「ウインナー炒め」のある食堂は、客に長く愛される。
外観は古びていて、店内に入ると年季の入った、しかもいかにも安物のテーブルと椅子が、所狭しと並んでいる。壁には、茶色くくすんだ手書きのメニューが、ところどころ歪んで貼られている。
「創業○年」という威厳はなく、ただただ古い。
だが、常連に守られ、店主も客も世代交替しながら、長く愛され続けている。そんな食堂が、チェーン店全盛の中、日本中で生き残っている。
食事をする場所など無数にあり、美味しいもの・珍しいものが選び放題の時代に、である。にも関わらず、小汚い食堂に人びとが集まって来るのはなぜか。
薄汚れて破れた暖簾をくぐると、そこには、肌で感じる温かさがある。
おじちゃん、おばちゃんの笑顔。
「今日は何にする?」「仕事はどうだい?」という気さくな声掛け。
「ちょっと疲れたよ」と言うと、「じゃあ、ニンニク多めにしとこうか?」という気遣い。
身体の大きな男性には、「ご飯大盛りにする?」と聞いてくれる。
決して「サービス」ではなく、「気遣い」なのである。
客はその店にいると、父ちゃん・母ちゃんの優しさを思い出す。まるで実家に帰ってきたような“やすらぎ”を感じるのである。
そんな食堂のメニューには、必ずと言っていいほど、“家のめし”がある。
「ウインナー炒め」「ハムエッグ」「野菜炒め」「目玉焼き」……。
金を取って、プロが出すような料理ではない。誰もが作ることのできる、簡単なもの。
だが、そこに客は惹かれる。
実家に帰省した際に、“何か一品足りない”と思った母親が、子どもが小さな時に好きだったからと、ササッと作ってくれるような料理である。
素朴で懐かしい味。郷愁をそそる料理。人は、そんな料理に“安心”するのである。
手の込んだものではなく、気遣いを感じる料理が嬉しいのである。
ボロくても、客に長く愛されている食堂には、そんな料理がある。
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