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子どもに「夢」を与えるか? 「害」を与えるか?

以前、ブラジルの消費者保護機関が、米マクドナルドに対し、玩具つきの「ハッピーミール(日本ではハッピーセット)」で子どもをターゲットに広告を展開したとして、320万レアル(約1億6000万円)の罰金を科したことがあった。

未成熟な子どもを消費者として訴求した、というのが理由らしいが、日本人の感覚ではあり得ない話である。親が注意すれば良い話、で終わってしまう。

こうした罰則については、“国の違い”で片づけることもできるが、広告に関しては議論の余地がある。

確かに「悪い広告」は存在する。大袈裟な表現、誤解させる表現、危機感を煽るような表現。中には、まったくの嘘の場合もある。

これらを規制し、健全な広告づくりを推進するために、「JARO(日本広告審査機構)」などの組織が存在する。

だが、規制にも壁がある。人に悪影響を及ぼすような広告表現については、ある程度機能しているが、広告主・商品そのものについては、規制はかけられない。

どれだけ悪どいビジネスをしていても、それが表に出てこない限り、その企業の広告をやめさせることはできない。

広告表現に逸脱がなくとも、社会に悪影響を与えている企業はたくさんある。広告に「害」があるかどうかは、表現だけの問題ではないということである。見る側の消費者が、企業そのものの質を見極めることが重要となる。

では、子ども向け広告に関してはどうか。

大人は社会人としての自己責任を問うことができるが、子どもはそうはいかない。親や社会が見守るしかない。

いっそ子ども向け広告を禁止してしまえば良い、というのは極論。広告が悪いわけではない。広告は、子どもたちに夢を与えることもできる。

自身が子どもだった頃を思い浮かべて欲しい。

ミニカーやプラレールの広告を見て、夢を思い描いた人も多いはず。その夢のために、自動車メーカーや鉄道会社に就職した人もいる。

赤ちゃん人形やリカちゃん人形の広告を見て、保母さんやファッションデザイナー、美容師になった人もいる。

広告を見たからこそ、そのおもちゃが欲しくなり、遊んでいるうちに、夢を思い描いていったのである。これは、大いに意義のあることではないか。

ところが、いま流れている広告はテレビゲーム・ネットゲームが圧倒的に多い。ゲームをすることで、夢を思い描くことができるのか。

ゲームクリエーターという線はあるが、他には思い浮かばない。ゲームの世界と現実の世界では違いが大き過ぎて、子どもたちが自分の姿をオーバーラップさせることができない。すなわち、夢を見ることができないのである。

新しいゲームが発売されたという広告を見て、欲しくなったとしても、手に入れて遊んで終わり。飽きたら、それまで。何も残らない。

モノを売るためだけの、こんな広告は不要である。特に子どもに対しては、夢を見させてあげる気遣いがなければ、「害」でしかない。

企業や商品を規制できないのであれば、せめて広告を規制すべきである。企業活動を阻害することはできない、などと言っていては、子どもたちを守ることはできない。

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