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世の中の上司へ 若者は困っている

好きな映画に『The Pursuit of Happyness(邦題:幸せのちから)』がある。ウィル・スミスとその息子が共演していてご存知の方も多いと思うが、ウィル・スミス演じる主人公のクリス・ガードナーの”幸せを掴み取るまでの半生”が章立てされている構成だ。確かprologueかchapter1から始まるんだけど…

私はいつも、自分の人生に面白みを求めてきた。人と同じ選択ではなくて、ちょっと変な道を行ってたって、それが私の中の正解だった。人生を一冊の本にまとめたとき、めちゃくちゃに面白い本が出来上がっているように、私は生きてきたと思う。

これまで何度かブログも試みたけど、言語化って難しい。そもそも自分の人生を章立てしたとして、私の本はどこから書き始めるのが一番面白くなるのだろう。とりあえず明日や将来にむけて、いつか本を書く時のためによく考えた選択をしておこう。なんて思う毎日。何かアクションを起こさなくてはと思いながらも、平凡に過ごす日々。

ところが最近、「まてよ…」と思った。というのも先日、「若い人の意見が聞きたいから」と声がかかり、ある会議に参加した。会議という場で意見を求められる機会は少なく、相手は上司なのだけど、大学時代の調子でバッチバチに言ってしまった。驚いたことに、私の言葉はまるで上司と違う言葉を喋っているかのように扱われて、私の意見はもともと聞く気などなかったのだと感じ、呆れてしまった。議論は結局結論が出ずに時間を迎え、無駄な時間を過ごしたように感じられたし、理解があると感じていた上司に対しても幻滅した。だけど同時に不思議に思った。その後家に帰ってもスッキリしなくて、私は考えに考え、ネットで調べ、そして気づいた。

そもそも、上司と私の話す言語は違うのだ。

言語と言うと大袈裟かもしれないが、とりあえず上司Aを仮に55歳、上司Bを仮に50歳だとする。私はその半分にも満たない歳。育った環境も、文化も違い、慣れ親しんでいる物も違う。上司には上司の当然があり、私には私の当然がある。もちろん意見のしかた、受け取り方にも彼らのルールがあって、おそらく私はそこに土足で乗り込んだのだろう。

OK、わかった。では彼らのやり方を学ぼうじゃないか。

でも困った。というかこのバランスはいかがなものか。若い者だけが一方的に歩み寄り、それで会社が前進するのであれば良いが、きっとそれでは間に合わない。彼らにも歩み寄って貰わなければ。いや、すでに努力はしているだろう。今時の若者は…とか、厳しく言うとすぐ辞める…とか。デジタルが…、イノベーティブ…とか、それらしき言葉は聞こえてこないわけではない。

上司の努力虚しく分かり合えないのは、出回っている情報に間違っているものが多いからではないだろうか。私自身ははゆとり世代の少しあとで生まれて、世間的にはさとり世代に該当するらしい。どちらにせよ若い世代の扱い方についての記事は山ほどあるんだけど、そのどれもが見ていてスッキリしない。私は上司にもっと、若い人を信頼して任せて欲しい。口先ばかりで「若い人の感性が必要」などと言わず、現状の危機としっかり向き合い、本気で若者の意見を求めて欲しい。

そんなわけで最近の私は奮闘しているのだ。私の物語の中で今生きている日々が何章目になるにせよ、タイトルは間違いなく、一年目奮闘記。

けれど目的は上司への攻撃ではなく共通言語の発見だ。そのために若者としての感性の実態とは何か、若者にしか出せない意見とは何かについて、日系地方大手東京拠点の新入社員の立場から発信していこうと思う。同じ境遇の人がいることを同じ立場にある人には知ってもらいたいし、これから社会に出る学生たちには世の中にはこんな困難もあるのだと知って、今のうちに社会に染まらない「若い世代の感性」を全力で身にまとって欲しい。

そしてぜひ若者を部下持ち「付き合いづらい」「理解できない」「分かり合えない」とお感じの、世の中の上司の皆様にご一読いただきたい。また、私はあくまで社会人一年目。知らないことも多く、学びたいことであふれている。私の感じる壁に対して、どうか大先輩として皆さんの視点を聞かせていただきたい。




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