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「未来を信じるな。」
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では、本題。
三島由紀夫著・「若きサムライのために」を読んだ。
著者の対談・メッセージ・エッセーをまとめたこの本は、
小説とは違って著者の思想がよくわかるし、鋭い視点や言葉を読むと背筋がピンとなる。
人としての「あり方」を学べるだけじゃなく、
当時の社会問題や日本の政治をどう見てどう考えていたのか?を知ることができる。
自分が若きサムライだとおもうなら読むべし。
中でも東大の学生運動について語った章では、
「未来を信じるヤツはダメ」
と書かれていて、説得力があり、かなり納得した。
著者は、「今日より明日」といった未来を信じる考えがキライだという。
その理由は、
未来のためなら今を犠牲にしてもかまわない、むしろそれが正義だ。
といった一つの考えに陥るからだ。
未来の自由のために今暴力を使うとか、
未来の自由のために今不自由をガマンするとか、
その考えは「欲しがりません勝つまでは」と同じことで、
それを「国民決意の標語」にして戦争した結果、大惨敗して懲りたはずではないのか、と。
これはかなりハッとさせられたな。
俺も含めて多くの人は、等価交換「みたいな」考えをよくする。
結果のためにガマンとか、将来のために節約とか。
たしかにわからなくもないんだけど、結局、結果も将来も未知で約束されているわけではない。
だって、ガマンしたから結果が出るわけでも、節約したから将来が安定するわけでもないでしょ。
絶対とは言えないわけだ。
だったら、よくわかんない未来なんて考えず、もっと今を真剣に生きればいいんだよね。
それにあえて「」で括ったように、そもそも結果のためにガマンや将来のために節約といった考えは等価交換ではない。
あくまでも「みたいな」ものだ。
”未来を信じないヤツこそが今日の仕事をするんだよ。
現在ただ今しかないという生活をしているヤツが何人いるか。
現在ただ今しかないというのが「文化」の本当の形でそこにしか「文化」の最終的な形はないと思う。”
と書いたあったけど、その通り。
結果も将来も未来にあることだから、それを気にしていたら今を生きられない。
よくわかんない未来のために今をシブるなんて生き方をしてたら、小さく終わっちまうんだ。
さらに、
”バカいえ、未来はオレに関係なくつくられてゆくさ、オレは未来のために生きてんじゃねェ、オレのために生き、オレの誇りのために生きてる。”
とつづく。
そう、未来なんて自分にも誰にも関係なく勝手につくられていくんだよね。
だから将来のためにガマンとか犠牲をするんじゃなくて、
今を生きるためにこの瞬間をどうするか?を常に考えて行動するべきなんだ。
なにも著者は希望を持つなとは言っていない。
未来のために今を犠牲にするなと言っているんだ。
誰が言ったのか詳細はわからないけど、
「明日死ぬかのように生きよ。 」という格言がある。
著者が言っていることはつまりこういうことだ。
実際、本の中でも
”小説家にとっては今日書く一行が、テメェの全身的表現だ。
明日の朝、自分は死ぬかもしれない。
その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。”
と書いてある。
もし、明日死ぬなら今を犠牲にはしないでしょ。
真剣に今を使うはずだ。
未来のために今を犠牲にするな。
今を生きろ。
未来を信じるな。
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