非農家が一年間、畑で野菜を育ててみたら・・・
こんにちは、だいきです。
かれこれ一年以上、畑で野菜を育ててきて、
ふと自分の内面に意識を向けてみると、
普段は表に出て来ない感情や思考が表出します。
今回は、
「非農家が一年間、畑で野菜を育ててみたら・・・?」
というテーマで、ゆる~く文章を綴っています。
1.農家なのか、農家ではないのか。
一年経って、農家を目指すというのは、
合っているようで、間違っているなぁと漠然と感じてきました。
野菜を育ててみて、
今の何十倍、何百倍の土地を耕して野菜を育てるなんて、
とてもじゃないけど、考えられないと思いました。
大規模に農地を借りて、
本格的に野菜を育ててている農家さんは、
尊敬はすれど、自分には到底真似できません。
一年やってみて、体力的に持たないと感じたのです、、、
とすると、農家ではないが野菜を育てている人と定義されますが、
決して、家庭菜園レベルではないとも思っています。
家庭菜園にしては、一反の畑は広すぎるし、
第一、別で本業をしていて、
片手間で野菜づくりができる広さではないのです。
2.中途半端な生き方に見えるけど・・・
傍から見たら、本気なのか、ふざけているのか、、、
中途半端に見えるかもしれません。
ですが、自分の中では明確に意志があって、
決してふざけているわけではないのです。
見える世界だけを見ていても、
見えない世界で動いている思考や意識は、
正確には捉えられません。
私は、「衣食住の在り方」を地球規模で考えたいと思っています。
世界の様々な国や地域から、
衣食住の文化を学んで、
日本的な衣食住の在り方を再定義していきたいのです。
今は、衣食住の中でも、
特に「食」に着目して、
野菜づくりを実践しています。
農はあくまで一つの要素であって、
それがすべてではないと感じていますが、
それと同時に、農にはすべてが詰まっているとも思っています。
自然と向き合った結果、育まれてきた恵みであって、
決して自分で作ってやったという驕りは生まれてこないのです。
なので、
「野菜を作る農家」
と言われることには違和感があり、
適切な形容ではないと感じています。
農家ではなく、
「誰とも変わらないありのままの生活を実践している人」
なのだと思います。
3.ありのままの生活が人をつくる
生活は、誰でも実践していて、
生きている人すべてに当てはまります。
ただ、その中でも、衣食住を意識した生活をしたいと思います。
衣食住に気を配っている人は、
自分の生活を取り巻くものに、
意識を向けている人のことで、
「何となく食べる・着る・住む」を無くし、
自分の意志を貫いて生活している人のことを言います。
自分の哲学を持っていて、
生活に個性が滲み出るような形が理想的です。
意識的に生活している人が増えるほど、
面白い社会が機能し始め、
人とのつながりが活発になっていきます。
本来、人とのつながりというのは、
魂の発露に外ならず、
意識的な生活をすることで表出して、魂がスパークします。
私が野菜づくりをしているのも、
自分の生活と、地球や自然とのつながりが合致して、
自分が意識的な生活をして残した証(野菜)を
受け取った人と繋がりたいという
根源的な欲求に叶うものだからであると感じています。
自分の表現したものが、
他者に伝わることが喜びであり、
伝わらなかったとしても、
伝えようと表現したものは変わらないですし、
伝わらなかった悔しさは次への原動力となります。
それが、ありのままの生活なのだろうと思います。
4.来年に向けて・・・
私は、ライフステージごとに変化を加えたいと思っていて、
食だけでなく、衣や住にもエネルギーを拡散していきたいのです。
終わりのないことに挑戦する楽しみがあるから、
気長に、かつ能動的に、
信念をもって取り組みたいと思っています。
一年を振り返ってみて、
農家ではなく、肩書きの無い表現者になりたいと思ったのも、
自分らしくて面白いなぁと思います。
来年は、どのようなことを考えているのか。
また、野菜や自然と向き合いながら、
思考していきたいと思います。
それでは、良い一日を。