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六段の調べ 急 六段 一、喜悦の波と花と

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序・初段一話へ


 近所の学校にある音楽室を利用して、市民吹奏楽団「アモローソ」の練習は行われていた。指揮を振る父の向こうには窓が広がり、ビルの並ぶ光景を映している。部屋全体に楽器を奏でる老若男女が集い、シャシャテンの結婚式に向けて合奏している。伴奏の一員として北が前方でピアノを弾き、美央と八重崎が各々の楽器を構えて音を出す。そして清隆も、楽団に混じっていた。久しぶりの演奏に不慣れな点はありながら、一通りは演奏について行くことが出来た。
 合奏が終わると、窓際から拍手が聞こえた。三つある椅子のうち二つは空けられ、残る一つには信が座っている。見学に来た彼は立ち上がり、いくらかやかましい賛辞を贈った。
「いやぁ、やっぱり生の演奏って迫力ありますね! 結婚式の会場でやったら、これまた響くだろうなぁ」
 それから信は、式では吹奏楽と箏を合わせた演奏もあったか確かめてきた。最後列でトロンボーンを手にしていた母が肯定し、別の日に練習があると伝える。シャシャテンのためと箏のソロを押し付けてきた彼女に、清隆は視線を送り続ける。受験が終わってから居候に隠れて練習してきたが、いまだに間違いが多い。このまま本番を迎えても、恥を掻くだけだろう。
 そうして物思いに耽っていた中、楽団員たちの後ろにある扉が叩かれた。父が応じると、戸を開ける重い音がする。やがて小袖に打掛――普段と変わらない恰好をし、長い髪もまとめず伸ばしたシャシャテンと、同じく小袖をきっちり着こなした山住が列の前へ現れ、父のそばで立ち止まった。信が隣の椅子に座るよう促すが、シャシャテンは小さく首を振る。
 おおよそ現代の日本ではなかなか日常で見られないだろう服装をした男女の登場に、団員たちは物珍しい目を向けていた。小声で何かを言い合っている者もいる。シャシャテンはこれから瑞香を詳しく明かすつもりらしいが、それが理解されない可能性もある。この団員たちを瑞香人の挙式に呼んでも良かったのだろうか。清隆は胸をざわつかせながら、装いを整える居候が話すのを待った。
 シャシャテンが楽団全員を見回す。その顔には緊張もあったが、やがて彼女は軽く息を吸ってから口を開いた。
「騒がせてしまったようで申し訳ない。この度、皆様方の素晴らしき調べで式を彩れることを心から喜ばしく思います。嗚呼、遅れましたが私はシャシャテンと――」
「せめて本名を名乗った方が良いんじゃないか」
 既に両親から、シャシャテンについてざっくりと団員たちに伝えられている。さすがに正体への戸惑いはあったようだが、ひとまず認めてもらえたようだ。箏の経験者でなければぴんと来ない名称を出されても、聞く側は戸惑うだろう。清隆が突っ込みを入れると、シャシャテンは軽くこちらを睨んでから咳払いをした。
「野暮な物言いが入りましたが――改めて申し上げましょう。私は六段――六段姫。瑞香という国より参りました。出来れば『シャシャテン』と呼んでくだされ」
 かつて日本と交流があったが途絶えた国を、シャシャテンは丁寧に説明していった。しかし複雑な歴史の話をされたからか、周りの団員たちはぽかんとしている。ピアノ椅子に腰掛けている北も腕を組んだ。誰も相槌を打たず、めぼしい反応を見せない。語り終わったシャシャテンは、再び全体を一瞥して息をついた。
「――まぁ、これらのことをすぐに分かれとは言いませぬ。今受け入れるのはまだ難しいじゃろ……でしょう」
 シャシャテンが信の隣に並ぶ椅子へ目を動かした。話すだけで疲れてしまい、もう休みたいのかもしれない。信も手で合図をし、応じたシャシャテンが山住を伴って椅子へ向かいかけた時だった。
「『ずいこう』でしたっけ? ちょっと後で調べてみますよ! どういう字、書くんですか?」
 団員の一人が声を上げ、シャシャテンが動きを止めた。先ほどまでの沈黙が嘘のように、室内には反応が広がっていく。少なくとも、瑞香をはなから否定するような言葉はなかった。ピアノの近くに控えていた父が騒ぎを静める。そして部屋の端にあったホワイトボードを、ちょうど信の前まで引っ張り出した。彼がペンで「瑞香」と書いている間、シャシャテンはいまだ不景気な表情をしていた。
「皆様が興味を持たれておるのはありがたいが……残念ながら日本に瑞香の資料はほとんど残っておりませぬ。『ねっと』じゃったか、あれで探っても出てくるかどうか」
「さすがに、みんなが知らないなんてことはないんじゃない?」
 信がホワイトボードで隠れていた顔を出した。彼を含め、清隆たちはここ三年で瑞香に関わる様々な人と会ってきた。存在が大きく広まっていないだけで、密かに瑞香を知っている人はちゃんといるのではないか。
「身近な人に聞けば、意外と瑞香に縁があるって人もいるかもしれませんよ?」
 信の言葉に、清隆は思わず頷いていた。この教室にいる北や八重崎も、少しであれ瑞香を知っていたのだ。意外とあの国を伝え聞いていた者は日本にいるのかもしれない。もちろん調べたところで、すぐには受け入れられない人もいるだろう。だが自分のように、いずれ納得できる日が来るはずだ。
 いつの間にか団員たちが楽器を膝や床の上に置き、メモを取ったりスマートフォンでシャシャテンたちやホワイトボードを撮影したりしている。最初は戸惑い気味だったシャシャテンが、潤ませつつある目元を袖で押さえた。
「何とのぅ。皆がここまで我が祖国を知ろうとしてくださるとは思わなかった……」
「姫様、どうか心を静めてください。まだ一曲も聴いていませんよ?」
 シャシャテンを宥める山住に向けて、団員が誰かと尋ねてきた。自己紹介がまだであった新郎が、慌てて名乗りを告げる。続いて何を話すべきか迷ったのか、彼は棒立ちのまま固まってしまった。そこに、シャシャテンとの馴れ初めはどのようなものだったのか問う声がした。乗っかるように大勢の団員が囃し立てる。一方の山住はますます話しにくそうに、身を縮こませてしまった。それを見かねて、父が団員たちを制する。
「皆さん、山住さんが困っているようなのでいったん控えてください。ああ、お二人はどうぞこちらに。演奏で気になることがあったら、容赦なく指摘してくださいね」
 父がシャシャテンたちに椅子を勧める中、集団から笑いが零れた。信の隣に座ったシャシャテンが、改めて部屋中を見回す。
「楽しそうじゃのぅ。斯様な者たちに祝われながら式を挙げることが、どれ程嬉しいか」
 ピアノ越しに様子を見ていた北の顔にも、不安は消えていた。この楽団においては、シャシャテンや瑞香は受け入れられるかもしれない。むしろそうであってほしいと、清隆は心の奥で願っていた。

 夕方六時過ぎになって、人々は楽器を片付け始めた。清隆も管内を軽く掃除していると、既に帰り支度を終えていた北に声を掛けられた。
「ひとまず、シャシャテンさんのことはよかったね」
 彼も瑞香が受け入れられるか、心配だったのだ。それが一時的に解消され、笑みを浮かべている。しかし瑞香公表については、まだやることが残っているはずだった。
「倉橋さんの動きは、どうなっていますか」
「あの本だけどね、結婚式の何か月か後に出版するんだって」
 倉橋が亡父の遺稿をまとめた書籍は、全国に販売される予定だ。吹奏楽団はまだ限られたグループだから良かったが、日本に住む全員となればどうなるか。北は視線を下げて不安を漏らした。
「倉橋さんへの批判は、避けられないだろうね……」
 何事にも批判が来るといつか言っていた彼の懸念は、間違っていないだろう。清隆はそう思いながら、それでも恐れるだけで終わりたくなかった。瑞香に暮らす人や独自の営みが実際にある以上、頭ごなしに否定されるばかりではいられない。批判する人にも、何とか瑞香を受け入れてほしい。
「公表した後も、色々やることがありそうですね」
「清隆くんはすごいなぁ。落ちこんでるだけじゃないんだから。演奏も期待しているよ」
 その言葉は、心からの励ましだろうか。清隆は言い返そうとして、不意に留まる。北が本当に応援していたなら、それを否定するのは彼を傷付けかねない。片付けの手を止め、清隆は礼を言った。今度は本心だと思われたのか、北も笑顔で頷いて帰っていった。
 楽器ケースの蓋を閉じ、清隆は鞄からスマートフォンを取り出した。通知が入っているのを認め、開いた画面に小首を傾げる。倉橋から、今日中に妙音院邸へ来てほしいとの連絡だった。四辻姫が不穏な動きをしていると。
 シャシャテンの結婚を許した時、裏で何かを考えているようだった女王を思い出す。瑞香へ行く言い訳を考えていると、近くで信の声がした。
「あ、清隆も連絡来た? 倉橋さんからの」
 顔を上げ、いつの間にかそばにいた信を見やる。彼だけでなく妹や八重崎も、同じ頼みを受けているらしい。自分たちを呼びたいとは、倉橋は何かこちらに重要な話でもあるのか。
「どうする? 今から行っちゃう?」
 信の問いを受け、清隆は周りを見渡す。まだ楽器の片付いていない人が多く、机や椅子を動かした教室を元通りにするにも時間が掛かりそうだ。手伝いに参加できないのは申し訳ないが、早めに行かなければ夕食に間に合わない。
 信に瑞香への道を作ってくれるか頼むと、快く受け入れられた。彼が他に呼び出された者たちを呼ぶ間に、清隆は急いで倉橋へ返事を送った。

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