彼らはブレない

彼らはブレない

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すべてディスプレイの中で作られた映像。つまり、現実をカメラで撮った実写の映像ではない。PCで作られた映像には手ぶれというものがない。1コマ1コマ仔細に見ていくと。その映像の中のオブジェクトはピクセルの単位で動いて行っている。CGやアニメーションで作られた映像は、たとえ1フレームにまで細分化されても。自らの実存を保ち続ける。

一方実写で取られた映像では、動きと動きの間の残像はブレとして映像に記録される。その映像が演者を写していたとしても、そのブレを捉えたフレームは薄く伸びた色がただ写っている。そこにあるのは実存がある身体と言うよりは意識の途切れた、意図しない形の身体だと思う。

CGで作られた演者は、どんなに細かくちぎられたとしても意識は明瞭で、自らの形を保っていられる。そのようなことができる要因の一つとしては常に電力に支えられているからだと思う。0と1のスイッチで、常に有無真偽で自分の身体を観ている。そんなことはとても人間には真似ができない。1フレームごとに自らの身体の端から端までを意識すると言うことをやるのは脳のバッファがとてもじゃないが足りないだろう。

意識するということはそれを言語化できるということだと思う。私たちは「歩く」という言葉を持っているが、その間にある動作を瞬時に言葉にすることは難しい。「足をあげる」「足を前の方向に運ぶ」「足を下ろす」これが1フレームになるともっと細かくなる。「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」「足を斜めN度にNmm上げる」....「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」「足を斜めN度にNmm下げる」.....

CGの中にいるキャラクターは数フレームのうちにブレでしまう私たちどう思うのだろうか。人の顔をハイスピードカメラで捉えると、どんな大美人でも、人にはとても見せたくないような間抜けた顔をしてしまう。そういったものを観た時のような爆笑をするだろうか、それとも世界のすべて(1フレームごとに)を理解することを一つの「悟り」と表現する我々の逆をいくような彼らは、その逆である、一瞬を意識せず一連の大きな動きを意識する人間を見て、そのように「悟りたい」と思ったりするのか...


あるヨガの行者の最高位にいる者の脳波を調べたところ、瞑想中の波のサイクルが健常者よりもかなり早い周期のシグナルだったという。彼らに瞑想中のことを聞くと、「目の前のものの動いているスピードがスローモーションのようにほとんど止まっているように感じられる。」と答えたらしい。集中力を極めたところにある一つ上のフレームの世界。我々からしたらそれは「悟りの境地」とも言えるような世界だ。映像の中のキャラクターもそのような世界と思考の中にいるのか。

そんな1フレームごとに意識があるような彼らが世界のシステムに食い込み続けていて、それはどんどん人間的な世界に踏み入れて行っているのが今で、

彼らのような1フレームごとに意識があるキャラクターがプログラムとして世界のシステムに食い込み続けていて、それはどんどん人間的な世界に踏み入れて行っているのが現状である。通信の分野や金融の分野で、人間が知覚できないフレームの世界で計算し、プログラムを光の速さで次々と実行していっている。1フレームの世界は、電力が有る限り完全に彼らのものだ。ブレを良しとしない彼らのおかげで助かっているところもある。尋常では踏み込むことのできないフレームの世界を彼らに明け渡すことで私たちはブレ続けることができる。


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