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『推し、燃ゆ』何を感じ取るのが正解か vol.449

第164回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』。

ずっと読みたかった本ではありますが、読むのを楽しみにとっておいていました。

今回読書会のテーマ本ということで、読ませていただきました。

正直、分かるんだけど分からないという不思議な感覚に陥りました。

この本、いわゆるアイドル活動などを応援するファンの推しというものに焦点を当てているのでしょうが、どちらかというと私にとってみれば、ADHD?気質の特性の方に興味関心をそそられました。

この本を読んでの感想を書いていきます。

自分を自分で至らしめる存在

この本での主人公はとにかくアイドルが好き。

いや、その感情は単純に好きでは言い表せないのかもしれません。

以前、映画『愛がなんだ』を見たときのような感覚になりました。

推すとか好きとかではなくて、一体化を求めているような感覚。

でもそれが、自己の確立につながっているのです。

そのアイドルがいるから自分の存在を認識できる、自分が自分でいられる。

対象がアイドルだからこそ異様に感じるかもしれませんが、もしかしたらこれは家族などと同じなのかもしれません。

家族がいるから頑張れる、家族のために頑張れる、自分もその家族の一員で、責任がある。

家族が苦しめば自分も苦しい。

そんな関係なのかもしれません。

ともすると、ここにある違いは単純に家族というリアルに感じる相手の存在か、アイドルという何かの隔たりがあったうえでの関係というだけなのかもしれません。

そこの隔たりを障害と捉えるかどうかだけ。

そんな気がします。

もっとも知りたいこれからは教えない

最後、推しは引退をします。

それも、これまでと同じような感じで。

しかも直接的には言葉で発していませんが、薬指には指輪をつけて。

ある程度のファンならここに対して激高したり罵倒したりといったこともあるのかもしれません。

しかし、この本の主人公はそんなことありませんでした。

ただ粛々とその事実を受け入れようと努力して、自分の中の変化に正面から向かい合おうとしていたのです。

でもだからこそ、その後の生活がどうなるかが分からない。

この本はそこから先は教えてくれませんでした。

推しがいなくなったファンはどうなるのか。

もしかしたら結局別のアイドルを好きになるだけなのかもしれない。

もう、ダメだと自暴自棄になるのかもしれない。

ここに広がりがあるのもこの本の深みでしょう。

理解はやっぱりできない、、、

推し活動にここまですべてをささげて熱中できるのはなぜかは分かりません。

この本の中での主人公は、過去の記憶、過去の体験からの感情で最も気持ちが跳ねたとき、そこに推しがいたからこそ推し活動にのめり込んでいきました。

これが、この先の人生においてよかったのか、悪かったのかは分かりません。

でも、何かに熱中する、夢中になるというのは悪いことではないはずです。

であれば、その人にとって何を好きになるのか、何にはまるのかを見極めて適切にかかわってあげるのこそが最善なのかもしれません。

特に推し活動をしていなければこの人たちの気持ちは分かりません。

でも、分からないからこそ寄り添える、理解し合おうと行動ができるのではないでしょうか。

理解しがたい何かを理解しようとして見る。

そんな絶妙に分からないからこそ面白い本でした。

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