放することが決まったようだった。やがて足音が近付き、聞き馴染みのある声がした。
「妙音院さん、どういうことですか!?」
「落ち着け、小僧。これには訳があってのぅ」
 シャシャテンに袖を引っ張られ、清隆は彼女と同時に動きだす。両手を縛られた妙音院の後ろに移り、彼の向こうにいる美央と信を見やった。この場が暗いせいもあってか、妹の顔色は悪そうだ。対して信は、突然現れた自分たちへ口をぽっかりと開けていた。
「やはりそなたも捕まっておったか。小僧、何をしに瑞香へ来た?」
 シャシャテンが信へ文句を言ってから、妙音院を牢に連れて行こうとする衛士を止めた。四辻姫へ会いたがる王女に、衛士は物言いたげな表情を見せる。
「これが今生の別れとなっても良いのじゃ。どうしても伯母上に、謝らねばならぬ……」
 門のそばに控えていた女官が、衛士と何らかのやり取りをした末に駆けだした。しばらくして彼女が戻り、シャシャテンへ内裏に入る許可が下りたと告げる。さらに妙音院にも、女王から直々に裁定が下されると伝えられた。案内に続いたシャシャテンの手招きで、清隆たちは後を歩いた。妙音院も逃亡する様子を見せず、大人しく縄を引かれたまま進んでいく。
 冷たい廊下を渡り、四辻姫の私室である常御所の前に着いた。かつてシャシャテンが伯母から刃を向けられ、賀茂が都追放を宣告された場だ。女官が声を掛けて鳥居障子を開けると、四辻姫が退屈そうに脇息へ右腕を載せている姿が清隆に見えた。左袖は肩先から動かず、下へ重く垂れ下がっている。視線はこちらではなく、どことも知れぬ方へ投げられていた。話を聞いてくれるかも怪しいと清隆が感じた女王の前へ、シャシャテンは迷いなく進み出る。きっちりと正座をし、彼女は深く頭を下げた。
「伯母上には、これまでいとう辛い思いをさせてしまいました……」
 年下の立場で甘え、迷惑を掛けてきたこと、その心に気付かなかったことをシャシャテンは謝る。罪は全て自分にあると考え、彼女は涙を含んでいるような声で訴えていた。
「ようやく気付きました。伯母上もまた、私と同じ人なのじゃと……。それなのに私は、伯母上の悩みも知らないで好き勝手にしておりました。じゃから――」
「今さら言うても遅いわ」
 四辻姫が冷たく放った言葉に、シャシャテンは一つ頷くだけだった。袖をわずかに顔へやってから、彼女は続ける。
「もうこれまでのことは、仕方ありませぬ。しかし次よりは、さらに伯母上を気遣っていきます故、どうかお許しくだされ」
 女王の目は、姪を見ていなかった。シャシャテンの後ろにいた清隆と信、美央よりさらに先に立つ妙音院を捉えている。
「妙音院師長よ。そなたが何を為したか分かっておろうな? ……わざわざ口で言うまでもないことじゃが、そなたは死罪じゃ」
「お待ちくだされ、伯母上!」
 身を乗り出そうとしたシャシャテンが、帳台の上筵が叩かれる音で動きを止めた。怖気づいた様子を見せたのも束の間、彼女はすぐに息を整え、ゆっくりと話しだす。
「せめて、城秀との婚儀が終わるまで、妙音院殿の刑を止めてくれませぬか?」
 懇願する姪へ、四辻姫は表情を険しくさせる。引き結んでいた唇が、だいぶ時間が経ってから開く。
「そなた、本当にあやつと結ばれるつもりか? あやつが王の座を奪うのやもしれぬのじゃぞ」
 シャシャテンの肩が一瞬だけ震えたかと思えば、体が固まる。突然の言葉に声も出ないでいるらしい彼女に代わって、清隆は発言の真意を問おうとした。だがそれより先に、後方から声が上がる。
「山住さんが今になって王に即位するなど、考えるはずはないと思われます。あの人は近ごろになって、大友家のことを知ったばかりでいらっしゃいます故。……そして同じく主家の血を継ぐ者として、わたしも王になるつもりはございません」
 シャシャテンが振り返り、妙音院へわずかに刮目した。その向こうで四辻姫が顔を引きつらせる。
「待て、そなたは何を言うつもりじゃ!」
「六段姫様は、存じ上げておられないご様子で。では正しき瑞香王家の真実を、教えて差し上げましょう」
 清隆もすかさず、言葉の主を見る。うっすらと微笑む妙音院は、四辻姫と初めて会った時のような威厳が滲み出ているようだった。

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