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連載(42):人類の夜明|奉仕世界の教育「教育の第一歩」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

教育の第一歩

今日の社会で生きていくためには、最低限の知識は必要です。

ところが知識を重んじるあまり、有名校を出なければ出世できないといった、歪んだ学歴偏重社会を作ってしまいました。

したがって、誰もが有名校へ凌ぎを削る試験地獄に身を投じるようになり、最も肝心な夢と希望を忘れさせてしまったのです。


子供の一日を見なされ、誠にかわいそうなものです。

学校から帰ると、教育ママが作った学習メニューの消化のため、塾というベルトコンベアに乗せられ家を追われます。

家に帰ったら帰ったで、今度は宿題消化のために、夜遅くまで机に向かわされます。

親は己のエゴと見栄のために、夢を育む大切な時期を、子供から奪い、それが我が子のためと自分をごまかしているのです。

幼い頃には幼い頃にしかできない体験があり、学生時代には学生時代にしかできない体験があるのです。

幼児は母親の愛情を一身に受け、安らぎの中で成長していくのが一番であり、子供は兄弟姉妹や友達と遊びを通し大人になっていくのが一番なのです。

天真爛漫な心を育て、優しく思いやりのある人間に育てねばならない時期に、現実ばかりを直視させガムシャラに知識を詰め込もうとするのは大きな誤りです。


知識は、この宇宙に無限に存在するのです。

今地球でもの知りだと自負する者も、宇宙の無限の知識においては、アブクにも匹敵する無知者になるのです。

それを追い求めるのは、海岸で砂粒を数える行為に等しく、この世を去る時きっと悔やまれるはずです。

そんな時間があるなら、少しでも心の研磨に励む方がどれほど有意義か?。

よろしいですか、ガリ勉からは決して人格は高められないのですよ!。」



「でも人間には、勉強しなければならない時期があると思います。そして教養というものは、人間形成に欠かせない大切な要素だと思うのですが・・・。」

あまりにも勉強を軽んじる老人の言いぐさに、私はいささか向きになった。



「私は勉強を否定しているわけではありません。むしろ、人は死ぬまで勉強の連続だと思っているくらいです。

だが勉強をするにも、時宜と選定が必要ではありませんかな。

つまり人生がハードル競争だとすれば、子供の頃にしか越えられないハードルもあれば、大人になってからでも越えられるハードルもあるはずです。

なのにそれを無視し、時宜にそぐわないハードルを越えさせたのでは、一体誰のための、何のための人生なのか?。

子供は日に日に成長していくものです。その一時期の体験というものは、人生にとって後戻りできない貴重な財産です。

いってみれば、成長段階でつける勲章のようなものです。

それを放棄させる権利は誰にもありません。

このように教育の第一歩は、時宜に即した正しい学習選定をすることなのです。

(つづく)

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