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僕はこんな場所で育ったから、これまで普通に生きてのれたのかな?

1982年9月、僕は茨城県北茨城市という海と山に囲まれた自然豊かな街で産まれました。

僕の家の周りは田んぼや畑、自宅の玄関を出ればすぐに街を守護神のように見守る高帽山が見え、季節毎にその表情は変わります。
春夏は緑が深く、秋は絵の具をぶち撒けたような鮮やかさ、冬は木々の葉も落ち、寂しさだけが残ります。

耳をすませば、川の流れる音、草木が擦れ合う音、虫や鳥の鳴き声、トラックが採石場へ向かう音、工場地帯から聞こえる金属音、お寺の鐘の音、僕の家からいろんな音が聞こえますが、人の声は皆無と言っていいほど、聞こえません。

要するに超の付くほど田舎で僕は産まれ、18歳までここで育ちました。

39歳で発達障害(ADHD)と診断されましたが、それまでは所謂、健常者だと思って生きてきました。多少の生きづらさはありましたが、うつ病になるまで発達障害が生きづらさに繋がらなかったのは、やはり環境のおかげかなと思っています。

先日、地元の友達と話した時に「学生の頃、僕はどんなイメージだった」と聞いたところ、「へんなやつ」「ちょっと変わってる」などという言葉をもらいました。

ほとんどの友人たちとは今でも友好的な関係が続いています。

僕の暮らしていたところは、歴史的なことはわからないけど、国籍もそうだし、障害がある人もそうだし、そういう概念がない場所だったように思えます。

ただ、僕が無知だったから見えていなかっただけかもしれませんが。

僕は思うんです、目立つ人は大勢の中で目立つけど、少人数だと目立たないじゃないかと。

田舎がその例です。

障害があろうが、国籍が違っていようが、みんなで仲良くやっていこうぜ、みたいな雰囲気は都会よりもあると思うんですよね。

田舎の方が受容力があると言うか。

実際は表面上だけかもしれないですけどね。

それは、人間の本当の気持ちはわからないというのと一緒かもしれないけど、僕にとっても居心地良い場所だったなと思っています。

一方、東京は圧倒的に人口が多く、発達障害の母数も増える。母数が多くなるということは、発達障害が持つ、良い面も悪い面もたくさんの当事者がたくさんの健常者に晒しながら生活をし、それを受け取った健常者が、発達障害がある人たちたちにとって生きやすい環境なるか、それとも生きづらさを感じる環境になるかを作っているんじゃないかと思うんです。

分け隔てられた世界なら、そこは僕たちにとっても、健常者にとっても生きやすい環境なのでしょうか。

僕たちはともに生きていかなければならない。

同じ人間だから。

田舎にはそれがあるのだと思う。

誰もが同じ人間ということを誰もが無意識の中に持っている。

だからこそ、僕は健常者だと思って生活ができていたのかもしれない。

僕はお勧めをしたいと思う。

発達障害も含めて、障がいがあることが生きづらさになっているのであれば、田舎に行ってみるのもいいかもしれない。

僕はなぜ東京にいるかって?

東京が好きだからです。

なんなら沖縄にも住みたいし、ハワイにも住みたい。

今の僕を作ったのは言うまでもなく、地元だなと思うのです。



発達障害は都会よりも田舎の方が生きやすいのか?


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