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ソウルフィルド・シャングリラ 第四章(4)

承前

 食品屋の店主は、顔が半分ない男だった。大規模な遺伝子改変も含む身体改造を行った後、ろくなメンテをしなかったため時間をかけて少しずつ崩壊していったらしい。見かけによらずに明るい性格の男で、結構な量の干物や缶詰を割引いて売ってくれた。
「前来た時は見なかったな、あの店主。意外と人の入れ替わりも頻繁なんだ、ここは。だから新顔の君もそんなに目立たたないと思う」
 悠理と護留の目や髪の色は、遺伝子治療が進んだ澄崎市ではあまり見られないものだ。そういうファッションも存在するが、空宮が文化維持という名目の下に進める統制は市民の画一化を促しておりやはり迫害の対象となっていた。だがここはそもそもそういった治療を受けられなかったものや、追放された者たちの最後の居場所だ。
「住むにはともかく、隠れ場所としては最適なんですね」
「天宮もここのことは当然把握しているとは思う。だけどここはナノマシンがないからALICEネットの機能もほとんど制限されるし、住民も非協力的だから捜索は難航するだろうな」
 食品屋と同じ通りにあった雑貨屋では地上の新聞も取り扱っていた。一通り目を通してみるが、最新の日付でも四日前のものしかなく、地上がどうなっているのかは結局分からなかった。売り子に尋ねてみても地上の噂はここ三日全く入ってきていないという。
「――情報統制でしょうか」
「だろうな。爆破テロに天宮家当主誘拐事件なんて大ニュース、いつまでも隠し通せるものではないと思うけど、僕たちを見つけるまでの間くらいなら捜査のためと偽ってかなり無茶な情報封鎖も可能だろうし。上では戒厳令が敷かれているかもしれない。逆を言えば、こちらに情報が入ってこない間は、向こうもこっちを探している最中ってことだ。
 ……しかし目立たないし、見つけにくいとは言えやっぱり君の格好は人目を引きすぎるな」
 悠理は、未だ黒のドレスを着たままだった。護留の替えの服はサイズ調整の効かないツナギや市警軍の放出した軍服だけしかなかったので、既に着の身着のままで三日過ごしている。シャワーは浴びているが(とはいえ護留のねぐらにあるのは水しか出ない代物だった)そろそろレッドゾーンに突入する頃合いであり、悠理も割と女性としての危機を感じていた。大気中のナノマシンがないとまさかここまで体臭が強くなるとは思ってもみなかった。
「うっ……。でもこれも護留さんの準備不足だと思うんですけど。私の誘拐を企てるなら、もう少し女性を迎え入れる用意をして欲しかったです」
「――いや着替えをわざわざ用意する誘拐犯なんているか? 別にそのままでも死にはしないんだし……」
「目立ったら! 駄目! なんですよね!」
「ああ、うん」
 悠理の気迫に押し切られて服屋を探すことになった。
 一軒目は割とすぐに見つかったが、シースルー専門店というあまりにもアヴァンギャルドな品揃えで悠理は顔を真っ赤にして店から飛び出した。人口の絶対数が少ない地下でこのような店がなぜ成り立つのか護留は店主と話をしてみたくなったが、悠理にきつく睨まれたので仕方なく離れる。
 二軒目は違法臓器屋と違法移植屋に挟まれた立地にあった。まともな神経の持ち主ならこんな場所にはまず店を構えないと思うが、地下の住人にはもともな人間は誰一人としていないだろうからこれでいいのだろう。取り扱っている服は立地に反してごくまともだったが、問題は店と商品全体に染み付いた腐臭だった。元違法ブローカーだったいう店主が勧める試着を愛想笑いで断って二人は店を出て深呼吸した。
「あの――護留さん。先ほどはわがまま言ってすみませんでした……。外で服を探すのってこんなに大変なことだったんですね……」
「……わかってくれればいいよ」
 悠理は何やら激しい誤解をしているようだったが護留は敢えて正さずにおいた。
 三軒目は中々見つからなかった。帰宅を提案する護留とそれを却下する悠理のやりとりが五回目に達した時、市場の通りの終わりにひっそりと佇む看板を悠理が発見した。
「ここが駄目ならもう諦めますから」
 既に諦めたような顔をして悠理はそう言ったが、予想に反して並べられている商品は普通の古着だった。透けてもいないし血や死臭が染み付いてるわけでもない。護留があくびをこらえて待つ間、悠理は真剣な顔をして服を見比べていたが、ついに一着手に取ると試着室に入っていった。
 ここの店主は左の眼だけ蒼いのが印象的な女性で、地下の住人には珍しく口数が多かった。地上ではもう見かけることがない紙巻たばこを吸いながらあれこれ質問してくる。
「彼女かい?」
「違う」
「じゃあ奥さんだ」
「違う」
「あの娘が着てるドレス、あれならうちの古着10着と交換してもいいよ」
「駄目だ」
「下着もつけてくれたら20着あげよう」
「なあ、そろそろ黙ってくれ」
「じゃあ君の下着でもいいよ」
 無視する。
 最近自分の忍耐力を試される機会が多すぎるのではないかと思いながら待っていると、ようやく試着室から悠理が顔を出した。
「ど、どうでしょうか」
 黒の無難なワンピース。胸元のレースが清楚さを醸し出す。悠理の好きな色なのだろうか。地味ではあるが、白い髪と白い肌によく映えて、
「おー似合ってる似合ってる。他に似たようなのあるからそれも買っていってよ。下着もオマケするよ、だからさー」
「いやきちんと金は払う」
「あ、ありがとうございます」
「ちぇー」
 店主は未練がましく悠理が脱いで畳んだドレスに眼を向けていたが、護留の無言の圧力に負けたのか他の服も持ってきて会計を済ませた。
「まいどありー。服も彼女も大事にしてやんなよ」
 最後まで一言多いやつだった。護留は無視してさっさと帰路につくが、悠理は店主に向かってわざわざお辞儀をしていた。
 しばらくお互い無言で歩く。市場を抜けようかという頃、悠理が唐突に喋った。
「彼女でも奥さんでもないのは当然ですけれど、私は護留さんにとって一体なんなんでしょうね」
 ――聞こえていたのか。
「人質だ」
「ですよねー。着替えをわざわざ用意してくれる優しい誘拐犯さんの人質でしたねー私は。
 で、その誘拐犯さんに聞きたいんですけど、この服、どうですか」
「――似合っているよ」
「こちらの目を見てもう一度言ってもらえますか?」
「囚人服みたいだ」
「それはちょっと酷すぎませんか!」
 小一時間ほどかけて歩いて帰ってくる。護留のねぐらは悠理がここで目覚めた時に推測した通りの廃棄倉庫で、地下居住区でもかなりの外れに存在した。外から見たら完全に廃墟で、一瞬入るのを躊躇するくらい入り口はおどろおどろしい。だが錆びた鉄格子を押し退けると護留が増設した様々なセンサーが張り巡らされていて、主人不在の間の番を担っていた。
「さて。じゃあ食事の準備をするから待っててくれ」
 買ってきた荷物を検めながら言う護留に、悠理は尋ねてみる。
「あの……失礼ですが護留さんって料理できるんですか? 肉は生食されてましたし――キッチンらしきものも部屋の隅にありますけど使用された跡が見受けられないんですが……」
「缶詰なんて中身温めればいいだけだろ」
「あ、駄目っぽい」
「栄養補給ができればどうだっていいだろう。ALICEネットによるエネルギー補給がどういうものか僕は知らないけど――擬似的に食事を体験できるわけでもなくただ腹が膨れる感じなんだろ?」
「まあ、そうなんですけど。普段からそうやってあまり食事をしないが故に食事に対する憧れというものがあってですね」
 護留の露骨にめんどくさそうな目を無視して、悠理は宣言した。
「とにかく! まともな料理が食べたいんです私は! 護留さんにも、振る舞ってあげます」
「振る舞うって……君が作るのか――作れるのか?」
「バカにしないでください。私は天宮家当主ですよ?」
「今の発言で期待値が一気に下がったんだが」
「と、に、か、く! 待っていてください!」
 悠理は早速作業に取り掛かる。まずは埃だらけのキッチンの掃除からだ。
 パタパタと働く悠理を、護留は空きっ腹を抱えてソファから眺めた。

「――そう言えば、悠理、君は科学者だったな……」
「……」
「科学者ならば、薬品の分量などは正確に計るよな……どう計ったら肉と魚の缶詰からあんこのような何かが生まれるんだ? それとも魂魄制御技術っていうのはそこまで進歩していたのか? じゃあ失効テクノロジー認定されてしまえよそんな科学」
「……護留さんって、罵倒のバリエーションが豊富ですよね」
「君の料理を食べたら舌が回ってしかたないんでね」
「その――すみませんでした……」
 異臭が漂っている。その発生源は木机の上に置かれた鍋(悠理が積まれたコンテナ群の中から発見した)だ。中には悠理が作った料理であるあんこのような黒い――いやあんこよりも明らかに茶色いドロっとしたもので満たされていた。おぞましいことに火に掛けていないのにふつふつと音を立て、虹色の泡を立たせている。
 しかしそれは半分ほど減っていた。護留が一人で処理したのだ。ちなみに悠理は一口食べた後、無言でまだ開けていなかった缶詰にそのまま手を伸ばした。
「あの、無理して食べなくても大丈夫ですから……」
「普段料理を滅多にしないどころか、食べない人間に台所に立たせた僕も悪かったしな」
 悠理はただひたすらしょんぼりしている。
「そう言えば、包丁で手を切ったりしなかった――って切っても治るんだったな、僕らは」
「えっ? ――あの、確かに指を少し切ってしまいましたが……まだ治ってなんか、ないですよ」
 ほら、と差し出された指を、護留は弾かれたように凝視する。赤い線のような細い切り傷が確かにそこにはあった。少しかさぶたになっている。
「ど、どうしたんですか? 顔が怖いですよ、護留さん」
 叫びたくなった。
 喚き、そこら中の物に当たり散らしてしまいたかった。
 同じ、だと思っていた。
 この世で唯一の同種だと、勝手に信じ込んでいた。
 ――勝手に死ねない化物認定するなんて、考えてみれば失礼な話だ。
 悠理が『Azrael』であるのは確かかもしれないが、彼女は過去の記憶もしっかり持っている。怪我も瞬時に完治しないしE2M3溶液を体内で循環させることなども出来ないだろう。
 彼女に抱いていた親近感の幾分かは身勝手な〝同族意識〟だったのは間違いない。ろくなものじゃないな、と自嘲する。
 急に黙りこくってしまった護留を訝しげな表情で悠理は見つめていたが、ああ、と気づく。
「そう言えば、護留さんは傷がすぐに治るんでしたね」
 やめろ、と内心で叫ぶ。
 同情も好奇も羨望も嫌悪も侮蔑も――他の人間から毎日のように浴びせられてきた。気にもならなかった。
 周りは全員敵か、いずれ敵になる者たちだったから。
 だが悠理――天宮から殺せと頼まれ、頭の中の声は護れと命令した彼女から、もし同情や好奇や羨望や嫌悪や侮蔑を向けられたら、自分は折れてしまうだろう。わずか三日程度しか一緒に過ごしていない少女に、知らずのうちにここまで依存している自分に驚く。
 しかし続けて悠理が口にしたのは、護留の予想からは大幅にずれた言葉だった。
「ありがとうございました」
 感謝。またしてもきっちりと三度お辞儀をしている。
「――え」
「傷が治るといっても、痛いんですよね?」
「そうだけど――それでなんで礼を言われたんだ、僕は」
「だって、私のことを護って、助けてくれましたから。ここに来るまでに、その能力〈ちから〉で」
 悠理は笑顔で言った。
 ――だって、あたしのことをまもって、助けてくれたから。
 名も知らぬ少女の言葉が脳裏で谺し、それと同時に護留の口元には微苦笑が浮かんでいた。
 ――喜ぶといい。
 君が会いたがっていたお姫さまは、君にとてもよく似ている。
 同族意識なんて、どうでもいいことだ。それは所詮、彼女に抱いた親近感のうちのほんの一部にしか過ぎない。
 どうやらそれ以外のほとんどの部分で、自分は彼女に惹かれ始めているようなのだから。
「悠理――君は本当に子供っぽいな」
「んなっ!? お礼したのにいきなりなんてことを言うんですか!」
 顔を赤くして反論する悠理を眺めながら、護留は残りの料理を口に運んだ。

(続く)

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