死にたい人は勝手に死ぬ
死にたい人は勝手に死ぬ
という言い方には、かなり棘がありますが、死んだ方が楽な場合もある、と私は思います。
以前投稿した、死んだら楽になれるのかの記事では、死んでも楽になれるとは限らないという内容だったのですが、やはり死について考えてしまうものですね。
生きていれば良い事がある、とは限らない。
私の叔父の話をします。
私のお爺ちゃん(叔父の実の父親)は、暴言暴力あたりまえみたいな人でした、その上、叔父が40代で、やっと結婚する際も奥さんに「おまえは遺産を狙っている〜」とかなんとか言ったり、奥さんの病気を揶揄したりして、離婚に追いやりました。
お婆ちゃんは過保護ですが、人の気持ちに歩み寄ろうとせず、私は心配しているだけ!とヒステリックぎみの人でした。
奥さんと逃げれば良かったのに、奥さんの身方をしてあげれば……と思いましたが
叔父は長男で、自分の親を大切に、というか見放せなかったのだと思います。
妹が2人いますが、結婚して出て行っているし、妹2人も親の文句を散々言いながら、血の繋がっている親なんだから大事に、という考えだったので、相談しても解決には至らなかったんではないか。
叔父は両親と同じ家で過ごしながら、自室に引きこもり仕事もせず酒ばかり飲むようになりました。
今までの蓄積だったのだと思います。
腎臓病でした。
自分の体調が悪くても酒を飲んでいました。
実の親を大切にしないといけないけれど、自分の人生を踏み躙られた、そのような葛藤があったのではないかと思います。優しい人でした、優しすぎました。
叔父は人工透析を受けて、まもなく他界しました。
私は当時、上京していましたが、叔父が危ない状況だと知り実家に戻りました。
もう、話もできず目も動かせないと聞かされていました。
叔父は私の事を気にかけてくれる様な優しい人だったので、私は叔父に心配をかけまいと、普通に接しようと決めていて「会いに来たよ!私は元気にやってるよ!」そう笑顔で言うつもりでした。
叔父は痩せこけていて悲惨な状態で、私は笑顔ではいられませんでした、泣いてしまいました。
叔父は白くなった目を動かして、私を見ていました。見えていたのかはわかりません、声が聞こえていたのかもわかりません。
私が病院に着いてすぐ、本当に数分足らずで、叔父は他界しました。私を待っていた、というのは綺麗事かも知れませんが、そう思ってしまう様な死に方でした。
お婆ちゃんは、叔父の名前を何度も呼びながら、まるでドラマの悲劇のヒロインの様に泣き喚いていました。
お爺ちゃんは、葬式の手配の事や新聞の訃報掲載欄には載せたくない、そんな話ばかりしていました。
私は、お前らのせいで叔父をこうなるまで追いやったのだ、そう思っていました。酷い言い方かも知れません。
とても悲しくて、でも、叔父がやっと楽になれて良かった。そう思ってしまいました。
親から逃げなかった叔父も悪かったと思います。
色々憶測にはなってしまいますが、私が見ている限りでは、自死のように見えてなりませんでした。
本人がそのつもりは無くとも、体調を崩しても酒を飲み続けるのは自傷行為です。
叔父が逃げる方法はいくつかあったはずで、でも、本人がそうしようとしなかった、できなかったのだと思います。
色々な事を抱え込んでしまう、そんな性格だったのだと。
誰かが助けてあげる事ができたかもしれない。
でも、本人が助けを求めなかったから誰も知らなかった、それは言い訳でしょうか。
叔父にとって何が助けだったのか、今となってはわかりません。
すみません、私の吐露ですね。
《未来は分からない、生きていれば良い事がある。》
まあそうなんですが、これ逆も然りじゃないですか?
極端な考えかもしれませんが、生きていたら今まで経験してきたより、もっと悪い事が起きる可能性があるんです。
嫌な事があって、たくさん傷ついてきて、その時の気持ちと記憶は永遠に付き纏うものだと思います。
それに、更に未来に何かしらの不幸があると思うと、やはり死んだ方がマシなのではないかと思うのです。
叔父は、自分の親が自分の愛した人を虐めるのを予測できたでしょうか。まさか実の親がそこまでするのか、と心が折れてしまったのではないでしょうか。
と、まあそんなこんなで、未来に怯えて過ごすなら早めに死んだ方が……
そう考える様になりました。
ですが、"誰にも迷惑をかけずに死ぬのは難しいです、家族が後ろ指刺されながら今後を生きていく事にもなります。お金もかかるし、計画を練らねばなりません。"
迷惑掛けても死んでやるー!とか、嫌いな奴に後悔させてやるー!という強い思いで死んでもいいかもしれません。
死ぬのは自由だと思うのです。自分の人生を他人がどうにかできるわけじゃないし、自分が楽になれると信じてそうするのなら、それが正解というか、好きにさせろ!って感じだし
でも、周りは悲しみます。もっと一緒にいたいし、環境が変われば楽になれる可能性があると言います。
間違ってないです。
不幸な人生になるか、幸せな人生になるかは、生きてなければわかりません。
そんな事はわかっているので、私は死にたくなったら勝手に死にます。
過去も抱えていたくないし、未来も不安だし。
昔に比べれば幸せな事も沢山あったし、もう満足してて、やり残した事も後悔もないし。
生きる事に前向きになる努力しても、嫌な事起きたら圧倒的に絶望感が大きくなるだけだし。
タイミングとか勢いとか、何かのキッカケがあれば死にます。他人に何言われようが死にます。
私の幸せは私が決めます、だから悲しまないで、死んで幸せ。
って、遺書めいた事を書いておきます。
と言いつつ、知人に言われた言葉についても書いておきます。
《人生は長い暇つぶし》
はい、長々と書いてきましたが、私が考えすぎなだけか、未来が不安だーとか、自分が勝手に妄想してるだけで、そこまで考えなくてもいいのか、暇つぶしして適当に生きればいいやって思ってしまった言葉でした。
これから先、暇つぶしと思えば少しばかり気持ちが楽になる様な気がします。
まだ、自分の中に落とし込めていないので、追々考え…アァ考えなくていいのか…
色んな考えがありますね、難しいな。
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