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可愛い子には旅をさせよ

 保育士として働いていると、やっぱり子供時代っていかに大きいかを感じるようになった。大人になった今、私は2年後には表現の道に進もうと準備をしている。
 そんな風に思えたのは、自分が保育園に行っていた頃の経験が確かに響いている。

 私が子供の頃は、まだ今よりも全然規制のようなものは掛かっていなくて、保育園は常に裸足で園庭を走り回っていたし、木登りして友達とお喋りするみたいな(どこの国の話だと思われるかも知れないが)生活を送っていた。
 外への散歩もなかなか遠くまで出歩いて、河川敷の茂みに生えている茱萸の実や、保育園の近くの柘榴をみんなで食べるなんて事もよくあった。電車に乗ってはるばる山登りをする事も年に数回あった。とにかく汚れるのを恐れない子供だったと思う。

 そして思い返せばリズム感や身体能力を知らず知らずのうちに鍛えてもらっていた。
 片足立ちや側転はほぼみんな出来て当たり前状態だったし、先生が二本の竹を持って足元でそれを開いたり閉じたりしている所に子どもがリズムに合わせて足を出し入れするバンブーダンスとか、うちの近所はだんじり祭が残っているような田舎だったから、和太鼓などの昔の文化に触れる事もよくあった。

 運動会ではリレーはもちろんあるけれど、鉄棒で逆上がりをしたり、一本橋の丸太を裸足でてくてく登って行ったり、見ていてちょっとヒヤヒヤするような事をよくやっていた。普段の遊びから竹馬も自分の身長より高いやつに乗ろうとしていたんだから、本当にびっくりだ。

 その上絵を色んな技法で描いてみたり、縄跳びを編んだり、藍染のタペストリーを作ったり、拾ってきた木々でクリスマスのリースを作ったり。そういった自分を表現する場が至る所にあったのだ。

 私が未だに表現に興味があるのも、リスクのある事に惹かれるのも、体がヒョロい割に心身ともに打たれ強いのも、野性の勘やリズム感を感じ取りやすいのも、全ておおもとは子供の時に培われたと言ってもいい。
 そう思うと、今のご時世の子供は外で思いっきり遊ぶ事も、危険を伴う事さえ出来ない状況になっている。安全な場所で過ごせるに越したことはないけれども、大人になった時どんなふうに成長しているかを想像すると何とも言えない。

 ずっと前に書いたけど、過保護過ぎてもその時は良く育ったとしても後で子どもが一人になった時、どうなるかわからない。「可愛い子には旅をさせよ」という昔の教えがあるけれど、多少なりとも子どもが生きる力をつける経験というのは大切だと思った。


読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。