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初の著書「花嫁を探しに、世界一周の旅に出た」

3年7ヶ月かけた世界一周の旅をまとめた本の予約が開始されました。
タイトルは「花嫁を探しに、世界一周の旅に出た」です。人生初の作品になります。
大学を卒業して、テレビ業界に飛び込みました。最初に担当した番組は憧れていた「天才たけしの元気が出るテレビ」です。中学生の時、この番組を観て衝撃を受けました。何しろ、企画が面白い。よく芸人さんが幼き頃、「ダウンタウンのごっつええ感じ」を観て、ダウンタウンに憧れ、芸人になったという話を聞きます。俺は彼らとは違い、「元気が出るテレビ」を観て、「たけし、すげ〜なー」ではなく、「この企画を思いついた人すげ〜なー」でした。「どうやって、こんな面白い番組を作ってるんだろう」という考えが童貞の頭に閃光のように降ってきたのです。なぜか、出演する表現者より、裏方に興味を持ちました。
中学、高校はバスケ部。常に動き回り、よく喋り、よく笑う、いわゆる単純明快な体育会系バカでした。そんな「脳味噌筋肉男」がクリエイティブの世界に飛び込みました。普通、思春期にビートルズを聴いたり、ゴダールの難解な映画をみて影響を受けたような人が作り手の道に進みます。しかし、俺の青春はバスケと勉強のみで、文化活動は皆無です。それでもテレビの現場に入りました。行き当たりばったりで、何も考えない「脳味噌筋肉男」だからこそ出来た技です。それでも、まぁ、750倍の就職率を突破しましたが(自慢)
テレビの現場は、ちょっとこういう公の場では話せないほど過酷でした。新しいADが数多く入り、あっという間に辞めて行きます。しかし、俺はバスケ部の「水を飲めない根性」で残りました。どんなに怒られてもいじられても、その場のポジティブなリアクションと謎のアイディアでカラッとした笑いが生まれたので、厳しい先輩に可愛がって頂けたのだと思います。やがて、深夜から担当した「鉄腕DASH!」が番組として軌道に乗ったあたりで会社を辞め、フリーランスになります。その後は順調に(色々ありましたが)ゴールデンタイムのディレクターとして責務をこなして行きました。3年くらい経つと、借金生活も終わり、金銭的にも余裕が出てきました。しかし、持ち前の努力、根性、気合のポジティブ精神だけで突き進んで行った俺は、30歳を手前にして壁にぶち当たります。テレビの世界からスタートした自分の物作り。考えてみたら、番組という「商品」しか作ったことがなく「作品」を手がけたことがないのです。旅する前、映画美学校の脚本家コースに通っていたのですが、そこにいる先生や生徒たちは、学生時代に自主映画などを撮り、純粋な好きなものを撮った後、商業作品へと作るものが移り変わっていく人がほとんどでした。しかし、俺の場合、プロの現場から入ったので、絶えず視聴率を意識し、売れることを意識した商品しか作った経験しかありません。それは、どういう事を意味するかというと「やりたいことがない」つまり、「作家性がない」ということです。自分の心の情動や感情をそのまま表現する前に、これは世の中の人にウケるのか?企画を買って頂けるテレビ局の編成部の意向にそっているのか?頭の中でまず最初にそれを考えてしまいます。そして、それに慣れていくうちに心の情動は徐々に小さくなって行きました。しかし、29歳の若き俺はそんな自分の物作りの姿勢に疑問を持ちました。もう20年以上前の話です。そこで、少しの間、テレビの現場を離れ、映画の脚本を考えたり、自分の作家性とは何か?を考えるため、高田馬場で下駄を履きながら銭湯に入り、安い一杯飲み屋で色んな人の話を聞きながら自分自身を見つめ直しました。しかし、悩んでも考えても、そんなものは見つかりません。そりゃーそうです。元々、体育会系筋肉バカですから。その後、プロデューサーさんから声がかかり、フジテレビの「トリビアの泉」の宣伝番組のオファーを頂き、テレビの世界に舞い戻ります。そこで作った番組をタモリさんに褒めて頂き、そのまま「トリビアの泉」というまた過酷な番組へと舞い戻る事になりました。そして、その流れで会社を作り、仕事も増え、また昔の忙しい生活を淡々とこなしていきました。
離婚をしました。
そこで、世界を旅してみようと思いました。一応、高校も大学もそれなりの偏差値でしたし、バスケも大分県準優勝くらいの部活だったので、運動、勉強、そして青春時代の恋愛などで忙しく、若い頃に、ゆっくりと自分を見つめ直す時間がありませんでした。常に目標を定め、それに最も効率が良い選択をすることが自然と身についていました。
折角なので、この旅で、29歳の時に心に秘めた「自分の作品」を作ってみようと思いました。このチャンスを逃すと、ずっとずるずると商品だけを作り続けるだろうと感じていたからです。週刊SPA!さんのWEB版で連載のチャンスを頂き、「世界一周花嫁探しの旅」を書きながら旅をする事にしました。
文章の世界は映像よりも圧倒的に自由でした。何しろ予算を気にする必要もありません。飛行機を宇宙から撮影するのも文章なら無料です。文章を書く面白さを初めて知りました。しかしながら、連載はお金を頂きながら書いた商品です。それでも、ほんの少しだけ作品に近づきました。
3年7ヶ月の旅が終わって4年が経ちました。色んなことが熟成しました。
10ヶ月かけ、旅の間書いた文章を、ほぼ書き直し、アフリカ編を含めた大幅な加筆をしました。8年かけ、自らお金を投げ出し、時間をかけ、移動をし、日本に帰国しても更なる時間をかけ、執筆をしました。規則正しい修行僧のような生活を送っていました。
「ようやく人生初の作品を創ることが出来ました。タイトルは『花嫁を探しに、世界一周の旅に出た』です」
29歳のような若々しい作品になっています。お時間あれば、是非手に取ってご高覧いただけますと光栄です。

著者紹介

後藤 隆一郎
1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。


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