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ソウルフィルド・シャングリラ 第四章(3)

承前

 護留は混乱した。なぜなら以前に見た幻では、
「君の母親は――悠灯って名前だろう?」
「ゆう……ひ? さっきの幻でも出てきた名前ですね。でも違いますよ。天宮花束――それが私の母の名です。顔も少し若かったですが間違いなく母でした」
「いや、だけど――」
 護留は少しためらってから、以前に死体漁りをした時に見た幻覚の内容や護留自身のことを告げることにした。お互いの疑問を解消するためには情報の共有は積極的にすべきだと判断したからだ。
 頭の中声。幻覚。悠理も自分と同じく『Azrael』と呼ばれる存在であること。
 今度は悠理が混乱する番だった。
「ちょ、ちょっと待ってください。今のお話の通りですと、その――私が死んでませんか?」
「ああ。でも甦った。光の胎児として――天宮理生、君の父親は『天使』と呼んでいたな。
 死んで、甦る。ここだけ抜き出すと僕にも似ている。『Azrael』ってやつの特性なんじゃないか? 『プロジェクト・アズライール』がどういう物か知らないが……君を参考に僕が造られたんじゃないかって気がする」
「……私も、私の知り得る情報をお話した方がいいでしょうね」
 そして悠理も、彼女がこの五年間で調べた知識を語った。
 眞由美ともう一人の〝私〈じぶん〉〟の死、天宮、空宮、都市救済、『プロジェクト・アズライール』――現実離れした話ではあるが、二人ともリアリティ等とはかけ離れた体験をしてきた者同士だ。護留は質問も疑問も挟まずに黙って聞いていた。
「五年前、か」
 悠理からの詳しい話を聞き終えて、護留は呟いた。
「ええ。たぶん、最初のそもそもは15年前――『プロジェクト・ライラ』と呼ばれる都市救済計画の失敗から。そして『プロジェクト・アズライール』が本格的に始動し、父が動き始めたのが五年前です」
 情報を反芻し、整理しながら悠理は喋る。
「父と母の仲は冷え切っていました。それも――本当の母が実験で死に、体裁を繕うための再婚だったと考えれば納得できます。それにしても、眞由美を殺した側の母が、昔はあんなに仲良くしてたなんて……」
「その花束って人は、なんで倒れてしまったんだ?」
「詳しくは分かりません。ただ、思い返せば母は昔から私のことをどこか恐れていたように思えます。唯一笑顔を向けてくれたのが、父が私の『機能障害を正す』と言った時でした。ただ、それは多分上手くいかなかった――そしてそれは母にとってとても不都合で、怖ろしいことで……それで一切のチャンネルを閉じてしまったのだと思います」
「その機能障害っていうのも、『Azrael』絡みか」
「きっとそうです。私が『Azrael-01』なのか、もう一人の自分〈わたし〉がそうだったのかは分かりませんが」
「引瀬眞由美は自分は人質だと言っていたな。『ライラ』失敗の原因は分からないけど、引瀬由美子博士に対する制裁とも考えられる。君と眞由美を近づけたのも、まとめて監視ができるくらいの理由じゃないか」
 悠理は顔を曇らせる。
「……悪い」
「いえ、いいんです。恐らくは、それが真相でしょうから」
「それにしても、君と出会ってから幻を見る機会が増えた気がする――と言ってもまだ二度目だが、前はそんなに頻繁ではなかったんだ。せいぜい〝声〟が聴こえるくらいで」
「『Azrael』の『01』と『02』が揃ったからではないでしょうか? 以前あなたが幻覚を見ていた状況は、お聞きしたところ特定の〝キーワード〟――例えば『母』とか――となんらかのエネルギー源、死者の残留魄〈はく〉や擬魂の残滓が揃った時に見えていたように思えます。
 きっかけとなるキーワードなら私たちはたくさん抱えているようですし――エネルギー源も特殊な擬魂であるお互いの『Azrael』があります。
 フライヤーとさっきの状況を鑑みるに、恐らく――私たち二人がその……み、密着することにより共振が起こり、幻が見えるのではないかと推察できます」
「……君は、余り動揺しないな。自分が人間以外の〝なにか〟――『Azrael-01』だと判明したのに」
「ああ――それは幼い頃から私の中にはもう一人の〝私〈じぶん〉〟が居ましたから。自分は他人とは違うものだと認識しながら生きてきました。それに――」
 悠理は護留の目をしっかりと見据え、気丈に笑う。
「今は護留さん、同じ存在である、あなたがいますから」
「……言ってて恥ずかしくならないか、それ」
「んなっ! どうしてこのタイミングで茶化すんですか!? 今はそういう流れじゃないでしょう!」
「流れと言われても……。とにかく君は立派だな。僕なんて、自分が人間じゃないということに悩み続けた五年間だったよ」
「私には――五年前までは友達がいましたから。護留さんは、友達を作ろうとは思わなかったんですか?」
「……そんなこと考える余裕はなかったよ――いや違うな。天宮に対する憎しみと、君に対する執着で他は何も見えなかった、ってのが正解だ」
「わ、私に対する執着ですか?」
「ああ、これは言ってなかったか。五年前に僕が目覚めて持っていたのはそれだけだった」
「……それも、『Azrael』がそうさせているのでしょうか」
「かもしれない。だとしたら僕はまるであやつり人形だな」
「そ、そんなことは……」
 ないです、という言葉尻は口の中で消えた。昨日出会ったばかりの少年のこれまでの人生を否定するほどの権利は、当然自分にはない。だが護留は少し笑って、
「すまない。今のは少し自嘲が過ぎた。まあ例え僕が何かの役割〈ロール〉を振られただけの人形でも、その役割を全うしようって意志は少なくとも僕のものだ
 そして、それを命じてくるこの〝声〟――『Azrael』のことについて、僕はもっと知らなくちゃいけない」
「それを知りたいのは私も同じです。先程の過去視は私が打ち切ってしまいましたが――私と眞由美になにが起こったのか、そして護留さんの昔の記憶を取り戻すためには積極的に見る必要があります。
 もう一度、試してみますか?」
 差し伸べられた悠理の手を見つめ、護留は曖昧に首を振った。
「自分からまた『抱きしめて』くれと言ってるようなものだぞ、それ」
「~~っ! ですから! なぜ! このタイミングで冷やかすんです! 私は真面目にですね――」
「いや、すまない。でも、まだ君の顔色が悪いままだから」
 悠理は自分の頬に手を当てる。冷たい汗に反して頬は熱い。幻覚を見ていた最中のような吐き気はもうなくなったが、心拍数もいまだ高いままだ。身体制御用ナノマシン溶液の手持ちは、当然無い。
「あ、その。こちらこそ、気を遣っていただきすみません」
 素直に謝る悠理に護留はバツの悪さを覚え、少し視線を逸らす。
 確かに彼女の体調を心配したのもあるが――不可抗力以外で悠理と抱き合う決心がつかないのが実のところ本音である。
 ――バレてないよな?
「確かに抱き合うのが恥ずかしいですよね、分かります」
 バレていた。思わず視線を戻すと、悠理は最高のカウンターを決めた格闘家みたいな笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「まあ私は誰かさんと違って? 真実を知るという大義のためには抱き合う覚悟を持ち合わせていてあいたぁ! 叩くこと無いじゃないですか!!」
「君が五年間社内で味方が居なかった理由がなんとなく分かる気がしてきたぞ」
 仕返しにぶんぶんと振り回される悠理の腕を避けながら護留は言った。
「こっちのセリフです!」
 
      †

西暦2199年7月4日午後3時00分
澄崎市南西ブロック海面下居住区内、第三階層中央通り、〝物乞い市場〟

「護留さん――あなたは無計画さが目立ちます」
 二人で市場へ向かいながら、悠理は断言した。護留は言い返しもせず、悠理より半歩下がって周囲を警戒しつつ歩く。
「私の誘拐の状況が、聞けば計画外の出来事が重なった結果じゃないですか。それで私を隠れ家にまで連れてきて――備蓄の食料が切れたなんて。まさか二日連続で有機発電機をお出しされて、しかもそれが最後の食料なんて思ってもみませんでしたよ。武器を買うより先に食べ物を買ってください」
「君の分の食料まで気が回らなかったんだよ。普通の人間はALICEネットからエネルギー供給されてるから」
「確かにALICEネットからのエネルギー供給は自動に行われますが、公社がその気になれば供給を閉じることもできますし、供給した相手の場所の特定も可能です。だから私はフライヤーの中で即座にネットから切断しました。……もしかして、私がこの処置してなければ、今頃もう市警軍に踏み込まれてたんじゃないですか?」
「……かもしれない」
「はぁ……。護留さん、本当にあなたは天宮が――父が私を殺すために雇った凄腕暗殺者なんですか?」
「凄腕暗殺者なんて自称した覚えはないぞ僕は。多分、『Azrael-02』だから選ばれたんだろう」
「ああ、なるほど。でもそれ以前には護留さんはその――悪いことをして、お金を稼いでたんですよね? そんなドジっ子で大丈夫だったんですか今まで」
「一昨日の意趣返しのつもりか、その言い草は……。別に悪いことなんてしてない。死体漁り〈ハイエナ〉とか、紹介屋経由で受けた市警軍の輸送車襲撃の仕事とか――」
「輸送車襲撃は充分悪事ですよ!?」
 複雑に入り組んだ路地。辺りはほぼ闇で、護留の持つライトが無ければすぐに道に迷ってしまいそうだ。
 地下居住区は90年前から公式上は無人――どころかその存在すら抹消されている。だが実際は護留のように、地上の廃棄区画すら追われた人間がナノマシン汚染の比較的少ないエリアに点在して住んでいた。複数階層が存在し広大な延べ面積のため人口密度は低いが、総人数はそれなりの数がいるらしい。
 土地の少ない地表は基本的に高層建築がそのほとんどを占めていたが、地下居住区は高くても五階程度のマンションがあるだけだ。天井を見上げると、かつては機能していたであろう巨大な太陽光採光パネルが、増光素子が増幅させた街灯の微かな明かりの中に浮かんでいる。
 護留のねぐらがある第二階層やこの第三階層は比較的人口が多く、代々の住人の努力によって除染も進められてきたためガスマスクなしでも出歩けるらしい。これ以上深層になるとナノマシンの影響で奇形化した動植物や元人間が徘徊する魔境が広がっているとのことだが、誰も確かめたわけではない噂だ。
 二人が歩く左右には民家やマンションが立ち並ぶが、当然灯りはついていない。しかし悠理は時々家の中から強い視線を感じ取り、身を硬くした。護留曰くここの住人たちは相互不干渉を徹底しており自治体や自警団なども存在しないとのことだったが――何度か見えない不審の眼を向けられるうち、知らず護留の手を握りしめていた。護留も、握り返す。
 市警軍はもちろん、犯罪シンジケートや企業も進出していない、文字通りの治外法権世界。地表でも金品のため、あるいは快楽のために殺人は頻繁に行われていたが――ここではむしろそのような『わかりやすい』理由で殺されることは稀であるという。
 今目指しているのは〝物乞い市場〟と呼ばれるこの地下居住区唯一のマーケットだ。住民が回収してきた地上のゴミや、地下で長年放置されている品物を辛うじて稼働するリサイクル・プラントを用いて再利用し、売買が成されている。食料も故障寸前の小規模なバイオーム・プラント数基から創りだされており、地下住人のか細い生活基盤を支えていた。
「着いた、ここだ」
 護留に言われなければそのまま通り過ぎていたであろう、それくらい今までの景色と違いがない場所だった。だが言われてみれば、灯りがわずかに多く、炊き出しの煙がとこどころで上がっている。
「あの――そう言えばここでお金って使えるんでしょうか?」
「基本は物々交換だけど、エネルギー源や生体素材としての価値もあるALC〈アルク〉紙幣なら使用可能だ」
「ALCは擬魂が入っているのは知っていましたけど、素材としても使えたんですね」
「造幣も君の会社が担っているはずなんだが」
「……私はお金って普段使いませんから」
「そういう問題じゃないだろう」
 食料品店を探しながら歩く。ここに来るまでは誰ともすれ違わなかったが、市場だけあってかぽつりぽつりと人を見かける。だがそのほとんどはあらぬ方向を見つめぶつぶつと呟いていたり、上半身を極端に曲げて歩いていたり――まともそうな人間は一人としていない。
「地下住人のほとんどは、ゾンビなんだ。精神や魂に著しい損傷を負って地上にいられなくなった人間の、吹き溜まりなんだよここは」
 悠理も知識としては地下居住区やゾンビのことは知っていた。だが実際に目にするのは当然初めてだったし、ましてや澄崎市の足元にこのような世界が広がっていることは想像出来なかった。
 自分は〝内〟と〝外〟と二つに世界を分けて考えていたが――その〝外〟にすらこうやって別の世界が広がっている。五年前に立てた誓いは無駄だとは思いたくないが、なんだか自分はずいぶんと矮小なことをしていたのではないかと、少し気恥ずかしくなった。
「僕もゾンビなのかと昔は思っていたが、どうもそうでないらしい。だからねぐらにはほとんど寝に帰るだけで基本は地上で暮らしていた」
 居場所を逐われた者達のヘイヴンでも疎外感を覚える生活。徹底的に世界の外に立つ者であると思い知らされる日々。
 でも、
「今は、私がいますよ」
 悠理がぽつりと漏らした言葉に、護留は一昨日のように茶化したりはせず、悠理の手を握る力を強めることで答えた。

(続く)

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