◎1 カイヒセイパーソナリティショウガイ?
私の身体は、ギプスでがちがちに固められています。
だから、足を前に踏み出すことができません。身動きがとれないのです。
そのギプスの名は、「恥」です。
例えば、こんなことがあります。
「え?自分もあてはまるぞ?」と感じる方もいると思います。
こういうことは、別にパーソナリティ障害でなくとも、生じます。
人間生きていれば、1度くらいは、「回避したい」という感情を抱いたことがあるはずだからです。
例えば、アルバイト先で、
自分のミスではなかったのに、店長にこっぴどく怒られたとします。
帰ってからも、もやもやした感情が頭を離れず、イライラが止まりません。
そして、次の出勤日が来ました。そのとき、こう考えると思います。
「今日バイトに行ったら、また理不尽に怒られるかもしれない。
だから、行きたくない!家でゴロゴロしていたい!」
そして結局、足が向かず、「辞めます」と電話をかけました。
これが、回避です。
回避は、人間に備わった、自分を守るための機能です。
安全を確保するための、真っ当な方法です。
特別に異常な人間でなくとも、することがあります。
でも、その傾向が、挫折や傷ついた経験を材料として過度に強まり、
社会生活を送る上で大きな支障をきたすほど対人パターンが偏った状態を、回避性パーソナリティ障害というらしいです。
もっと、さらっと綺麗に、「回避性」を定義している人がいます。
私の身に起きていることの話をしようと思います。
電車に乗っているときはいつも、こういう思考に支配されます。
私の服、何か変じゃないだろうか?大きいゴミとかついてないだろうか?
いま、誰かにとって邪魔な位置に立っていないだろうか?
高校生がきゃっきゃと談笑しているけれど、それって私のことを笑ってるんじゃないだろうか?
昔の自分の失敗のことを知っている人が、この車両にいたらどうしよう?
あの人の後ろ姿、ちょっと似てないだろうか?
耐えられなくなり、ついに次の駅で降りてしまう。
ひとりになって、とんでもなく安堵している自分が居ることに、気づく。
目的地があったはずなのに、行くことを諦めて引き返し、
またひきこもりの人生に逆戻りする。
きっと誰も、私のことなんか見ていなかったのです。
服にゴミがついていたとしても、「ああ、なんかついてるな」で終わる話です。
誰かの邪魔になっていたとしても、そこまで気に留めないはずです。
高校生は、彼らの世界で楽しい話を広げていただけです。
自分のことを知っている人が同じ空間にいる確率はとても低いです。
万が一いたとしても、私のことなんか記憶の片隅にもありません。
そんなの頭では分かってる。
あまりに些末なことを気にしているのは、嫌なほど理解している。
自意識が中学生並みにむき出しなことも、分かってる。
でも、どこにいても、何をしても、
私は何か恥ずかしいことをしていて、それを他者は嘲笑しているような気がしてたまらない。
四六時中、「いま『変なやつ』になっていないだろうか?」ということに神経を尖らせてしまうのです。
それってすごく、もったいないことのように感じます。
その時間、もっと他のことに使えない?って思うのです。
そうですね。その通りだと思います。頭では、分かってます。
でも、無理なもんは無理です。
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