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「本屋に行く人は頭がよくなる」


「本屋に行く人は頭がよくなるらしいよ」


高校生の時、幼馴染に言われた言葉だ。


今でも、本屋に行くたびにこの言葉を思い出す。


当時高校生だった僕は正直にその言葉を受け取った。

「へ〜、本屋に行くだけで頭が良くなるんだ」
「本屋に通えば、大学も受かったりすんのかな?」
「なんか自然と知識が身についたりすんのかな?」

とか思いながら、学校帰りに本屋に寄ったりしていた。


最近まで漠然と、
「本屋に行くと自然と本を手にとって、知識が増えてくんだろうな」
と考えていた。


しかし、つい最近、内田樹さんのブログ見て変わった(以下リンク)

上記ブログには学校図書の役割について書かれている。

以下、少し長いが引用させてもらう。

自分がそんな学問分野がこの世に存在していることさえ知らなかった分野の本が何十冊も並んでいる。それを見ながら、「そうか、ここにある書物のうち、僕が生涯かけて読めるのは、その何十万分の一だろうな。残りの書物とはついに無縁のまま僕は人生を終えるのだろう」ということを骨身にしみて感じる。無人の図書館で、圧倒的な量の書物を眺めてた時に感じることは、「ああ、僕はこれからこういう本を読むのだ」じゃなくて、「一生かけても読まない本がこれだけある」ということなんです。
 僕はそれを痛感させることが図書館の最大の教育的機能だと思います。図書館の使命は「無知の可視化」だと思うんです。自分がどれほど無知であるかを思い知ること。今も無知だし、死ぬまで勉強してもたぶん無知のまま終わるのだ、と。その自分自身の「恐るべき無知」を前に戦慄するというのが、図書館で経験する最も重要な出来事だと僕は思います。だからこそ、あらゆる映画において、図書館は無限の知の空間として表象されている。

学校図書は何のためにあるのか?/内田樹の研究室


僕はこの文章を読んで、図書館には、

・たくさんの本を目の当たりにさせる役割
・「一生かけても読まない本がこれだけある」と自覚させる役割
・自分の無知を可視化させる役割

があるのだと受け取った。



この記事を読んで想起したのが、幼馴染に言われたあの言葉。


「本屋に行く人は頭がよくなるらしいよ」



本屋という、膨大な知識の貯蔵された空間を目の当たりにする。

それによって、自分の無知さを痛感させられる。

一生かけても読み切れないほどの本に触れる。

そして、自分にはどのくらいの本なら読めるだろうかと考えたりする。


そのようなプロセスを踏んで、自分の脳が変わっていくのではないかと考えた。



「もっと知識を得たい」
「もっと知りたい」
「この世には知らないことがいっぱいあるのかもしれない」


そんなことを、勝手に脳が認識して、”頭がよくなる”のかなと思った。


数年越しに伏線を回収された気分になった。



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