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存在、在り難し。第2話

前回記事の続き。

幼稚園のいじめをキッカケに、私の根性は曲がりに曲がった。
特に、小学校から男子に対して尖りに尖っていた。少しでもからかいや悪口を言われると
「うるさい死ね」
と返すようになった。当然、また嫌われた。時には男子から殴られもした。それでも私は、男子に媚を売るような真似を決してしたくなかった。
女子に対しても、さほど信頼感も無かった。何故なら、私のいじめを見て見ぬふりをしていたから。女友達に対しても、常に一線を引いていた。
『誰も私を助けてくれない。関心などない』
という心が常にあった。しかし、そんな生活にも限界が訪れる日がやってきた。

中学生になった時、私はまた絶望した。何故なら、私の通う中学は市内で5本の指に入るぐらい荒れた中学で有名だったのだ。
男子どころか女子も信用できない、いじめもある、常識をはるかに超えた不良もいる、学校の先生はストレスで倒れる、見ていられない有様だった。
そして中学1年の冬ぐらいに、私はリストカットに手を染めるようになった。

2年に進級した時、職員室に向かう途中『相談室』と呼ばれる部屋の存在を知った。
扉の前の張り紙を見ると、こんな感じの文章が書かれていた。
『何でも気軽にお話ししてください。お聞きします』
ということがザックリと書かれていた。文末には『臨床心理士 ○○○○』という肩書きと女性の氏名が記載されていた。
そして私は淡い期待を抱いた。
『ここでなら、何でも話せるかもしれない』
という期待と不安が入り混じった感情を抱き、その臨床心理士が来る次週の木曜日を待った。

木曜日当日、私は相談室のドアの前で固まっていた。
私「本当に話して大丈夫だろうか」
とてつもない不安と緊張感でいっぱいだった。しかし、意を決して相談室のドアをノックした。
「はーい」
という返事と共に、女性がドアから出てきた。
私は驚愕した。もっと年配の女性かと思っていたが、「同級生の年の離れたお姉さん」といっても差し支えないような若い女性だった。
「どうぞ、中に入ってください」
笑顔でそう私に話しかけ、私を部屋の中へ促した。
部屋の中にはテーブルと椅子、後はちょっとした本やボードゲーム的な遊び道具もあった。
その臨床心理士さんとテーブルで対面で座った。座ったはいいが、私はしばらく何も話し出せなかった。見兼ねたのだろうか、臨床心理士さんの方から話を振ってくれた。
臨「今日は来てくれてありがとう。もしかして、私に何か話してみたいことがありましたか?」
穏やかな表情で、そう問いかけてくれた。そして私はこんな言葉を開口一番に口走った。
私「実は、友達が自分で手首を切ってるんです」
何を言ってるんだ、と自分でも呆れた。私は恥ずかしさと惨めさのあまり、自分のリストカットの件を他人の事として話をした。いや、それにしてもきっと
『何それ気持ち悪い、そんなことは止めさせなさい』
と言われるのがオチだろうと思った。
が、臨床心理士さんからの返答はこうだった。
臨「そうなんですね……そのお友達は、そんなに辛かったんですね」
真剣な面持ちで、そう返事をした。この言葉に、私はハッとした。
『この人になら、自分の気持ちを正直に話せるかもしれない』
何故だか分からない。理屈では説明できない。しかし、本能的に私はその臨床心理士さんを『安全な人』と直感した。でもその日はあくまで友人の話として、相談室を後にした。

そしてまた次週の木曜日、私はまた相談室を訪れた。
同じくテーブルで対面で座り、臨床心理士さんに私はこう話した。
私「実はこの前の話なんですが……嘘なんです。手首を切ってるのは、私のことなんです」
激しく気まずかったが、何を言われても良い覚悟で打ち明けた。臨床心理士さんは、また真剣な面持ちでこう話し出した。
臨「そうだったんだね……正直に話してくれてありがとう。すごく辛かったよね。痛かったよね」
私は驚愕した。
『辛かったね、痛かったね』
こんな言葉を私にかけてくれる人がいるのだと。信じ難い現象だった。担任も同級生も無視を決め込み、気味悪がるこの私に「辛かったね」と。親にもかけられたことのない言葉だった。
『共感』
という事象を初めて味わった。
この翌週、私はまた相談室を訪れ、その臨床心理士さんを
『先生』
と呼ぶようになる。

(続く)

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