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ブラック企業に入ったときの話 ④ 光の友達編

その① 上司と全然合わない編
その② 年下の先輩がヤバい編
その③ 最強の敵編

四回目になった。
自分で思っていたより色々憎悪が渦巻いていたらしい。しかし、今回は既に限界ヨロシクな自分にひと筋の光が差す話なので、これまでよりは書いていて気が楽だと思う。そうであってほしい。
あと多分自分が徐々に「アッこれおかしいよね?やっぱおかしいよね?」と気づいていく過程の話なので多分そこまで「他人の不幸を『ウヘェ』って顔で見る」感じの話にはならない。上記3回に比べたら、やばさは薄いと思う。

自分の人生が最悪だ、いいことない、と思っている人へ、自分のような馬鹿で間抜けで、いまだに全回復できていないダメ人間もいるんだから、まだ大丈夫と思う一助になれば。
転職を考えている人へ、焦るとろくなことにならないというリアルな例になれば。
こんなもん生ぬるい、自分はもっとしんどいという方は、もう人の辛さ・苦しさと自分を比べるのはやめませんか。自分もつらい、あなたもつらい。状況も環境も考え方も違うけど、お互いつらいね、でいいと思います。比べてもあんまいいことないっすよ。


2020年の中頃に転職し、年末を迎えるくらいにはただただ疲弊していた。仕事に、というよりも、会社で繰り広げられる令和の世とは思えない、反吐が出そうな低俗なやりとり、暴力、自分に対する暴言。すべてが自分のHPをゴリゴリに削ってきた。常に目の粗い紙やすりで体中をこすられるような不快感。時には痛くて顔をしかめそうになるが、それは許されない。えーもうやめてくださいよ~、と笑って流さなければいけない。自分がターゲットでなければどんなに醜悪な笑いでも一緒に笑わなければいけない。
転職してからしばらく、心から笑った記憶があまりない。あったのかもしれないが、思い出せない。あの頃の記憶は常に吐瀉物よりも汚い感性の人間に囲まれ、自分がそこに染まらなければ生きていけないという絶望と、純粋な不快感で今も覆われている。
あの会社にいた頃、どんどん自分に自信がなくなっていった。先に挙げた社員たちをはじめとする人間界のルールを知らない生き物たちが全体の空気を掌握しているため、そこに異を唱える人間は異物として扱われる。各種ハラスメントについておかしいと思うと声を上げれば「もうちょっと大人になれ」「ガキじゃねえんだからごちゃごちゃ言うな」と、許容できない自分が悪いと言われる。
自分を肯定する気力もなかった。自分がおかしいのだと思わせてくる周囲の中で、ギリギリ足を踏み外さないように踏ん張っているようなものだった。
いつ堕ちてもおかしくなかった。

話は変わるが、自分は友人関係には大変恵まれている。1年以上前のnoteでも、いきなり電話をかけてきてディズニーの歌を歌ったり胎教のためにイタリア歌曲を提案したりする友人がいると書いた。
その人とはまた別の人で、大変優しく、頭のいい友人がいる。本が好きなその友人は、常に客観的でありつつ、寄り添った言葉をくれる。時には厳しい言葉もあるが、あえてそれを言うところは、友人が誠実なのだと思う。
いつからかわからないが、ものすごく頻繁に、ほぼ毎日連絡を取っていたのにぱたりと取らなくなったことがあった。何がきっかけなのか、自分でもわからない。時間が経って想像できることといえば、多分色々精神的に限界だったんじゃないかというくらいだ。相手からしたらつい昨日まで連絡してたのに、いきなり来なくなって心配や迷惑をかけただろうし、本当に申し訳ないことをした。今度菓子折りでも持って謝ろうと思う。
そのような経緯を経て、2020年。コロナ禍、収入激減、転職、地獄、という焦ったら馬鹿を見るの典型のようなごちゃごちゃがあり疲弊していた自分は、都合のいいことに「もう一度前みたいに、バカな話をして嫌なことを忘れたい」といきなり連絡した。
本当に失礼な話だと思う。迷惑ばかりかけていると思う。だが、元々友人が少ないうえにコンプレックスの塊である自分は、大手企業に勤める他の友人たちに自分の惨状はなかなか打ち明けられなかった。連絡を取った友人も、有名で大きな会社に勤めている。だが、友人は自分の社会人になってからの来し方をすべて知っているため、また、上記のようなおおらかさと優しさを知っていたために、甘えさせてくれ、と連絡を取った。

友人は、自分の非礼、無礼をなじることなく「元気にしてた?わたしはいつも元気に会社辞めたい!」と初手から明るく前向きに、仕事などくそくらえであるという今までと変わらないパンチラインをかましてくれた。
会社と家の往復で、自分以外の人との関わりがほぼなかった自分が、久々に自然と笑うことができた。ただただ嬉しかった。そこから始まる怒涛の返信ラリー。時間を忘れるほど楽しかった。嬉しい、楽しいなんて、しばらく感じていない気持ちだった。感情を忘れた哀しきモンスター的なアレが「ゥゥ…タノ…シイ…ウゥ…」みたいな感じで涙を流す、やっすいアニメだったら感動のシーンである。
その中で、自分が転職したものの精神的苦痛ばかりを味わってつらいという話をこぼした。そのままぽろぽろとこんなことがあった、こういうこともあった、と話していくと友人はただ一言「辞めよう」と返した。
「地雷しかない、ブラックっていうか人道に背いてる」と、端的に、的確に、自分の心のもやもやしたことや不安に思っていたこと、鬱屈していた気持ちをわかりやすく言語化してくれた。本当に嬉しかった。嬉しかったし、やっぱり自分の考え方は間違っていなかったのだと思えた。自分はおかしくない、あの会社の人間たちがおかしいんだ。入って1か月くらいで辞めたかったけど、自分が甘いからじゃない、環境がおかしいからだ。と自分を少しでも肯定することができた。反吐まみれになる前に、なんとか足を踏み外さずにすんだ。すべては友人のおかげだと思う。

それ以降も、お互いの仕事におけるストレスを吐露し合い、元気づけ合い、いつか必ず近い将来辞めてやる、と固く誓い合う日々だった。
友人から言われた言葉はいつも印象的で、力強い。今思い返しても「そうだよな」と思うし、それと同時に「やっぱこの人賢いな…」と、なかなか得難い存在のありがたさをひしひしと感じる。
彼女が言ってくれた「大丈夫、あなたはカスじゃない、まともな常識人だから。」という言葉は、当時震えるほど嬉しかった。毎日毎日Bとの電話でなじられ、罵倒され、頭がおかしいと言われ続け、自分は本当に頭がおかしいゴミだと、半分くらい思っていた。そんな時に、友人からかけられたこの言葉がどれほどありがたかっただろうか。
Bとの毎日の電話報告が終わるたびに疲弊していた。帰り道の電車の中で「まーたこんなこと言われちった、てへ。」と自分が悪いバイアスが拭いきれないままにメッセージを送ると、「それは管理じゃない、支配。そのBって人一応管理職なのに管理してない」と言い切ってくれた。その頃、転職した自分の責任だからと家族にすらなかなか思いを吐露できず、自分が悪い、自分がダメだ、最低だ、ゴミだカスだと思っていた自分にとって、彼女の存在はとても大切だった。Bのやり方はおかしい、自信をつけさせるのではなくひたすら叩き潰す、叱咤激励ではなく罵倒をもって押さえつけようとするBについて、疑問を持つことすら悪だと思わされていたのだと気づかせてくれた。
別の日に、会社でこんなことあってさあ、と呆れと嫌悪を合わせて話すと、友人は「こんなこと言って申し訳ないけど、『ブラック企業判断テスター』みたいなのあったら、ことごとくブチ抜くよね御社」と言った。彼女の、笑えるけど芯をついたコメントを真似たいといつも思う。ユーモアの中に少しの毒を混ぜ、ギリギリの自分を突き落とさない、優しさを感じさせながら自分を笑わせてくれる、高度な教養がなければできない芸当である。自分と友人が同性でなければ多分友人は「理解のある彼くん」ポジションを得ていたのではないだろうか。自分にはそんなパートナーはいない。

ある日、自分が「今日のBの仕打ち」を打ち明けた後に「転職活動はしてるけど、うまくいってないからとりあえずまだ辞めるのはやめとく。でも転職活動は続ける」と話した時、「しばらく頑張るのなら応援するよ。けど、もし『色々あったけど今の会社で頑張る、だってBさんもわたしを思って言ってくれてるし』とか言い出したらビンタしに行くから言ってね」と友人は言った。
この言葉にどれほど救われたことだろう。
ああ、自分にはこんなに頼もしい友達がいるんだ。友人自身が身を挺して(とは違うかもしれないが)自分を人間にしてやる、人間でいさせてやると宣言してくれるなんて、自分はとても幸せではないか、と、その時は笑いながら感謝したが、今になって友人の言葉のありがたみを感じている。



そろそろゴミ溜め(会社)を辞めるフェーズに入ります。
が、そこからまた長いので続く。
近頃暖かくなってきましたがお花見はまだ遠そうです。風邪などひきませんよう。
引き続きジリ貧ですので、皆様のご支援賜りますようお願いします。

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