マガジンのカバー画像

ワイナリー設立までの物語

7
田舎町で馬鹿みたいに夢追っかけて。 そこに何があるんだい。 行ってみなきゃわかんないから、 ただがむしゃらに進むだけ。 なんもなかったら笑いましょう。 笑ってもっかい走りましょ…
運営しているクリエイター

記事一覧

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その7

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その7

2019年〜2020年

それから2年。

様々な人たちの関わりと
何よりも家族の協力のおかげで。

生産量は安定し、

畑は素晴らしく美しくなり

様々な人たちの笑顔の中で、
少しずつ少しずつ。その広がりを感じ。

なんだかもしかしたら、
凪の海に辿り着いような感覚の松本号。

ひょっとしてひょっとして、
これはこのまま安定していくのかなと…

けれども。

本当に人生は難しい。

時に予想だに

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その6

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その6

2018年

残された時間がそれほどない感覚でした。

初夏
父は元気でした。

すっかりとその事が頭から抜け落ちるくらい、
当たり前のようにそこにいるのです。

この夏は、酷い雨が続きました。
各所で豪雨長雨の被害が出ているくらい。
葡萄にとっても過酷な年でした。

8月
長雨の影響を受けて、畑ではベト病が蔓延し、壊滅的な被害を受けました。それと時を同じくして、
父の癌は徐々に進むスピードを早め

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その5

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その5

2017年 8月

プロジェクトから3年

遂に収穫の時

糖度は19度。悪くないと思います。

たったの30キロ…それでも一つの形になりました。

患いの父も、それを忘れさせるように躍動していました。

僕にとって特別な写真

搾汁した初めての葡萄ジュース。
全てがスペシャルな瞬間。

そして…初めてのワイン。
ラベルには父の優しい顔を。

いろんな人と、この瞬間を共有して
この歴史を認識したか

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その4

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その4

2015年11月〜2016年

「手伝って欲しい」

僕は打ち明けました。

「しゃーないな。給料は渡せよ」

父はそう言ったあと。「まずは農具小屋やな」
と呟きます。

誰かの手助けが必要でした。
それも出来るだけ近い人の手助けが。

専門家のご指導も必要でした。
近畿大学の名誉教授に来て頂く時もあったし。

超有名なワイン屋さんに石ころを拾ってもらう事もありました。

父と僕と誰か。
そんな光

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その3

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その3

2015年 4月

大口を叩いて出航した松本号は、
準備不足、知識不足を露呈し早くも沈没の危機に見舞われておりました。

そこに手を差し伸べたお二人の救世主。

当時はでかでかと地元紙に掲載されました。

雨の中の植樹式

多くのマスコミの皆様

地元の仲間が集まって盛大に執り行われました。

地元の農家さんの手助けと。
地元の企業さんのご支援と。

船は再び活力を得てバージョンアップして、
航海

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その2

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その2

2014年9月

うん??
はて??
こんなもんなのか。。。

痩せ細っていて元気がありません。

はてさて。これは正解なのでしょうか?
希望に黒い雲が立ち込めます。

まだまだ残暑が残るこの時期なのに。
明らかにおかしい。

結果的に言うと、
あくる年の春。
この若苗たちは一切の芽を出す事なく。
たった1年でイルフィーコ葡萄園は生き絶えてしまうのです。(結果的にミュラートゥルガウという品種は、冷

もっとみる
100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その1

100年続く産業を。『城陽ワイナリーへの軌跡』その1

皆様、あけましておめでとうございます🎍
本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
今年も、note。アグレッシブにアクロバティックに、時にはサボりながら…楽しく書いていきたいと思います。

さて、本日よりはシリーズでお送りします。
『城陽ワイナリーへの軌跡』
をお楽しみくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2014年。4月

僕はとある農

もっとみる