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雑記:21_古い写真

昨日のことだった。部屋の掃除をしていて、20数年開けていなかった戸棚を開けた。ほとんどゴミばかりだったけれど、一つの古い写真は私の手を止めた。

今から30数年前の、私が生まれる前の母の写真だった。更新済みの免許証だった。色白で、きょとんとしたちょっと間抜けな顔だった。免許の写真なんてそんなもんだとは思う。だけど、なんだか可愛らしかった。私は、すぐ近くで作業をしていた父を呼んだ。こんなに綺麗だったんだ、と。そうだった、こんな時もあったんだなあ、と父は言った。私は父の顔をみなかった。

母は今、入院している。まだ検査中だけれども、あまり良くないらしい。入院する前の数ヶ月、どこか様子が変だった。よくわからないことを口走ったり、支離滅裂だったりしていた。せん妄状態、と言えばいいのだろうか。ただ、いつもそういうわけではなく、意識はマダラ状だった。まともになったり、おかしくなったりを繰り返していた。それと、いつもダルそうだった。肌も荒れていたし、食欲もなさそうだった。もっと早く無理やりにでも、連れて行っていれば、と思う。けれど、連れて行った時がもっともいいタイミングだったのだと言い聞かせている。

間抜けだけど、可愛らしい母の写真をみていて、色々なことが頭に浮かんだ。まず、なんだか不思議な気持ちになったのは、その母は今の私と同い年だったことである。

このお姉さんが、あと数年後結婚をして、何年もかけてようやく念願の子宝に恵まれて、だけど、すぐその子は入院しなくちゃいけなくなって、その子は喘息もちだったから、寝る間も惜しんで病院を行ったり来たりさせられて、学校も休みがちで、いじめられっ子に目をつけられて、泣きながら家に帰ってきては優しくしてくれたり、いつも励ましてくれたり、そんなことをするんだと思うとすごく胸が苦しくなった。それは辛いとか悲しいとか可哀想とかそういうこととはまた違う。なんだか、とても苦しいということなのだ。

私の知っている母は、すでにお母さんといった姿をしていた。少し太っていて、腕っ節のあるそんなお母さんだった。母の自慢は、生まれ持った健康についてだった。とにかく、元気で病気を知らない、手のかからない子供だったらしい。だから、ばあちゃんは病弱な他の兄弟たちの面倒見ることができたらしい。私は、頑丈で健康で、それだけが取り柄なんだ、とよく言っていた。そして、だから、ばあちゃんを助けてやるし、あんたも助けてやれるんだと言っていた。

ばあちゃんは、12年前にALSに罹り苦しみながら死んだ。その時の母は深い悩みの中にいた。不治の病を助けることはできない。献身的な世話、介護の甲斐も虚しくばあちゃんは死んでしまった。母は自分を責めていたように思う。もっと、上手くできたのでは、もっと、他にいい方法があったのでは、と。当時高校生だった私は、そんな母をただみていることしかできなかった。

写真の中のお姉さんは、そんな未来を知らない。私はこの証明写真を撮った時のことを空想する。彼女は当時バリバリの美容師として腕をならしていた。だから、多分その日も仕事だったかもしれない。さっさと写真を撮って、美容室へ行かなくちゃという気持ちだったんじゃないかしら。髪は綺麗に整えてあるし、化粧もバッチリだった。きょとんとしたちょっと間抜けな顔は、前日も忙しかったからだろうか。なんだかちょっと疲れているようにも見える。まさかこのお姉さんは、同い年の、まだ見ぬ息子が30年近くなってこんな空想をしているとは思いもしないだろう。ああ、だからそんな顔をしているのかな。

私は今日も掃除を続ける。母の新しい部屋のためだ。今までの部屋は狭すぎた。おそらく、これから誰かの介護が必要になる。だから、広いへやにベッドを移すのだ。退院したら、この古い免許証を見せてやろうと思う。こんなに綺麗だったんだね、と。いや、これからもっと綺麗になろう、と言ってやりたい。あと数週間で母はまた一つ歳をとる。それまでにはきっと退院しているだろう。大好物のお寿司をとってやろうと思う。綺麗な部屋で、みんなで食べるのだ。

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