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完璧さよりも目を向けたい、森林クレジットのベネフィット

森林カーボンクレジットは「張りぼて」?

昨年12月14日の日本経済新聞第1面に『張りぼての脱炭素取引 森林による「最大」削減量、実態は3分の1』と題した、森林カーボンクレジットの信頼性に疑問を呈する特集記事が大きく掲載されました。クレジットを発行している森林保全プロジェクトに「削減効果の最大3倍の規模で発行している疑い」があると指摘するものでした。

ただでさえ、カーボンクレジットの発行量の算定ルールや方法論は複雑でテクニカルな内容が含まれるため一般的な理解を得ることが難しいのですが、さらに森林カーボンクレジットの場合は、森林の計測の複雑さや森林が失われている背景にある社会・経済的なメカニズムも扱うため、かなり「マニアック」な知識が要求される分野となっています。そんな「マニアック」な話が日本を代表する経済紙のトップ記事になったのですから、森林クレジットの活用法を模索する関係者が受けたインパクトはとても大きなものでした。

私もそのひとりで、「『張りぼて』という言葉が独り歩きして、海外の森林保全への投資停滞につながったらどうしよう」と不安を覚えたのが正直なところです。私が接点を持つ方々からもこの記事について多くの言及や問い合わせがあり、中には森林クレジットの購入はリスクにつながると感じるようになった企業の方まで見られました。このnoteマガジンをご覧いただいている皆様にも衝撃を受けた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

クレジット発行スキームオーナーからの反論

今年8月、国際的に主流なボランタリーカーボンクレジット発行スキームのひとつであるVCS (Verified Carbon Standard)を管理するVerraが、この記事に対する反論を発表し、日本語でも公開されました。

https://verra.org/wp-content/uploads/2022/08/Nikkei-Asia-article.pdf

日経新聞の記事が指摘する「張りぼての削減量」の問題に対し、VCSではどのような対処がなされているかを、方法論的かつ技術的に説明しています(やはり、かなり「マニアック」な内容の長文であることは否めないですね)。

供給側のリスク対応は継続的に行われている

この問題は、先日私たちが翻訳を公開したワーキングペーパー『企業の気候変動緩和戦略における自然に基づく解決策(NBS)のオフセットとしての活用に関する検討』でも、NBS(もしくは森林カーボン)クレジットの「供給側の十全性リスク」として説明しています。

山ノ下麻木乃, 梅宮知佐「企業の気候変動緩和戦略における自然に基づく解決策(NBS)のオフセットとしての活用に関する検討」, 2022年7月, 19ページ

ここで示されているクレジット供給側のリスクは最近新しく発見されたわけではなく、京都議定書の下で実施されたCDM時代から指摘され、その後20年以上にわたって議論されてきました。また、同時に森林カーボンクレジットの活用を推進するための対応策が検討され、改良されてきました。上記ワーキングペーパーでも、次のように述べられています。

(オフセットに使用するNBSクレジットの品質確保に関する)このような懸念を軽減するための原則と行動やNBSクレジットの十全性を検証するためのシステムは、(…途中省略…)すでに十分に進められている。しかし、このような基準は経験に照らして、また利用可能なデータや手法の改善に伴って、定期的な更新が必要である。

山ノ下麻木乃, 梅宮知佐「企業の気候変動緩和戦略における自然に基づく解決策(NBS)のオフセットとしての活用に関する検討」, 2022年7月, 19ページ

例えば、京都議定書時代に比べて、森林をモニタリングするためのリモートセンシング技術は飛躍的に発展しました。このような技術の活用も考慮し、国際的なスタンダードや排出・吸収量推定のための方法論も進化しています。また、従来はプロジェクトベースで森林保全に取り組むことが主流でしたが、現在では国レベル、地方自治体レベルで取り組むアプローチ(管轄 (jurisdictional) アプローチやランドスケープアプローチ)に対応したスタンダードも開発され、それがリーケッジ(森林減少が他の場所に移転すること)といったクレジット供給側のリスク低減につながっているといわれています。

さらに、ワーキングペーパーでは、「NBSによるオフセットは、他の分野のオフセットに比べて、本質的にリスクが高いと誤解されがちである」とし、カーボンクレジットの十全性のリスクは、森林を含むNBSクレジットのオフセット固有の問題ではないと指摘しています。追加性のようなリスクは、再生可能エネルギープロジェクトなどから発行されるクレジットでも完全に解決された問題ではありません(下表参照)。

山ノ下麻木乃, 梅宮知佐「企業の気候変動緩和戦略における自然に基づく解決策(NBS)のオフセットとしての活用に関する検討」, 2022年7月, 25ページ

特に、カーボンクレジットは、成り行きシナリオ(ベースライン)、つまり、「もしそのプロジェクトを実施していなかったら、排出・吸収量はどうなっていたか?」という将来予測に対して、「プロジェクト実施後に測定した実際の排出・吸収量」を比較したその差分に基づいて発行されるため、技術的に将来予測の精度をある程度向上することは可能であったとしても、完璧な(≒張りぼてではない)クレジット量を確定することは不可能と言えるでしょう。

2050年ネット・ゼロに向けた現実解とは

2030年頃までに森林減少をなくし、土地関連の排出をゼロにしなければ、2050年にネット・ゼロという世界目標は達成できません。国際的な協調に基づき、各国や各企業が脱炭素に向かおうとしている今、森林への投資を躊躇する、あるいはあきらめてしまえるほどの余裕はないのが実情です。もちろん、クレジットなら何でも良いと言っているわけではありません。これからも、クレジット発行のためのスタンダードや方法論は、トライ&エラーで改善していく必要はありますし、それはすでに現在進行形で実施されていると認識しています。クレジットの十全性の問題解決と森林保全のための投資は同時並行で進めていかなければなりません。

むしろ、あえて今、森林クレジットを選ぶ

企業は今、脱炭素に加えて、ネイチャー・ポジティブであることや、SDGsへの貢献も求められています。森林をはじめとする自然資源を保全するプロジェクトには、カーボンだけに注目しているのではなく、生物多様性保全や熱帯の地域コミュニティに対するコベネフィットを創出することを目指しているプロジェクトが多くあります。このようなプロジェクトから発行される森林カーボンクレジットをあえて選択して、自社のサプライチェーンの排出削減努力に加え、さらなるオフセットや持続可能性のための取り組みとして投資をすることは検討に値するでしょう。森林カーボンクレジットにはカーボン以外の価値があることを常に考慮すべきです。今後はこの点について、もっと考えていきたいと思っています。

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「もっと知りたい世界の森林最前線」では、地球環境戦略研究機関(IGES)研究員が、森林に関わる日本の皆さんに知っていただきたい世界のニュースや論文などを紹介します。(このマガジンの詳細はこちら)。
**********************************************************************************文責:山ノ下 麻木乃 IGES生物多様性と森林領域 ジョイント・プログラムディレクター(プロフィール

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