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橙色は止まらない

黄色を探して飛び乗れ。椎名林檎の曲「メロウ」の冒頭、この歌詞が中央線と総武線を意味していると随分前に何かで読んでいまいちピンと来ていなかったけれど、それが今や通勤定期券内でめちゃわかる。そうやって椎名林檎の歌った東京がいつのまにか生活の一部になっている。それに気づけた自分に私は嬉しくなって、中野行を見送って三鷹行きの総武線を待つ時間も、悪くはないって思えるのだ。



椎名林檎を、尊敬してやまない。

でも聴くようになったのは遅い方。確か私が大学生のときで、ちょうど大学進学のため東京に出て来て、東京が身近になり始めたころだった。

大学入学したての私は、さっそく文学部としての壁にぶち当たっていた。言葉で表現することの難しさを改めて感じる毎日。高校までは読書感想文なんていくらでも書けたし、書けば必ずハナマルがもらえた。それなのに大学に入っての初めての授業では、「読書感想文は高校生まで。大学生は批評を書きなさい。」と言われ、いきなり「音楽を批評せよ。」という課題が出された。その題材となったのが、東京事変のアルバム「大人(アダルト)」だった。

最初は、「なんで好きでもない歌なんて聞かなきゃならんのだ」と仕方なしにTSUTAYAでアルバムを借りて(このとき「教育」も借りた)、初めて聴いたときは良さがわからなかった。なんか難しいこと言ってるなあ、くらい。結局課題ものらりくらりと適当なことを書いて、それからしばらく聴いてなかったのに、ある日改めて聴いてみたら、

かっこいい。

急に、そう思えてしまったから不思議。

多分、私は「生みの苦しみ」を知ったからこそ、椎名林檎の歌に感動できたのだと思う。文学的で情緒ある歌詞を書き、そして作曲までする。そんなこと出来る天才と、同じ時代を生きているんだ。そうただ純粋に感動したし、尊敬したし、その才能がうらやましかった。そうやって東京事変から椎名林檎を知った私は、それから言わずもがな椎名林檎名義のアルバムも借りて、毎日それしか聴いていない時期がありましたとな。

そんな私は、椎名林檎に「東京」を教えてもらった。

就活中に乗った丸の内線では、丸の内サディスティックを聴きながら池袋で下車、天現寺方面の道路案内を見かけて、本当に実在する場所なんだと思い、新宿の交差点では伊勢丹を見上げながら新宿は豪雨だった(かもしれない)。

そして何より、東京は正しくない街だと。

私は、椎名林檎みたいな歌手を、好きになるのが怖かった。だから、好きになると思っていなかった。

愛、平等、平和、努力、夢、個性。高校生までの私は、そんな言葉を使ってお手本のような文章を書き、それらを疑いようもなく正しいことだと信じていた。正しい自分は、正しいものを好きでなくてはならない。ナースでもないのにナース服を着て挑発的な紅をさし、足でガラスを蹴破るような、真っ黒なアイメイクで車を真っ二つにするような、見るからに人を選ぶ歌手を、その当時の私が好きになるはずもなかった。

そんな私が、なぜか椎名林檎を好きになった。椎名林檎の曲から学んだこと。「正しさ」は「正しさ」の中にだけにあるものではない。むしろ、「正しさ」の中に「正しさ」はないことが多い。

椎名林檎は、私がまだ「愛、平等、平和」とか言ってた頃に、「正しい街」という曲を作った。「正しい街」が故郷だとしたら、東京はその反対、ほとんどの人にとっての「正しくない街」。

でも、きっとそんな「正しくない街」東京にいたから、「正しい街」を見ることが出来た。私にとって椎名林檎の歌は「正しくない街」なのかもしれない。過激でトリッキーで、決して褒められるような内容の歌詞ばかりではない。でも、どの曲も美しいし、正しいし、真理である。

だから、私は椎名林檎が好き。

一度はサポートされてみたい人生