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「少しは疑え。」


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現実から目を背けていたら、いつまで経っても現実は変わらない。


現実を見ることの大切さを知りたいなら読んでみて!



では、本題。

デカルト著・「方法序説」を読んだ。

近代哲学の父と知られる哲学者が書いたのがこの本。

彼が生きた時代は、宗教改革で教会の権威が弱まっていって、科学や数学などの学問が発展していった時代。

つまり「信仰重視」から「理性重視」への転換。


その理性重視の時代に、理性の力で絶対的な真理を掴もうとしたのがデカルトだ。


数学者として今でも使われる「x軸、y軸の二次元座標」を考え出し、

哲学者として「我思う故に我あり」という言葉を残したまさに近代哲学のスーパースター。

”絶対的に正しい真理”を見つけ出そうとし、”疑っても疑っても疑いきれないもの”がその条件と考え、

ありとあらゆるものを疑いまくった「懐疑」のオーバーワーカーでもある。


疑いすぎだろ!って思うくらい疑う彼の基本的な姿勢は素晴らしい。


そして特にスゴいなと思ったのが、既成の学問をすべて学んだうえでそれをやっていることだ。


それぞれの分野の良さを認めつつも、ちゃんと疑い批判するところは批判する。


そのうえで新しい学問の「方法」を提示し、真理を見出そうとしたんだよね。



その時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ。
後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるためである。


と書いてあったけど、この作業は情報が溢れかえっている現代に必要なことだ。


さらに、

古い基礎の上だけに建設し、若いころに信じ込まされた諸原理にだけ、それが真かどうか吟味もせずに依拠するより、このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた。


と続いているけど、これも超大事。


つまり、自分が正しいと思っているものを一度取り出してみて吟味してみようってこと。


これを理性的に、素直にできるって簡単じゃないよね。


だってその人の正しさって絶対的に近いものなんだからね。



じゃあなんでこの作業が現代に必要かと言うと、あまりにも現代の人が疑っていないからだ。

というか、自分で調べないからだ。


もっというと、何も考えないからだ。

人間は受け取った情報をひとまず正しいと思い込む傾向があるとはいえ、受け入れすぎている。


だからデマ情報に惑わされるんだよね。


ネットで簡単に情報が手に入るとは言え、それはウソかもしれないでしょ。


それにそもそもネットに全てが載っているわけじゃないしね。


情報を吟味しないで受け入れるって結構恐ろしいことなんだよね。

それに、一度取り出し吟味するって作業は自分で考えなきゃいけないから思考力もつく。そして感性が磨かれスタイルが出来てくるんだ。

だからこそ、何を信じているのか?何を正しいと思っているのか?何に納得しているのか?を把握する必要がある。


すぐ受け入れるな。

一度取り出し、吟味しろ。

少しは疑え。



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