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エアメールと外国の切手

メールやLINEですぐにやり取りできるこの便利な時代に手紙を書いている。
両親に宛てて。
二人は携帯を一時期持ったことはあったが、使い方がわからなかったみたいで、いつかけてもつながらず、持ち歩かず、基本料金もったいないからと兄に解約されそのまま。
パソコンもないしFAXはあるが使い方がわからない。
電話以外の通信手段は手紙か電報。
母は耳が遠く、会話するには大声を張り上げないといけない。今ただでさえ電話で話すのが体力を消耗して疲れるので、基本私からは手紙のみ。たまに父から電話がくる。

手紙では、天気とか体調や子どもの様子を伝えている。
コロナ後遺症になってからは父は私の身を特に心配し、メモ紙でもいいから様子を知らせてくれと言うので、週一回は送ろうと思いハガキや封書を送る。三〜四回に一回は息子の大学の父母会の会報とか新聞とかを同封する。喜んでくれる。
北海道に届くまで、今は中二日かかる。月曜日に出すと木曜日に届く。
両親は高齢だから、いつかはこのやりとりもなくなる。そう思うと内容がどうとかでなく行いそのものがとても貴重で、形に残るものでやりとりすることに意味があると思う。
いつかはいらないものとしてすべて捨てられて、私たちも消えても、無名の親子がいまこうして交流していたという記憶はどこかに刻まれていくのではないか。
この世のすべてには意味がなくて、意味があると感じることの一つ。

父が船乗りだったので、子どもの頃エアメールが届くと私はうれしくて真っ先に手紙を開くのだが、いつもがっかりしていた。字が読みにくいのだ。英語の筆記体で書いたような日本語というか、細いボールペンで書かれた小さめの、糸くずか絡まってるみたいなあの文字に何度憤慨したか!せっかく楽しみに読もうと思っても、何が書いてあるかわからない。その度に母が、もっと読みやすく書いてって言わなきゃね、書いておくわ、と言い、私も自分が字が書けるようになったときはお願いしたはずだが、結局大して変わらなかったなぁ。
たまにコレクトコールで電話がきたが、ほとんどのやりとりが手紙だった。父から来た手紙に貼られていた切手を祖母は大切に取っていたようで、今、私の手元にあり、外国の珍しい切手は宝物だ。祖母は遠い海の向こうで働く我が子からの手紙をどんな気持ちで毎回開けたのだろう。封筒から小さな芸術品を丁寧にはがす祖母の姿を想像する。

私が子どもの頃に送った手紙を、一年ほど前に父が送ってきたことがあった。「おとうさんのことがだいすきなの」と書いてあり、ウインクして、髪を二つ結びにしてリボンをつけた女の子の絵が横に描かれていた。
見た瞬間なんだこれは!と思い、自分が書いたものだと理解してとても恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかった。なんでこんなもの送ってくるの!とすぐにしまったが、こんな手紙を大切に40年近くも持ってるなんてと驚いた。

今、私からの手紙は息子に郵便局に行って出してもらう。彼はメールが主流で年賀状くらいしか出さない世代だから、手紙の送り方もわからなかったので教えた。速達で出してもらったのが最初だったので、それから毎回お願いするたび「普通?速達?」と聞く。

私の手から息子に託され、両親のもとへ。
あと何度送れるだろう。
なんてことはない内容の手紙のやりとりを思うと胸がいっぱいになるのはなんでだろう。



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