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管理する組織のままでは変われない事実

以前の記事”働くをアップデート(個人編)”で、自分自身の働き方について考えているうちに、企業としてのあり方も柔軟に対応していかないと時代に取り残されてしまうのではないかと感じるようになってきた。

ぼくとしては超絶ホワイト企業だと感じている当社においても、この1年で若手社員の退社が立て続けにあった。
個人としては今の時代、転職は当たり前だし自分自身のやりたいことを追求したり、キャリアを積んでいくということはむしろ積極的に行っていくべきだと思う。

一方で組織の側からすれば、コストをかけて採用しコストをかけて育成した人材。
その人材を手放すというのは、人件費という費目では見えない莫大な損失を抱えていることに、企業側もあまり気づいていないように思う。

先程も言ったが、転職が当たり前となった今、このことに気づかず従来のままの組織形態、人事・評価制度であり続けることが大きなリスクとなるのではないだろうか。
ぼく自身、経営陣でも何でもないのでこんなこと考えても会社を動かすことはできないが、自分が所属する組織の今後を占うという意味で組織としてどう変わっていくべきなのかを考えてみたい。

終身雇用・年功序列の崩壊

もう既にこんなことは至るところで叫ばれていることだが、日本型雇用形態である終身雇用・年功序列は限界が見えている。
にもかかわらず、当社を含む多くの企業がこの雇用形態からの脱却ができていないのが現状だ。
そんな中、若い世代を中心に長期に渡って会社にコミットすることで、出世をしていくという考え方はどんどん薄れていっている。

ぼくが社会人となった15年ほど前は、まだまだこの考え方が世の中の大きな流れであり、この形態に疑問を持つ人は少なかった。
”若い時の苦労は買ってでもしろ”とか”ガムシャラに働けるのは20代のうちだけ”とか言われ、給料も安いのに下積みとしてハードワークを課せられていたし、それが嫌で辞めた同期も数人いたが「あいつは根性がなかった」で終了。
若い時代にどれだけその社内で信用を積み上げられるか、が割とその後のその会社でのキャリアを左右する。そんな風潮があった時代のように思う。

当時の組織としては、”これくらいで辞める甘い考えを持った人材は要らない”と切り捨てていても、毎年新卒一括採用である程度効率よく人材獲得ができていたので大きな問題にはならなかったのかもしれない。

そこから月日は流れ、現代では職業選択においても新卒一括採用以外の道も複数あり、企業側も学生たちに選ばれる時代になってきている。
就職活動を通じて企業としても学生たちに評価され、不誠実な対応をする企業などがあればすぐにSNS等で拡散されて社会的制裁を受ける可能性すらある。
ぼく自身、新卒採用の一次面接官をやっていて思うが、WEB面接がスクショされ拡散されれば、企業だけでなく個人の特定まで難なくできてしまうことに恐怖すら覚えるくらいだ。

これだけ大きく外部環境が変化しているにも関わらず、未だに終身雇用・年功序列が実質的にほとんどの企業で運用され続けているというのが圧倒的違和感で、制度として副業を認めるなどは当社でも取り組み始めたものの、現実的にそれが活用できる組織体制、人事・評価制度になっているかというとそこは何も変わっていないのだから、変わる気がないと思われても仕方がない。

ダイバーシティの実態

企業はダイバーシティだとか時代の流れに押されて、多様性を認めるとかでフレックスタイムの導入や時短勤務、副業・兼業を認める動きはあるものの、まだまだ具体的に社員にどのようなニーズがあるのかを考えた制度ではなく、残念ながら世の中的な流れに乗ってやらざるを得なくなったという雰囲気だろう。

それでもスーパーフレックス制に時短勤務制度、リモートワークに副業OKなど制度が徐々に更新されている会社はまだマシな方。
東京を一歩出ると首都圏であろうが、未だにリモートでは仕事ができないだとか、8:00には出社していなければならない(定時は8:30〜)暗黙ルールが蔓延っている企業も多く(我が妻の働く企業はまさにそんな企業のひとつ)、副業なんて以ての外みたいな状況の企業も多い。

話を戻して、制度自体が一応、多様性を認めるという社会的な流れに乗った企業においても、実際に副業をしようとすれば平日の定時後と土日の休日以外の時間を使えないのでは、独身の余程意識の高い人間しか結局は一歩を踏み出すことができない。
いかにも、”会社としては制度を用意しているけど社員が使わないだけ”と言わんばかりで、最初から多様性を認める気なんてないのではないかとすら感じる。

結局こんな制度では有って無いようなものなので、能力の高い人材はもっと自由な働き方ができたり、真正面からやりたいことのできる企業に流出していくことだろう。
そのときになって、”制度があるのに何故…?”などと考えているようでは遅いのだが、まだまだ企業としてはそこまで具体的に考える段階には至っていない。

実際に求人マッチングサイト「ココナラ」「ランサーズ」「クラウドワークス」などを見てみると、副業として継続的に取り組んでいくには週末のみの時間だけでの対応となると、それだけでかなり求人は絞り込まれてしまう。
サラリーマンの知見を活かせるような仕事を、週末の時間だけで対応するような求人など皆無で、せいぜい限られた時間でできる音声の文字起こしやExcelの入力作業など、単価の低い単純作業しか残っていない。

副業をやりたい、という人は単純にお金を稼ぎたいというよりは、自分自身の知見やノウハウを自社以外の別の場所でも活用できるのではないか、と感じている人も多いのではないかと思う。
そういう人からすれば、平日の定時後と週末時間だけでは求める仕事を得ることは難しい。

何より、平日の定時後と週末時間を使ってこれらの単純作業の副業を社員がやっていたとすれば、平日の睡眠不足や休日のリフレッシュがない状況では本業にも支障が出てしまうだろう。
結局、組織にとっても社員にとっても何も良いことがないのだから、単純に副業・兼業を認めるだけの中途半端な制度は、ただの建前上の制度ということが明らかだ。

時代に合った理想の組織像

企業の財産として本気で”人材”を重視している企業であれば、ノウハウのある社員の流出を防ぎ、さらに能力を高められるような制度を取ることだろう。
そんな企業が実際にあり、事業内容を抜きにこんな組織で働いてみたいと感じた企業を書籍経由で紹介したいと思う。

①サイボウズ
「最軽量のマネジメント(https://amzn.to/2VvEObH)」という本を読んで、組織というものの考え方が大きく変わった。
コロナ禍において『がんばるな、ニッポン。』のCMでおなじみとなったサイボウズだが、”100人いたら100通りの働き方”があるという考えから、社員が望む働き方に会社の制度の方を合わせるという、人事制度を根本からひっくり返すような”働き方宣言制度”を取り入れている。

ライフステージの変化や仕事に対する価値観を大切にし、育児や介護、通学や副(複)業など社員一人ひとりの事情にあわせて勤務日数や時間、勤務場所を会社と約束して働くことができるという。
たとえば、”週3日を本業(サイボウズ)、2日は副業(フリーランス)”だとか、”週5日勤務だけど、残業や出張は決まった曜日しかできない”なども可能。
副(複)業などは会社の資産に関わることでなければ会社の承認や報告義務すらない。
さらには、一度退職しても最長6年はサイボウズへの復帰が可能な”育自分休暇制度”などもあり、仕事をしていく中で”特定分野をよりガッツリ勉強したい”とか”長期間、海外生活を体験したい”みたいな、これまでではそのために退職という大きなリスクを背負わなければならなかったことを気兼ねなく、できるようになっている。

これだけ制度を用意されてしまえば、社員からすれば退社する理由が”起業したい”ぐらいしか見当たらない。起業ですら副(複)業から始められるのでもはや辞める理由なんてないと言ってもいいだろう。

社員からすればこんなに安心できる働き方はないが、こんな制度だと働かない社員がたくさん出そうなものの、その点は人事考課や給与に至るまで全社員の情報を全社員に公開することで社内の公平性を保ち、結果として社員みんながしっかりと自分の役割を果たすことができている。

社員が一人ひとり安心してモチベーション高く仕事ができるからこそ、業績も上がり、ノウハウを持った優秀な社員が流出しない、しても戻ってくるような柔軟な組織だと、目に見えない教育コストの部分が大きく削減できていたりもして、結果的に組織の成長に繋がっていっているのではないかと感じる。

②Netflix
「NO RULES(https://amzn.to/3yMECD6)」
を読んで、まさにサイボウズのアメリカ版といった印象を受けた。
日本とは違い、労働者が法律でガチガチに守られていない分、サイボウズよりも随分激しめだが、内容としてはかなり近い。

サイボウズとの決定的な違いは、ルールをなくしたこと。

サイボウズの場合は、ルールを社員一人ひとりに作らせるというものだったが、ネトフリの場合はルール自体をなくしてしまっている。

休暇の規定や出張旅費や経費を取っ払い、全てを社員に一任することで、マネジメントコストをなくすと共に、社員を信頼することですべての仕事を自分ごと化することに成功している。

有給休暇を上司に許可を取る必要もなく、海外出張でも出張先に到着後、すぐに高いパフォーマンスが求められるプレゼンなどを控えているのであれば、コンディションのためにもビジネスクラスを利用してもいい。

社員は、とにかく自分自身の仕事の成果を最大限出すことを考え行動すれば、会社はそれを認めてくれるし、どこよりも評価をしてくれる。
しかし、少しでもそれが個人の欲求のために使われてしまえば、評価は地に落ち最悪は解雇となった事例も紹介されている。

現在、急成長中のネトフリだが、成長の要因は社員一人ひとりの自主性であり、その自主性を支えているのがこの自由度の高さと社員への信頼ということなのだろう。

組織はどう変化していくべきか

サイボウズもネトフリも共通して言えるのは、情報をこれでもかってくらい全ての社員に公開する。
場合によっては社外に漏れれば、インサイダー情報となるようなこともしっかりと社員にリスクを伝えた上で公開したりもする。

”会社側が隠し事をしない”ということは、それだけ会社が社員を信頼しているということ。
それだけでも社員の信頼度は向上するし、その信頼を体現するためにも裁量権を与えると責任感を持ち、仕事に対する自分ごと化が促進される。

逆に、責任だけを押し付けて裁量権が全く無い状態になると、社内外の何に対しても関係各所に共有、根回し、相談などの調整ばかりをして、自分自身で何も考えられない、決められない社員を育てることとなる。

日本型企業はまさにこんな企業が多いのではないだろうか。
当社の若手社員などまさにこんな状況に陥っており、だからこそそんな自分に危機感を覚えた若手社員たちの退職が相次いでいるのではないか、とさえ感じる。

もはや企業という枠組みの組織では対応しきれないくらい、社員のニーズが多様化してきているわけなのだから、無理に管理をしようとしてもうまくいかないのは明白。

それならいっそ管理することをやめて、各自の裁量と責任のもと得意な分野の力を最大限発揮してもらうことを突き詰めた方が効率的だ。
働く側も自分の得意分野を伸ばし、評価されればそれだけ働きがいにも繋がる。

企業にとっても社員にとっても、どれだけ相互に信用することができるか、リスクを負えるかというある種の覚悟を試されている時代となってきているのかもしれない。

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