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最近の私#10

  こんばんは
  今日は久々に、最近の私についてつらつらと書いてみる。心も頭もぜんぶがぐちゃぐちゃで、息が詰まっているから、ここで少し吐き出したい。

オリンピックが終わって

  オリンピックが終わってしまった途端に、そんなことないのに夏が終わるような気持ちになって、寂しくなるのは毎度のこと。でも今回は、どこか違う気持ちが生まれた。それは嫉妬とも取れるような、憧れとも言えるような、そんな気持ち。オリンピックの選手たちは、すごくすごく努力をしてきた結果、あの舞台に立てるほどの実力を得ることができている。それがすごく、羨ましく思えてしまった。私には、努力をすればそこまで凄くなれるような、秀でた何か、がないなぁと思うから。
  別に、あの舞台に立ちたいと思っているとかではなく、ただ、努力すれば大きな舞台に立てるだけの “秀でた何か“ が、私にも欲しかったと思う。私には、勉強をコツコツやることしかできないし、それも別に秀でてなんかいない。普通に、誰かには負ける。だから、羨ましいなんて気持ちを安易に持ってしまうのだろうな。

過去は過去と忘れられたら

  帰省中、親と過去の話をする機会があった。その過去は、あまりいい過去ではない過去で。話を進める中で思い出したとき、気づいたら涙が零れていた。嫌だったこと、不安だったこと、苦しかったこと。そのぜんぶが、私の記憶の中でぼやけていた輪郭を取り戻しそうになって、怖かった。
  あの頃の私が苦しんだのは、周りの人からの嫉妬だった。何をしても、攻撃の対象にされていたなって思った途端に、思考が停止して、心の中のずっと見ないようにしてきた傷が浮かび上がってきて、やっぱりダメかもしれないと思わせるものがあった。何がダメなのか、と聞かれたら分からないけれど、私は何をしても僻まれる人生なのかもしれない、とか、素直に評価してもらえないのかもしれないとか、そんな風に思えた一瞬が込み上げてきた。
  今までも、何度かこういうことはあった。過去を思い出しては怖くなって、涙が出る夜。でも、今回はいつもと違った。今まで忘れかけていた、薄れさせていた記憶の輪郭がハッキリしそうで、当時のことが鮮明すぎるくらい思い出せてしまいそうで、フリーズしてしまったくらいに、恐怖を感じた。私は、まだあの過去を克服できていなくて、傷も確実についていて、それが未だ癒えていない。今後も、癒えることはないのかもしれない。思っているよりも、感じているよりもずっとずっと、深い傷が残っているのだと気付かされてしまったようだった。無理に克服しようとは思わないし、頑張ってなかったことにしようとも思わない。でも、過去にばかり引きずられて、今という瞬間に向き合えないことほど悲しいことはないから、やっぱり過去には蓋をしておくべきだ。

双極性障害な私は、本当の私じゃない

  双極性障害になってから、初めて長期的な帰省をした。両親は、私の病気のことを理解してくれてはいた。でも、実際に長い間一緒に過ごしてみると、やっぱり家族が知っている今までの私とは、どこか違ってしまっていると感じさせるものがあったみたいで。なんでそんなにすぐにイライラするのか、と何度も言われた。すぐに不貞腐れるその態度は何か、とも。あぁ、私は家族の前ですら、この抑えきれないイライラ感やら、落ち込みやらを見せてはいけないのか、と思った。大学の友達や先生、周りの大人たちには、自分の躁状態で抑えられない苛立ちも不満も、すべて隠しているし、反対に抑うつな状態もバレないようにしてきたつもりだ。だけど家族なら、少しは甘えてもいいのではないか、と思っていた。
  でも違った。周りの他人より、身内にもっと気を遣ってくれと言われたとき、私の中で核となっていた家族への安心が崩れて、心の拠り所が消え去った。そうか、身内にはもっと気を遣わないといけないのか。そう思ったら、もういいやと思えてしまった。帰って来いと呼ぶ割に、帰省しても喜ばれている感じがしなかったのは私が悪いのだと悟ったし、双極性障害な娘は、家族にとって厄介な腫れ物でしかないのだと分かってしまった。前はそんなに怒りっぽくなかった、と言われたとき、この人たちに私の苦しさを分かってもらおうとするのはやめようと思った。
  私だって、好きでこんなにイライラしてしまうわけでも、不貞腐れたように見える態度をとってしまうわけでもない。どんなに抗おうとしても、抑えようとしても、ちょっとしたことで苛立ちを覚えてしまうし、自分でも疑問に思うことにすらいちいちイラッとしてしまうのだ。不貞腐れてるのではなくて、イライラを抑えるために黙り込んで必死になっているだけでも、実際はそういう風に見えてしまうのだ。そう伝えたとしても、きっと分かってはもらえない。すべては、双極性障害になった私が悪いのだから。そう思うしかないと理解してしまった帰省だった。
  双極性障害な私は、本当の私なんかじゃない。いくらそう叫んでも、きっと誰にもこの声は、叫びは届かない。私だって分かっていた。前はもっと穏やかで、怒りの沸点も高かったと。でも、今の私はそうなれない。どんなに頑張っても、抑えられない感情の波が押し寄せてくるのだ。どうしてこうなってしまったのだろうと悲しい気持ちは消えないし、私が1番、こんな私を好きじゃない。私はこれから、何も拠り所にできずに生きていくのだろうか。この病気が寛解するまで、私は独りなのだろうか。そんなことを考えてしまう。

明日もあさっても、可愛く居られたら

  色々なことを書いたけれど、とにかく明日もあさってもその次の日も、可愛い私で居られたらいいなと思う。イライラが抑えられなくても、突然やってくる抑うつに飲み込まれてしまっても、とにかく可愛さだけは失いたくない。そう思う。

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