見出し画像

ずる賢さも使いよう

 ずる賢さって悪いイメージを持ちやすいけれど、うまく使えたら便利な場面もたくさんあるなと思うようになった。

 それこそテレビでよく見る学園ものドラマのいじめっ子や、恋愛系ドラマで人の旦那を寝とる女みたいな印象を物心ついたときに覚えたからか、頭の中で勝手にずる賢い=悪だと思っていた。
 それに小学校の頃、私をいじめてきたいじめっこの事を思い出したら、先生に見つからないためにいつも用意周到だった。ボスは支配下にいる人を毎度うまく使って、気づかれないように巧みに策を練っていた。

 つくづくそういう所には頭のキレる子だったからもっと他に使えばいいのにとは思っていたんだけれど。
 そんなこんなで、ずる賢さに対してなんとなく嫌悪感を抱いていた私は、誰に対しても穏やかに優しく接しないといけないと思い込んだり、学校には理由がない限りちゃんと行かないといけないと思っていた。

 だから小学校から高校を卒業するまでの間は高校三年生で本当にしんどくなって1日だけ休んだのと、インフルエンザで出席停止の日以外は全部出席していた。
 でもいつからだろうか。効率よく生きる為にはずる賢さも時には必要だという事に少しずつ気づき始めた。

 好きな事に挑めるようになった分、無駄な時間や無駄な労力を使う事の方にしんどさを覚え始めたからだと思う。

 大学になって、これは受ける意味あるのかなあとちょっと心配になる講義だったり、すごく良い人ぶって話してくるけど実生活が伴っていない口だけの人と関わって思い悩んだ時、今まで通り優しさで対処しながら時間を割く事に疲れる事が多くなった。
 だからその頃から無理に体力や精神力を使わないようにし始めた気がする。

 授業も、プリントを見ていればあらかた把握できる上に先生の自慢話が多い講義に行って自分の時間を使うのが億劫だったから、たまに出席に響かない程度に休んで別の科目を勉強する時間に使っていたし、自分と深く関わってこないだろうなという人の会話はあまり情を深く入れ込まずその場で済ますようになった。

 もちろん授業料が無駄になるとかそういうことも考えたけれど、でもそっちを死守して時間を無駄にしてしまっては、それこそお金の無駄だと思ったのだ。
 有意義に勉強して時間を使って卒業できて、それが将来活かされる形なら自分できちんと選び取る力も必要だなと思ったのだ。
 
 それは今も変わらない。仕事中もプライベートも普段の会話にあまりエネルギーを使いすぎないようにしている。指摘されても心で受け止めてしまうと引き摺ってしまいがちなので、頭で篩い分けて真摯に受け止めるべきものだけ心で拾うようにしている。

 HSPで人の言葉によく左右されるような人間だったが、長年自分を研究し続けて今はしっかり業務用の返事と、普段用の返事を使い分けるようになったので生きるのは随分楽だ。

 与えられた時間はみんな平等だ。でも使い方によっては良い方にも悪い方にも転んでしまう。だったら頭と心は使うべき時に使いたい。
 だからずる賢さも時には必要だと思う。


読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。