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六段の調べ 急 五段 六、大友家と薄雪家

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「そもそも王家は、昔に二つへ分かれました。一つは今の四辻姫さまや六段姫さまに連なる薄雪系、もう一つは先王・大友正衡さまやその甥である山住城秀さんへ続く大友系おおともけいへ」
 薄雪系の語は、清隆も耳にしたことがある。それが王家とどのように関わっているのか、聞き逃すまいとする。四辻姫が止めるのを諦めた様子を見やってから、妙音院は再び語りだした。
 二代目の王には年の近い弟と、幼い息子がいた。息子に後を継がせたいと思っていた王は、弟が王位を奪うのを恐れた。それを察した弟が出家して家族と薄雪山へ移り、その一族は「薄雪家」「薄雪系」と呼ばれた。それから数百年、瑞香は二代目王の息子から連なる一派――その姓から「大友家」「大友系」とされる者に治められていったという。
「しかし今から百年ほど前、大友家は存続が危ぶまれるようになりました。当時の王にいた子が全て亡くなり、薄雪家を頼るほかなくなりました」
 かつて北の家で見た『芽生書』に記されていた場面かと、清隆は思い至る。最後の娘が海に身を入れ、あれから王家はどうなったのかと疑問があった。それは二代目王の弟より血を継いだ、いくという娘に託されたらしい。いくが王位に就いて数年後、先王の妹に子が生まれた。血筋から見て王権はその子に優先されるとされ、いくは子が成人したら王位を譲る取り決めを交わした。
 だがその子が元服を迎えても、いくは約束を破って女王の座に留まり続けた。さらに一生姫と自らの名を変え、これまで王を出してきた家から「大友」の姓を剥奪した。
「そのため大友家は、やむなく別の姓を名乗りました。――『上東門』と」
 妙音院へ瞳を凝らしていたシャシャテンの顔から、血の気が引いていく。そしてどうすれば良いのか分からないといった表情で、四辻姫と妙音院を交互に見た。
「やがて一生姫は、自らの娘に王位を譲って二曲姫にきょくひめと名乗らせました。そこから三橋姫みつはしひめ、四辻姫と続いていきます。しかし元は、大友――上東門の方が、王家として正しき家だった。我が里の人々は、いつか王の座を取り戻さんと躍起になっていました。わたしはそれが嫌になって家を出た。そうしたら少しして、再び主家の方が返り咲きました」
「大友正衡ですか」
 清隆の呟きに、妙音院が頷いた。大友正衡の家系は、かつて一生姫から王位を継げなかった子の弟が妻を娶り、そこで彼女の一族が王家として認められたことから始まった。上東門家の次に正統として目されていたそこから、二十年ほど前に当時の女王・三橋姫の計らいで五色姫の婿となったのが筑紫正衡だった。彼が大友を名乗ったのは王になった後で、自身が正統だと示す意味があったと妙音院は語る。姓を表さない王家の慣習も破っての行動だった。
 大友は死の間際に、かつての栄光を取り戻したいと言っていた。その意味を、清隆は今になって理解する。彼は四辻姫よりも正統な家の王として、自らの祖である初代王を理想にしていたのだ。初代と同じ世を望んで、彼は「建国回帰」を行おうとしたのだろうか。
 そこまで考えて、清隆はシャシャテンへ目を移した。彼女は床に突いた両手で、何とか体を支えている。嘘だと思っていた菅の原稿には、彼女の家が分家だとあった。それが妙音院から事細かく、本当であるように告げられてしまったのだ。戸惑うのも無理はない。
 しかし四辻姫は、女王としての在り方を揺るがしかねない歴史を聞いても、平然としている。その態度に、清隆は浮かんだ疑問を率直に尋ねた。
「あなたはこれを全部知っていて、シャシャテンには教えなかったんですか」
 四辻姫の口元が綻ぶ。姪がその顔を見る中、女王は品のある笑いを零した。
「私が初めて王家の真実を目にした時はのぅ、そなたと同じ心持ちじゃったぞ。むつ」
 自らの家が正統だと学ばされてきた四辻姫は、ある時本物の『芽生書』を蔵で見た。そこに妙音院の語ったような歴史が記されているのを読み、彼女は絶望と憤慨をしたという。
「我が姪にも、いつか同じ思いをさせんとしておったのじゃよ」
 姪を大事に思うなら、彼女を陥れるような仕打ちはしないはずだ。嘘の歴史を、そうと知りながら伝えるべきではない。清隆はシャシャテンから目を離し、四辻姫だけを一心に見据えた。
「シャシャテンのことを、本当はどう思っているんですか」
 女王は黙っていた。母に近い思いを寄せている姪と違い、伯母の方はそれほどでもないのか。その乖離が痛ましく、だがどうしようも出来ず清隆は下唇を噛む。そこに信が問いを投げ掛けた。
「四辻姫さまは、どうして幽閉されてからシャシャテンを育てたんですか? 五色姫さまが亡くなる前から仲がよかったとか?」
「いや、そうでもなかったぞ。――私は、むつを従えようとしたに過ぎぬ」
 シャシャテンが伯母の方を向こうとして体勢を崩した。それでも自力で起き上がり、半ば這いつくばるような姿で女王の話を聞く。四辻姫は、ただ三種の神器を手に入れる手駒として、姪の成長を待っていただけだった。その際に都合の良いことを吹き込み、まさに利用しようとしていたのだ。
 日本にあった神器を回収するには、シャシャテンでなければいけなかったのか。確かに彼女は神器を預けに日本へ行っていたと思い出し、清隆は気が付く。シャシャテンだけでなく、その母である五色姫もいたはずだ。しかし彼女は瑞香へ戻った後に死亡した。四辻姫は、妹の死を止められなかったのか。
「嗚呼、それなら止めるつもりなどなかったぞ」
 清隆の問いに、四辻姫はそう言い切った。妹を救う余力はわずかにあったが、四辻姫はそれを使わなかった。最初から見捨てるつもりだったのかと考えると、清隆は自然に俯いていた。姉妹の間に、何か問題があったのか。
 シャシャテンは今にも床へ倒れ込もうとしていた。ここへ行く前は整っていた髪も、今や無造作に乱れている。その正面にいる女王は、姪を気に掛けず視線を宙に留めていた。
「……『人でなし』。あなたこそ、人を思わないで利用しているだけでしたか」
 低い声がしたかと思えば、清隆と信に並んでいた美央が動いた。ここが女王の御前であるかも忘れたように、つかつかと歩いていく。やがて妹は、シャシャテンの手を黙って取るとゆっくり起こそうとした。腕を引っ張られながら、王女は小さく唇を動かす。
「やめよ、美央。伯母上が『人でなし』の訳がなかろう」
 妹の動きが止まる。そして先ほど見せた気遣いが嘘のように、シャシャテンを力強く突き飛ばした。倒れたまま動かない王女を睨み、美央は声を荒げる。
「あんたが前に堂々と言っていたのはなんだったの? はっきりと、ぶれない自分を持ちなさいよ!」
 戸惑う様子のシャシャテンへ、美央は怒りをぶつける。その目に、じわりと涙が溜まっているようだった。妹がここまで、人のために感情を剥き出しにするなどあっただろうか。清隆だけでなく、隣の信も呆然とその様を見ていた。シャシャテンは何も言わず、起き上がりさえしない。微動だにしない様は、人形のようでもあった。
 彼女たちの奥で、笑い声がする。わずかに顔を歪める美央へ、女王は言い聞かせるように口を開いた。
「……そうか。不死鳥の血を引く私は、確かに『人でなし』じゃのぅ」
 右袖で隠しながら、それでも女王の口角が大きく吊り上がっているのがわずかに見える。自らの在り方を嘲っているような四辻姫にも、美央は態度を崩さなかった。
「そんな理由で『人』か判断できるなんて、昔なら納得したかもしれません。でも残念ながら、今はそうじゃないんです」
「ほぅ、そなたは己を何と心得ておる?」
 妹から聞こえたのは、多少嫌味めいた言葉だった。
「誰かさんみたいな人を足蹴にするような『人でなし』じゃない、と思いたいです。――そんな人になるなんて、まっぴら」
 誰にでも無関心というわけではない。今のところは、誰かを思える。妹はそう言って、こちらを小さく振り返って再び前を向いた。そのズボンポケットから少しだけ出ているスマートフォンの画面は割れていた。捕縛された際に傷付いてしまったのか、それにしては損傷が激しい。
「あなたに振り回されていたシャシャテンがかわいそうです。こんなひどいことをもっとするなら、王女への所業を瑞香の人へばらしちゃってもいいですか? そしたらあなたの評判は――」
「異国の者が何を言う、この不敬者!」
 女王が拳を振り上げたのを見て、ようやくシャシャテンが反応した。まだ立ち上がる気力はないのか、裾を引きずって這いながら伯母の前に出る。
「この者は私の恩人じゃ。伯母上も聞いておられるであろう。どうか、傷付けないでくだされ」 
「我が国と縁のないよそ者など、如何になろうが構わぬ」
 息を切らして訴える姪の頼みも、四辻姫は切り捨てようとした。そんな女王と出会ったころが、清隆に蘇る。あれは宮部が持っているのが偽物とは知らず、『芽生書』を取り戻そうとした時だった。当時を振り返り、清隆は思わず尋ねる。
「妹がよそ者なら、俺たちも同じです。だのにどうして、『芽生書』を回収する時は協力させたんですか」
 それだけではない。巻物が燃えた後、四辻姫は落ち込む自分と信を励ましてくれた。あの態度も含めて、女王は自分たちをどうでも良いと裏で思っていたのか。
「おれだって、四辻姫さまには助けられたんですよ!」
 横で信が慌てて付け加える。彼は伊勢によってこめかみを負傷し、四辻姫の命を受けた女官に治療を施された。それが清隆からしてもやり過ぎに見えたのを、今でも覚えている。
「四辻姫さまはおれを心配してくれているんだなって思ってたんですけど……嘘だったんですか?」
 信がうなだれ、左こめかみを撫でる。四辻姫の口から溜息が漏れた。
「そうじゃ、どれも私が思うままにさせんとしておったのじゃ。……しかしそうか、私は知らぬうちに『良い者』と見做されておったのじゃな。人の思いとやらは、勝手に取り違えられるものなのかのぅ……」
 そう零す四辻姫に、清隆は思わず共感を覚えた。北には励ましを嘘だと言われ、大友を気遣う言葉は賢順に誤解された。それと同じなのだろう。四辻姫には、意図的な悪意があった。それに気付かず、シャシャテンや自分たちには良い人として映っていたのだ。
「ここまで慕われておるのなら、せめてそう思っておる者の前では良く振る舞わねばな。――よし、そなたたちの頼みを聞いてやろうではないか」
 女王の眼差しが、かつての柔らかいものに戻る。まず彼女はシャシャテンと山住の結婚を許し、慶事の前に不吉だからと妙音院の処刑を延期した。刑までは自宅に謹慎するよう命じられた妙音院が頭を下げ、そこに一つだけ頼みを求めた。
「陛下の命は甘んじて受け入れます。その代わりに、賀茂さんを都へ戻してはいただけませんか?」
 四辻姫は一考した後、妙音院の約束順守を条件にこれを認めた。そしてシャシャテンや山住の宮城入り、四辻姫との連絡も次々と許されていく。ここまであらゆる物事が認められると、清隆は首を傾げたくなった。どうも四辻姫に何か策があって、こちらを油断させようとしているようでもある。それをおくびにも出さず、清隆は一人で喜んでいるシャシャテンを眺める。
 妙音院は縄を解かれ、自宅へ戻ることになった。一礼して去ろうとした彼が、ふと足を止める。
「陛下の亡き王配殿下は、洞院公経さまでございましたね。あの方には深い恩義があります。陛下がいかに思われていても、その恩はわたしの中で変わりません。……たとえ、陛下があの方を疎まれていても」
 悲しげに言って、妙音院は姿を消した。思えば洞院なる者の詳細は、全く聞けていない。妻だったという四辻姫へ清隆が問おうとした時、彼女が何か小さく口にしたように聞こえた。シャシャテンも洞院に興味を持ったのか、伯母にどんな者だったか尋ねる。だが四辻姫は答えず、控えていた女官へ障子を閉じるよう命じた。女官が動き始めると、シャシャテンは慌てて四辻姫へ頼んだ。
「伯母上、悩みなどがあれば何でも私に伝えてくだされ。母上の如き方にございます、出来る限りは尽くしますとも!」
 鳥居障子をじりじりと閉めていた女官が手を止めた。顔が半分ほど隠れている中、四辻姫はシャシャテンを睨んでくる。
「私を母のように言うでない。……なりとうてもなれなかったものじゃ」
 独り言じみた言葉を残し、四辻姫は障子に隠れた。引き取りを願う女官に促されて歩く中、清隆は女王を思う。彼女はまだ、姪を完全には許していないのではないか。元からシャシャテンに思うところがあって、距離を取ろうとしているようでもある。
 宮城を出ると、シャシャテンは妙音院邸に向かって良いか聞いてきた。山住に結婚が正式に認められたと、どうしても伝えたいそうだ。もう日付は変わっていたが、一言くらいならと清隆は許す。途端にシャシャテンの歩みは速くなった。提灯を持っている彼女に置いて行かれないよう足を進め、清隆は先方に目を向けた。
 街灯のない暗闇に、白いものが混じっている。次から次へと降ってくるそれが雪だと分かり、清隆は空を見上げた。月を覆う雲を湛えたその闇は、あらゆる光を吸い込まんばかりに黒く広がっていた。

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