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最近の記事

Padron 14 「min video」

今回の神託、「min video」…だったっけな?ということで、今までは展示、シルクスクリーンと、何かと物理で宿題を提出していましたが、今回はひとまず映像というメディアでお題が出ていたので、ここでいつも自分が接しているCGで作ってみることにしました。 ただ単に映像だと幅は広く、と言っても自分はほとほと映像が苦手(ストーリーやコンテクストを映像に落とし込むというのがめっちゃやること多くて大変すぎる)できないんだなーと思っているので、この機会にかこつけて、今自分が気になっているツ

    • Padron™ 12 Printed

      Printed・印刷物ということで、どうしようか、そういえば最近出会った人がTシャツを自作していて、どこで作っているんですかと聞くと三鷹にシルクスクリーン印刷でTシャツを作れるところがあるんですよ〜と教えてくれたので、興味が出ていたことを思い出し、それでTシャツを作ってみようと行ってみました。 CORNER PRINTING SELF 三鷹店 印刷する内容については、神託にあやかり、自動筆記的に描いた絵をプリントすることにした。無意味、無意識のまま即興で書いたものがTシャ

      • Padron™ 10 exibition

        去る23年9月末日〜10月初めに神託が下った。「展示をしろ」と。今の今まで「展示したいな〜」とぶよぶよしていた自分にとってそれは天啓であり、そうか。と展示をしようと思った。その記録である。 ・状況の説明 先ほども書いた通り自分は展示がしたかった。最後に展示らしい展示を行ったのは22年の2月ごろ、そこから一年半以上うだうだしていた理由は、去年に関して言えば、「フリーランスになる前だったので引き継ぎや貯金などで色々と準備しなければならなかった」今年で言えば「フリーランスになっ

        • 葬式と電車内

          もしいつか私が亡くなった時、おそらく葬式が挙げられるだろう。棺桶に入った亡骸は大抵目をつぶっている。その顔を見て参列者たちは、まるで安らかに眠っているかのように感じ、手を合わせる。 目をつぶっているということは、自分の周囲で何が起こっているかを一切感知しない、その現実の外にいるという様が見て取れる。葬式では、その目をつぶっているところから現世の外に行ってしまった私を読み取る。 電車の中だと目をつぶっているということは寝ている、あるいは考えにふけっているということでその車内

        Padron 14 「min video」

          私というアルミの筐体

          日差しがいいので公園で作業しようと思った。 芝生に座りこみラップトップを開けてみる。だんだんと作業に集中してくる。いま公園にいるという意識が頭から消えかけたその時。指先に何か気配を感じた。キーボードの間を子アリが歩いていたのだ。 それに気づいた瞬間。違和感にわなわなとなった。 私たちは道具を使って作業をしているとき、だんだんとその道具の存在が見えなくなっていく。 モニターやキーボードの存在が消えていくというか、道具と操作が体と一体になっていく。 指先はキーボードではなく、直

          私というアルミの筐体

          水風呂の歌

          水風呂。特にさくら湯。あのさくら湯の横暴なほどの湯加減、その極点にある、死の光を見せてくれる水風呂。 あたままでザブリとつかり。氷の上へ浮上するソ連の原水艦。熱せられた体幹は北極海に蝕まれてゆく。 小刻みな代謝は一点に収斂する。ドクンドクンとギアがゆっくりと沈降する。 思考が着陸するような感覚。おそらく脳内の電気抵抗がゼロになってゆき、超電導体になっているのだろう。 やがて息が舟をこぐように穏やかになる、それはまるで寝息のようだ。冷水を口から吐き出すリスと逆立ちに反射する

          水風呂の歌

          地面からキャラクター

          一元論的に言えば、この世界は数値でできている。木の分岐や葉緑体の量、石の組成と割合。たんぱく質の濃度勾配から生き物の前後、手足の形態ができ、とあるタイミングでこの世に生を受ける。変数が次々と渡されることで、自然は成り立っている。 この自然は地面があってこそ成り立っている。粉々になった星のかけらが集まり、そしてそこに太陽の光が当たったからこそ、最初の海が生まれ、最初の生物が生まれた。人間はその後に生まれた群れだ。地面が先、人間が後。 頭の中でストーリを想像するときは、その逆

          地面からキャラクター

          カレーライスのそばの地獄

          カレーライスが苦手な人がいた。どうしてと聞くと、混ぜるのが好きじゃないと言っていた。 飲食店でイヤホンをしながら食事をする人を良く見かけるが、自分はそれができない。食べ物をかむときの咀嚼音が耳に響き、それに気をとられてしまうからだ。そうなると自分が何を食べているのかわからなくなる時があって、それがとても気持ちが悪い。 食べ物というのは、見た目からすれば本来グロテスクだと思う。トマトの断面の生々しさ。生肉の断面。野菜の表面にとぐろを巻く、繊維の模様。細かい点々。匂い、音、色

          カレーライスのそばの地獄

          彼らはブレない

          すべてディスプレイの中で作られた映像。つまり、現実をカメラで撮った実写の映像ではない。PCで作られた映像には手ぶれというものがない。1コマ1コマ仔細に見ていくと。その映像の中のオブジェクトはピクセルの単位で動いて行っている。CGやアニメーションで作られた映像は、たとえ1フレームにまで細分化されても。自らの実存を保ち続ける。 一方実写で取られた映像では、動きと動きの間の残像はブレとして映像に記録される。その映像が演者を写していたとしても、そのブレを捉えたフレームは薄く伸びた色

          彼らはブレない

          身体=秘境

          眼球の中には硝子体と言う透明なゼリーのような物質で満たされているという。それまでずっと眼球は空洞だと思っていた自分はあまり信じられなかったし、今でもあまり想像ができない。目の前の風景はそのまま光として私に像を認識させているのに、その間に球状に満たされたゼリーがあるらしい。見えていないものを見ようとするのはとても難しい。 多くの人は暗闇を怖がる。光のない世界にいるととても心細いし、そこにないはずのものの存在を感じたり、点が三つ並んでるだけで闇に恐ろしい顔が浮かんでいるように見

          身体=秘境

          電波マックス療法

          昔の地下鉄は駅の中は電波が通っていたが、トンネルに入ると圏外になっていた。駅の人の気配がする明るさとトンネルの暗闇の心細さは電波の強弱とともにコントラストを強めていく。「地下鉄に乗っていて電話に気づきませんでした。」という言い訳もあった通り地下鉄というのはオフラインの世界だった。 ネットにつながっていない自分を省みると何にもないんだなとじんわり思ってくる。実際はそうではないのだが、なんだか心の拠り所がなく蒼白としてしまう。何か別のものに考える関心が向かないと、寄る辺ない自分

          電波マックス療法

          ぼやけたほこりを記号に変える魔法

          ㉚ ↑この記号を読めるだろうか?これは〇のなかに30という数字が入っている。ディスプレイによって見え方は違ってくると思うが、この最初この文字を見たときはこんな感じだった↓ わたしは今作っているもの操作説明のマニュアルを作成するためにその手順の符号として、①や②と記していたのだが、その説明が長くなってしまい、どうとう2桁まで行ってしまった。丸に数字の記号が50まであるのに驚いたが、ここまで至るのはまれだろうから、絶対に見えずらくなると考えつつもとりあえず作っておいた。というよ

          ぼやけたほこりを記号に変える魔法

          おぼろげになる力

          私は目が悪い。小学校のころから視力は0.01付近から上がることはなく、常に世界はぼやけていた。自分はそれが普通だと思い、目が悪いということを誰も言わなかった。 自分の視力が低いことに気づいたのは担任だったらしい。体育の球技でボールが取れないことを疑問に思った先生は私に眼鏡をかけることを進め、 わたしはようやく小学校3年ごろに眼鏡をかけ始めた。それが原因なのかはわからないが、私はアナログ時計が苦手だ。時計の短針と長針を読む授業の時に使われたダミーの時計が見えづらく、読み方が結

          おぼろげになる力

          【日記】虫歯

          昨年の秋、私は虫歯の治療を開始した。私は虫歯になりやすく、小さい頃からほぼ通年歯医者に通っていた。そこで正常な歯を取り戻していく引き換えに秒ごとにトラウマを植え付けられ、歯医者と聞くと条件反射で駆け足で後ずさりしてしまうような体になってしまった。 でももう僕は大人ですし、トラウマなんてやってやりますよと近所の歯医者にインしたわけです。しかし私の口内は想像以上に酷く、まるで長く内戦が続いた無法地帯のようになっていて、一番の親玉は親知らずに虫歯が穴を開けていたというもので、内戦

          【日記】虫歯

          悪魔は私の晩飯をすする

          何かを見るということは、頭の中にそのものを読み込むということである。それを認識した情報が、記憶として脳の中に生成される。そのもののイデアのようなものがシナプスの発火による神経トンネルの形成によって脳のタンパク質に物理的に書き込まれる。何かを見ると、そのもの自身の物理的な姿の他にもう一つ、記憶回路としてシナプスに刻まれた構造という物理的な姿を脳に生み出すということだ。りんごをみればりんごを認識した記憶の構造が、女優をみれば女優を認識した記憶の構造が。悪魔をみれば悪魔を認識した記

          悪魔は私の晩飯をすする

          善→人間→意識不明

          世間も寝静まった午前2時にこのテキストを書いている。窓の外は暗闇だ。しかし太陽の影響下からは常に逃れられない。朝を迎える3時間半後までこの時空は太陽の反射光である月の光に照らされる。38万キロ先の砂漠の光に私の目はかすかに反応する。 中学生の頃から私はずっとほぼ毎日この時間は起きている。宵っ張りにとって寝るということは、近い将来である明日のためにしょうがなくする仕方のないことであり、弱い強制力に折り合いをつける瞬間に私は布団に入るのである。 思えば、深夜を得るということは

          善→人間→意識不明