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大企業のカーデザイナーがITベンチャーのUI/UXデザイナーに転職するまでの話

昨年2019年は人生のターニングポイントっぽい年でした。

新卒から3年半カーデザイナーとして勤めた日産自動車を退職して、UI/UXデザイナーにジョブチェンジ。

12月からイタンジというITベンチャー企業でwebプロダクトの開発に携わらせていただいてます。

人生初の転職かつ別業界へのシフトで、なかなかに目まぐるしい日々で、気づいたこと・考えたことがたくさんあった2019年。

振り返りもかねて記憶の新鮮なうちに、印象的だったことやその時の心情を時系列で解像度高く書きつづっておきたいと思います。

これから転職を考えている人の「気持ち面」で役に立ったら嬉しいです。


2019年1月 JAID「1kg展」@GOOD DESIGN MARUNOUCHI / 転職するきっかけのひとつ

「日本国内自動車メーカー各社のデザイナーが集まって、メーカーの垣根を越えてクリエイションをしよう!」みたいな活動に2018年4月くらいから参加しました。

そして、2019年1月に「1kg展」というタイトルで展示会を行なった次第です。

思い返してみると、これもひとつの「転職をするきっかけ」だったと思います。

というのも、この活動を通して久々(約3年ぶり)にクルマ以外のモノをデザインして作りました。

しかも、大学で研究中の学生さんや3Dプリントメーカーの方々など、普段の仕事では決して関わることのない人たちと協力して行う「非営利目的のクリエイション」

それでもプライベートの時間を割いて参加するメンバーの動機は至極単純で「おもしろいモノづくりがしたいから」

ときには仕事を終えたあとにファミレスに集まってミーティングをしたり、展示会直前には夜通し作業をしたりと、学生のころに戻ったような気持ちで作品作りに明け暮れました。

作品の発案者であるにもかかわらず、本業が佳境でなかなか作品作りに注力できないときには、チームの先輩デザイナーが作品の機構づくりやデータの作成・関係者とのスケジュール調整などに尽力してくださり、なんとか作品の実現まで繋いでくれたことには、ただただ感謝ですし、小さなチームというものの素晴らしさ・楽しさを強く感じた出来事でもありました。

約半年という短い期間で「アイデアの発案から実現、展示会を行い来場者の方々から感想をいただく」といったひと通りの過程を経験して「もっと早いスピード感で、もっとお客様と近い距離感で、価値創造がしたい!」という気持ちが芽生えてしまったのです。

一般的にクルマのデザイン開発はスタートしてから世に出るまで4〜5年かかります。

普段、そのくらい遠い未来を見据えて行なっている仕事とのコントラストが印象的だったんです。


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2019年2〜4月 昇格と苦悩 / キャリアカウンセリングを受けてみる

2月ごろに昇格試験(小論文と実績プレゼン)を受けて、4月に昇格させていただきました。

自分のやってきたことが認めていただけた。それと単純に年収が上がった。という点で素直に嬉しかったです。

しかしながら、昇格後しばらくして、疑問や違和感を抱いたり、デザイナーとしてのキャリアに悩んだりする苦悩の時期がやってきます。

「十数車種のデザインに携わってはきたものの、まだ開発の初めから携わったクルマが世に出ていない自分」がなぜ昇格したのか?

自分は社会や会社にどういった価値を提供できているのか?

自分が毎月いただいているお給料って何なのか?

といった疑問や違和感が次々に湧いてきて、仕事に身が入らなくなっていきました。

いわゆる「事業・仕事を自分ごと化できていない」という状況ですが、「1車種の開発に4〜5年の時間がかかり、毎年数千人単位の人間が、入れ替わりながら携わる、巨大なモノづくり」を自分ごと化するのはそう簡単ではない気がしてならぬのです。

今は難しくても、数年後・数十年後、マネージャーやディレクターになれたとしたら自分ごと化できるかもしれない。

とはいえ、それにはどんなに早くともあと10年以上はかかるだろう。そのころに自動車産業はどれくらいの規模と需要があるのか?

というか、もし万が一、明日会社が無くなったとして、今の自分にどれほどの市場価値があるだろうか?食べていけるのだろうか?

そう考えをめぐらせると「大手自動車メーカーのインハウスデザイナーひとりでしかない自分」に急に危機感を覚え始めました。

悩みを妻に話したところ、知り合いの人事スペシャリストの方にキャリアカウンセリングをしてもらえる機会を設けてくれました。

キャリアカウンセリングの内容を要約すると

・20代後半の工業デザイナーとして今以上の年収をもらえる会社はおそらくない

・自動車のCMFデザイナーはスキルとして特殊すぎて異業種へ転用が難しい

・それでも年収アップの観点で異業種への転職を考えるなら、戦略コンサルくらいしかなさそうだけど学歴と年齢を考えると選考のハードルは高い

自分が井の中の蛙であったことを気付かされて、危機感が3倍くらいに膨れ上がりました。


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2019年5月 戦略コンサルへの転職を考えてみた

そして、アドバイスを参考に戦略コンサルへの転職を考え始めます。

「将来自分で事業をやりたい」という思いもあったので、ビジネスの根幹に触れられるであろう戦略コンサルという職種への転職は、なれるかどうかは別として、けっこう乗り気ではありました。

友人から戦略コンサルで働いている方を紹介してもらったり、戦略コンサル専門の転職エージェントに相談したりして、準備と勉強を進めていきます。

しかしながら、深く知れば知るほどに「自分のやりたいこととは違う気がする、、、」という感覚。

戦略コンサルではなく、デザインコンサルはどうだろうか?と思い、国内のデザインコンサルファームでカジュアル面談をさせていただいたものの、やはり「なんか違う、、、」という感覚。

そしてそれ以上に、話すたびに感じる「今まで培ってきたクルマのCMFデザインという専門スキルは一部の小さな領域でしか発揮されない、需要の小さなものである」という無力さ。

せっかく望みを見出したコンサルへの転職挑戦計画でしたが、自己理解の至らなさと実力不足から儚くもついえてしまいました、、、

しかし一方で、それまでの自分の気づきから、おそらく自分は「外側から課題解決の提案や開発の伴走をする」のではなく「自分自身が事業やプロダクトの内側で開発に携わって価値創造をしたい」のだと気付きました。

同時に「もっと広義な意味でのデザインの力とそれを証明する実績を作っていかなければならない」という課題も見つけられました。


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2019年6月 IT業界・エンジニアという職種と出会う / プログラミング学習とSNSでの発信開始

前職では職場のデザインスタジオまで自宅から片道2時間かかったので、仕事が忙しいときには会社近くのカプセルホテルに泊まることがたまにあったのですが、この時期カプセルホテルに泊まると、1畳くらいの寝床で横になり、ネットサーフィンしながらキャリアについて考えるのが日課になっていました。

そしてweb系のソフトウェアエンジニア とださん のブログを見つけて、IT業界・エンジニアという職種をまじまじと知ります。

プログラミングといえば「大学の研究で必要なUIをコピペでつなぎ合わせてつくった」くらいだったので、実際のところ何ができて、社会のどんなところで役立っているのかいまいち分かっていませんでした。

でも、よくよく考えてみたら生活のあらゆるところにあって、間違いなく現代社会を形作っているものです。

今、手に持っているスマホも、その中のアプリも、仕事で使うパソコンもデザインソフトも。エンジニアがプログラムを作っているから動いている。

しかもそれらは、リリースしてユーザーの手に渡ったその後も日々アップデートを繰り返しながら、より良いものへと進化していく。

自分が求めていた「速いスピード感で、お客様との距離感が近い場所での価値創造」はきっとここにある!と感じて、IT業界へのシフトを目指し始めました。

ただ、目指すとは言ったもののデザイナーとしてなのか、エンジニアになるのか、についてはこの時点では考えられていませんでした。

とにかくまずは「IT業界を知りたい」「プログラミングの知識とスキルを身につけたい」の2つだけを頭においてプログラミング学習を始めたのです。

それと同時に、情報収集や「自分の学習の記録を残す」「モチベーション維持」といった意図でTwitterでの発信を、

「デザイナーとしての知見やスキルを棚おろしする」という意図でブログとnoteも始めました。

(※現在はブログをnoteに統合しました。複数の媒体を管理するの非効率というか大変だったので。)


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2019年7月 プログラミングスクールに入校 / 退職願提出

プログラミング学習の入り口としてお馴染みのprogateをやり始めて1週間。

「もっと本格的にプログラミングを勉強したい」と思い、プログラミングスクールtechboostのカウンセリングに足を運び、

・プログラミングを学んでどうなりたいのか?

・その先どんなキャリアを描いているのか?

などの相談と同時に、

未経験からのエンジニア転職の現実

・おそらく現年収から半分以下になる

・自社開発の企業に転職するのは難しい など

を教わりました。

当時の僕の中では、年収が下がることよりも「IT業界にシフトすることでできるであろう仕事の楽しさへ期待値」の方がはるかに上回っていたので、とくに臆することもなく、スクールを3ヶ月間オンラインで受講することをその場で決めました。

(年収半分以下になるかもだけど楽しそう!って笑顔で家に帰ったら、妻にこっぴどく叱られました。)

そしてその数日後には、退職の意を上司に伝えていました。

今思えば、完全に見切り発進です。

その後の進路に保証があったわけでも、貯金があったわけでもなく、「自分の退路を断つ」という意図が大きかったです。

ただ、なんとなく「うまくいきそう」という根拠のない自信だけはありました。

(次の収入源を得られるまでの生活費の計算とかしていなかったので、またもや妻に叱られました。)


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2019年8月 「ヒマ」と「申し訳なさ」がストレスで体調悪くなる

退職が正式に決まった後、当然ですが新しい仕事が振られることはなく、日に日にやることがなくなっていきます。

手持ちの仕事を引き継ぐ準備や身辺整理は1週間ほどで終わってしまい、それまでは短く感じていた1日が「精神と時の部屋か?」ってくらいに長く感じるようになりました。

また、退職することは上司と一部のメンバーしか知らなかった(会社のルールで、正式なアナウンスがあるまで言っちゃダメだった)ので、プロジェクトではいつものように、来月や来年など未来を見据えた話をします。

だけど、その未来に自分はいない。それを自分しか知らない。

だからこそ「あまり不容易に期待させてしまうようなことは言えない」という申し訳ない思いを抱えながら長い1日を何日も過ごしました。

さすがに耐えきれなくなり、1日にひとりずつくらいのペースで、時間をもらって退職する旨の説明とお礼をしていきましたが、先輩方の残念そうな顔を見るたびに申し訳なさも余計募っていきました。

自分はわりとメンタルが強い方だと思っていたのですが、そういった日々が続くと身体の方がもたなくなるようで、動悸が激しくなったり、息が思うように吸えなくなったり、といった不調が出始め、通院をしながら働きました。


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2019年9月 日産自動車株式会社を退職 / 自分のなりたい姿を決心する

夏休みを挟んだおかげで体調は元に戻り、無事、最終出社日まで勤めることができました。

そして、緊張のニート生活が始まります。

手元の貯金でどれくらい生活ができるのかを計算すると半年くらいは生きていける。予定だった。のですが、税金・年金・国民健康保険などの計算を忘れていて、結局たったの3ヶ月で貯金が底をつきました。

(もちろん妻に叱られた。雇用保険の再就職手当がもらえなかったら死んでいた。ありがとう雇用保険。ありがとう日産。ありがとう3年半働いた自分。)

退職した翌週、すぐさまに作りかけのwebアプリ「コミットさん」を一気に仕上げてリリースしました。

そして、コミットさんを片手にエンジニアが集まるミートアップや勉強会・イベントに毎日参加し、現役エンジニアの方々や、ときにはCTOの方からアドバイスをいただきながら歩きました。

「未経験から学習3ヶ月で作ったこと」「リリースをして100人くらいの人に遊んでもらえたこと」などについてポジティブに評価してくださる声があったものの、それらよりもシビアな意見の方が強く印象に残りました。

「これはユーザーのどんなペインを解決しているのか?」

「狙っているターゲットと機能が広すぎる」

「そもそも収益化したいものなのか?」

「たくさんの人に使ってもらえればそれでいいのか?」

ビジネスの第一線でwebサービスを開発しているエンジニアの方々の声にとても身が引き締まりました。

そして、一番心に響いた質問が

「エンジニアになりたいのか?デザイナーは辞めるのか?それとも両方を同じくらい極めたいのか?」

この質問にその場ではうまく答えられなかった。決心ができていなかった。

自分がITの世界に飛び込んで「どうなりたいのか」を考えられていなかった。

「デザインもエンジニアリングもやりたい」

そのくらいのぼんやりとしたやりたいことの願望だけはあったものの、もっと具体的に自分のなりたい姿をまだ想像できていませんでした。

これをきっかけに自分がこれまでに歩んできた道、考えてきたことを過去のnoteや経験・記憶をもとにじっくり振り返り、これから自分が「やりたいこと」と「なりたい姿」をビジョンとして言語化しました。

やりたいこと
「デザイン × エンジニアリング で、急成長産業のさらなる成長や 0 → 1 の価値創造に寄与したい」
なりたい姿
「デザイナーが職能の壁を超えてさらなる価値を発揮するロールモデルの一人になりたい」

自分の軸足をデザイナーにおいてキャリアを歩むことを決心したのです。


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2019年10月 ポートフォリオサイトを作りながら転職活動開始 / 50社以上にカジュアル面談申し込んで企業訪問の日々

決心さえできればあとは行動あるのみ。

Wantedlyに登録して「UI/UXデザイナー」で検索するところからはじめました。それと同時にポートフォリオサイト作りスタートです。

新卒のとき、はじめから自動車業界に絞って国内メーカー各社のインターンシップに参加し、その延長で入社してしまったため業界研究などをろくにしたことがなく、世の中に会社が何千何万とあることにまず驚きました。

そういった点でも井の中の蛙です。

募集要項とコーポレートサイトにじっくり目を通し、事業内容や組織の風土について興味が湧いた企業にカジュアル面談を申し込みまくりました。

50社以上に申し込みをして、会ってくださった企業は半分の約25社ほど。
平日ほぼ毎日、企業訪問で都内各地を駆けまわりました。

その企業がweb上に公開している情報を前日に読み漁り、情報を整理しながら訪問・面談を繰り返す日々は、知的好奇心が満たされていくような感覚で純粋に楽しいものでした。が、貯金の残高が減っていくのを見るたびに緊張感は高まっていきました。

「就職するのではなく、フリーランスとしてやって行けるのではないか?」という考えもありましたが、3年半クルマのデザイン一筋でやってきて、公開できる製品が未だほとんど世に出ていないインハウスデザイナーがひとり丸腰で大企業を飛び出して、なんの繋がりもない状態から、生きて行けるだけの仕事を取ってくるのは当然簡単なことではありません。

(フリーランスで何年もデザイナーやっている人はすごいです。ほんとに。)

また、退職してから個人でwebアプリを作ってみたり・知人の仕事をデザインで手伝ったりもしてみましたが「一人でできることの大きさには限界がある」と強く感じました。

「速く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」

というアフリカのことわざがありますが、まさにその通りなんですよね。

これらの経験と気づきから

「企業・組織に属して、ひとりでは実現できないような大きな目標を追いかけながら、個人での発信や活動も行って自分から見える範囲の人たちも笑顔にする」

そういった生き方をしたい。と思うようになりました。


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2019年11月 絞った4社にエントリー / 第一志望で内定獲得 / 転職活動終了

カジュアル面談を繰り返し、組織の風土や事業内容が自分のビジョンと一致していると強く感じた企業4社にエントリーしました。

選考の結果は
2社 落選
1社 内定
1社 辞退

第一志望のイタンジから内定をいただくことができ、なんとか無事に転職活動を終えることができました。

選考にエントリーしたのは4社でしたが、たくさんの企業訪問・カジュアル面談を通して、多くの方々とのつながりを作ることができ、中には「業務委託や外注という形で仕事をお願いしたい」と仰ってくださる方々もいたりと、就職・内定以外にも得るものがたくさんありました。

今ここにあるのは、1年前の自分が想像もしていなかったような未来だと思います。


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おわりに

大企業のカーデザイナーがITベンチャーのUI/UXデザイナーに転職するまでの話でした。

ありきたりな感想ではありますが、こうして振り返ってみるとひとつひとつの出来事と行動が次へと繋がって続いて今があるんだなと思いました。

・不安や悩みを抱えながらでも、行動

・簡単にはうまく行かないけど、行動

・とにかく行動、そしたら道が見えてきた

転職がうまくいくノウハウや情報ではありませんが、これから転職を考えている人の「気持ち面」で役に立ったら嬉しいです。

転職後の話も別の機会に書きたいと思います。

運よく無事、転職することができたから言えることかもしれませんが、こうやって自分の人生の「これまで」と「これから」を腰を据えてじっくりと考えながら次へとつなげる行動ができたのは、一度会社を辞めてつくった「無職の期間」があったからだと思います。

そして、僕の悩みや思いを理解してくれて、ときには厳しく一緒に人生を考えてくれる、支えてくれる妻の存在が何よりも大きかったです。

本当に感謝。ただただ感謝です。いつもありがとう。これからちゃんと稼ぎます。

つづく

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