見出し画像

「何を思う?何が言いたい?」


昨日紹介した

高根正昭著・「創造の方法学」からもう一つ良い内容があった。

それが

記述と説明の違いだ。


学者の研究における

記述と説明とは本質的には異なるものだという。

つまり、説明の方が記述より高度な研究をしていることになり

学者は説明をするように努めなければいけない。


じゃあ、記述と説明の大きな違いは何なのか?

それは、なぜ?という問いかけがあるかどうかだ。


記述的研究の場合、

ある現実の現象に対して今はどのような状態なのかを正確に観察しそれを客観的に記録しなければいけない。

正確で客観的な観察と記録を続けることは当然大きな仕事だし、研究者にとっては基本中の基本であり最も大切な作業の一つだ。


ただ、正確で客観的な観察と記録だけでは

なぜ?という疑問に答えるものにはならない。


例えば、社会学では自殺率の研究が行われる。

その自殺率を年単位だけじゃなくもっと細かく一月毎、一日毎に記録する。

それ以外にも、国・地域差や年齢別・性別でも記録していく。

この作業をすることであらゆる傾向を知ることができるが

これだけでは、なぜ自殺率が増える(若しくは減る)のか?

という疑問に答えるものにはなっていなく

ただの記述的研究で終わってしまう。


記述に対して説明的研究とは

なぜ?という問いかけを発し

結果と原因を論理的に結びつけるものだ。

A国よりB国の方が自殺率が高いことを実証することが説明的研究ということ。


それでも、説明をするには記述は絶対不可欠だ。

説明とは原因と結果を結びつけるものだから

正確な記述がなければ信頼できる説明はできないからね。

大切なことは、現象を理解することだから

ただの記述だけで終わらせず説明を行うということだ。

研究者にとって記述的研究と言われることは侮辱に等しいらしい。笑



つまり、記述をしているだけでは

で、結局なに?だから?

と思われるということだ。


研究者ではない俺みたいな凡人がこの内容を活用するなら

書くことや話す際に

結局自分がどう思ったのか?何が言いたいのか?をハッキリさせることが大切だと思った。



例えば、アウトプット力を鍛えたいと思った時に

本や映画の内容をただ書く(話す)奴がいるけど

それって全然鍛えられていないんだよね。

短くても長くてもわかりやすく書ける(話せる)のは良いんだけど

それだけで終わっちゃダメなんだよ。


インプットした観た聴いた感じたものに対して

自分はどう思ったのか?そして何が言いたいのか?を

自分の言葉でしっかり語らないと

アウトプット力は鍛えられないし、自分の言葉を扱えるようにはならない。


成功者の言葉をそっくりそのまま語ったところで

それはただの二番煎じの劣化版だ。(二番でもないかもしれない。)

重要なことは何を言うかより誰が言うかなんだからね。

成功者の言葉を血肉にしたいならそっくりそのまま語ることじゃなく、

その言葉を聴いた通りに素直に行動して、その結果自分がどう感じたのか?を語るべきだ。



何を思う?何が言いたい?

ハッキリ自分の言葉で扱え。



この記事が参加している募集

#推薦図書

42,486件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?