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生まれたままの

 去年の8月下旬、表参道のスパイラルビルに行った。ELEVENPLAYの新作公演を観るためだ。
 ELEVENPLAY。星野源や椎名林檎のバックダンサーと言えばわかりやすいだろうか。Perfumeの振付でおなじみMIKIKOさんの率いる女性だけのダンスカンパニーである。

  今回の公演タイトルは「Nu.(ヌー)」。
 「ただひとつの与えられた身体を肯定したいー(中略)ー『べき』ことを否定したい」とフライヤーには書かれていた。

 感じたことを結論から言えば第六感まで総動員しないといけないくらい生々しかった。
 今までの公演を毎度観てきたけれど、いつも絡めてきたテクノロジーを今回はあえて使わず、身体でしっかり魅せる。そんな光景を身体全部で受け止めようとするあまり、私は終演後にひと運動してきたかと思うくらい疲れ、感動で胸がいっぱいになった。涙を流していた。

 今回の舞台はいつもと違う場所で一階の大きな螺旋の通路があるステージ。
 中心に白いテント、取り巻くようにばら撒かれた白い紙、天井に浮かぶ白い布を纏った白い風船。ダンサーのためだけに用意された、まるで儀式を行うような聖なる空間のようだった。

 公演が始まると、荘厳な賛美歌のような音楽とともに8人のダンサーが列をなして螺旋の通路を降りてくる。ワコールディアの協賛で作られたYae-ponさんの衣装は肌の色と同化するような生地のもので、いやらしさよりも上品な色気を纏っている。手のひらにライトを抱える姿はさながら西洋絵画で見る女性のような高貴さをたたえていた。
 テントに入り、まるで胎動しているかのようなダンスを終えるとテントから這い出し、一斉にカウントを声に出しながら踊る。その後深呼吸をして、各々が自分を確かめるように自分の肌の匂いを嗅いだりする仕草を交えながら踊っていた。生まれてきた時の事を思い出すようなシーンだった。

 だがその後から少しず情景は不穏になっていく。
 ノイズが渦巻く音楽に乗せて、耳を塞いだり、目をつぶって足で何かを踏まないように歩き出し、続けざまブルガリアンヴォイスがサンプリングされた呪術のような音楽とともに、一斉に個性を消したように凄まじい正確さで一糸乱れず踊り出す。

 その後も、体の変化や他人との比較、自己陶酔や嘲笑だったり、社会の「こうあるべき」という枠からはみ出させまいとする、めんどくささ、辛さ、苦しさを表したかのようなシーンが続く。

 だが後半、しがらみに囚われ絶望してしまったようなシーンから、それを解いて断ち切り、自分を取り戻して強く生きていく覚悟を感じた場面は胸が熱くなった。
 そうして自分らしさを取り戻した彼女たちは再び深呼吸をし、白い風船を手繰り寄せ布の中に消えていった。そしてまた、これからの輪廻を表すかのように冒頭のリフレインのようなシーンで公演は終わりを迎えた。

 女性というフィルターを通して描かれてはいたけれど、これは決して女性だけに限った話ではない。誰にでも起こり得る話だと思った。
 ましてや多様性の時代。枠にはめがちな日本人にこそ観て欲しい作品だった。
 セクシャルマイノリティで、かつHSS型HSPの私としては救われたような気分になった大切な作品だった。強く背中を押された。
 
 「Nu.」の意味はきっと「ヌード」なのではないかなと思う。何も着飾っていないありのままの姿。
 生まれ持った性、色、形。私だけに授けられたそれを本当に大事に生きたいと思えた。そんな夜だった。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。