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ペットセマタリーを読んで

家族を見るために、夫婦を見るためにスティーブン・キングを読んでいる。

スティーブン・キングはやっぱり凄いなぁと思います。
あらすじ力(人に伝えやすい話の筋、大筋)がちゃんとあって、かつそれだけじゃない。

ペット・セマタリーの、「死んだものを埋めると生き返る」という使い古されたような題材を鮮やかに輝かせるのはキングの手腕だよなと思うのです。

使い古された題材がお涙頂戴の茶番にならず、
生き生きと、色を持って現れるのは、キングのちまちまネチネチとした家族の描写、家庭の描写、人物の描写によってなるもので、キングもやっぱりホラーを書きたいという気持ちと同等にそれらを書き表したい、書き留めたいという思いがあったんじゃないかなぁ。

前編の最後の、ルイスとゲージが凧をあげるシーン、父親の、ひた隠しにしているような、心の奥底に見せまい見せまいとしまい込んでいる湧き水みたいな美しい愛情を読んだ時、
「ああ、なんて美しいものを書くんだろ」
と同時に
「ああ、やめてえ」「この人たちを不幸にしないでえ」と思ってしまいました。

キングはいつも普通の家庭を描くのが上手です。そしてその家庭に愛着を持たせることも。

引っ越し初日のうんざりするような"家族"のドタバタ、家を買い重荷を背負ったような気持ちになるところ、それが目を輝かせる妻と娘の表情で何もかも帳消しになるところ。

妻や子供が時折どうしようもない重荷に思えて逃げ出してしまいたくなる、苛々する。けれども、それすら吹っ飛ぶくらい、心の底から彼らを愛している。

空港で首に飛び付く娘を恥ずかしいと思いながら嬉しく思っているところ。
義父との確執に見える男性二人のプライド。

夫、父、男性の描写が本当にめちゃめちゃ上手い。

傷付いたレイチェルを慰めない夫のルイスを目で怒るジャド。エリーはまだ生きていると二人を目で叱るジャド。
キングの小説はいつも細かいところが記憶に残る。

そして読み終わった後には、
(誰も本当には悪くないのになぁ、なんで、なんで~~)と思いつつ、
転がり始めた石が谷底へ落ちていくのを見ているような
(こうならざるを得なかった…)
と、口を出せない、文句を言えない納得が残ります。
猫のチャーチが死んだ時から、いや、この家に引っ越してきた時から、オリンコ社のトラックの走る音が道に響き始めた頃から、そうなることが決まっていたと思わせるような……。
それがホラーというものだと思うし、また、キングの凄さだと思う。

映画のリメイクするというのを全然知らず読みました。タイミングがよかったのかな。
2019年版は観ていないのですが、最初の映画はラストに賛否両論あったような。それはしょうがないような気がするなぁと思います。細々とした描写の積立てが効いてくる話なので、映画では説明しきれないと思います。あのラストに説得力を持たせる筆力が小説の中にはありました。
最後の、燃える家を前にしたルイスの悲しい狂気は読んだら忘れられない何かがあると思う。

あんまり書けなかったけど、レイチェルの姉ゼルダの話、その心の傷を夫婦で共有するシーンが物凄く好きです。人の優しさとか、夫婦の優しさ、人と人の関わりについてかなり希望を持たせてくれた。


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何年か前に書いた感想文の再掲です。
キングの作品は人間関係、家族の描き方がいつも素晴らしいです。
素晴らしすぎて時に苦しくなるくらいですが……

特にこの作品は、主人公ルイスの「父親」そして「夫」の面、『背負わなくてはならないそういった役割』を何とか担おうとしている時の描写が本当に秀逸なんです。
シャイニングの時も思いましたが、『男性』特に『父性』を内側からここまで完璧に描いたのはキング以外にあまりいないなぁ。
日本文学だと父性は崩壊した父性や不完全な父性として描かれていることが多いですし(というよりそういう作品が後世に残りやすい)、息子や娘から見た良い父性というのはよく見かけるけれど、父親の中から父親を客観的に描いているものは案外少ないように思います。

苛立ちもあり、逃げたさもあり、狭量で、未熟で、いっぱいいっぱいで、時には自己防衛が攻撃にもなり得る、危うくて傷付きやすくて、でも愛に満ちている。
そういった父親の愛情。
そしてその愛自体本人は認めたくないのですね。
照れくさいから、恥ずかしいから、
こんな大きなものを抱えているなんて、自覚したくないから。

そういう内情がしみじみ伝わってきて、とても記憶に残っている本です。
父親という生き物がどういうものか、というのもこの本に教わった気がします。

ぜひ、ぜひぜひぜひ!読んで下さい!


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