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リワーク日記116 メンタル強くなくちゃいけませんか?

前回の記事で、私の担当している中の2大業務のうちのひとつを他の人に渡すことになったと報告しましたが、今週になってもうひとつの業務についても別の同僚にトレードで渡すことが発表されました。

上司曰く「部署内の面倒くさい度トップ3」の業務をなぜか独占していた私ですが、そのうちの巨大な2つが私の手を離れることになったのです!これによって、残された小規模ながら暴れ馬のような面倒くさい度3位の業務と、トレードで引き取る無数の小粒な標準的な業務たちが私の担当になります。多少はマシになりますね。

それにしても面倒くさい度トップ3って、そりゃ、疲れるわけです。3つそれぞれの業務が単体でも難度が高く複雑で私の権限や能力を超えています。それだけでなく、そんな業務が3つも私を取り囲んでいるのですから、天体の三体問題のように3つの業務が予測不能で不規則な動きを見せて、私を大きく振り回し翻弄し消耗させていたというわけです。それらを分散させるのは理に適ったやり方と言えるでしょう。矢を折るのにわざわざ3本束ねる必要はありません。1本ずつ相手にするのが最も扱いやすいのは当然です。

実際に引き継ぎが完了するのは9月ごろですが、私の担当業務の三体問題がこれで解消することになりそうなのは喜ばしいです。メンタル面でも体力面でもかなり楽になることでしょう。まあ、幸いなことに、これまでも前職より上司によるサポートが得られていましたので、メンタル面での負担は比較的軽減されていましたが、これからは気持ちの余裕も増えると期待しています。

さて、今でこそ私も心身の負担を低く抑えるのは当然必要なことだと思っていますが、以前は反対に自分自身が強靭であるべきだという考えに縛られていました。前職の職場でも特に「メンタルが強いこと」が優秀な社会人の条件だと信じられている節がありました。曰く、「自分はこんなことを言われても平気でいられた」とか「こんな扱いを受けても自分だけは会社を辞めなかった」とか「昔はもっと酷かった」など。どこの職場でも多かれ少なかれ耳にする言葉ではないでしょうか。

少し考えればわかることですが、「こんなことを言われる」ような職場は根本的にどこかがおかしいのです。「こんな扱いを受けた」こと自体が問題です。その環境にたまたま耐えられたからと言って自慢するようなことではありません。自分の職場がゴミ屋敷になっているのに、自分は平気だからメンタルがタフだなんて自慢しますか?片付けるべきゴミを放置して鼻を高くしている姿がいかに滑稽かを自覚すべきです。

仕事においては、そもそも個人の強靭な精神力に頼ってはいけません。仕事に精神論は禁物です。ストレスの強い業務があるなら、それを分解しストレス強度を下げて扱いやすくして処理するべきです。その分解→処理→統合作業こそが仕事です。精神力は関係ありません。ストレス耐性とか関係ありません。

今回の私の業務を分散させたのも、会社は(実質的には直属の上司が)適切にストレスの強い業務群を分解してくれたと言えます。

もちろん、職場のストレスは業務によるストレスだけではありません。人間関係ストレスというヤツもあります。どの職場にも他者の尊厳を傷つけずにはいられない問題児はいますし、問題児ではなくても反りの合わない人というのもいます。

問題児はともかく、天敵や相性の悪い人との付き合いというのも、ストレス耐性とかメンタルの強さとかいう話ではありません。技術やテクニックの話の範疇に入れるのが適切でしょう。いかに接触回数を減らすかとか、いかに最小限のコミュニケーションで必要十分な要件を伝え合うかとか、事故発生時の行動指針は、とか。やはりこれも扱いやすい形に分解するのが良さそうですが、感情のある人間相手である以上は事務的な対応にも限界があります。事務的に対応することそのものが相手の逆鱗に触れる場合もありますし。

最終的には全ての人によく思われたいという実現不可能な願望を断捨離するのが正解なわけですが、これとて自分の雇用や給与水準や昇進可否に影響力を持つ上司と馬が合わなかったら、あなたは断捨離の決意を貫徹できますか?人生は意地悪ですね。あの手この手で私たちを試してきます。ひとつ救いがあるとすれば、「正解はない」ということくらいでしょうか。試しに一度くらいはえいやっと断捨離してみれば、老後の笑い話のネタが増えるかもしれません。

そんなわけで私は自分を「メンタルが強い」なんていうつもりはさらさらありませんし、そんなものを追い求めるつもりもありません。念のため付け加えておきますが、私はメンタル疾患に罹ったことを契機にタフさを求めることを放棄しましたが、そもそも「メンタルの強さ」とメンタル疾患を発症することは無関係です。いくらタフな人でもうつ病になるケースはいくらでもあります。(以前の職場でも、闘牛士のような、というより闘牛の方に近い頑強な人がうつ病になったのを見たことがあります。)

職場には、メンタルの強さに関係なく誰もが業務が遂行できる環境が整っていて然るべきです。もっとみんな、ストレスを放射線のようなものだと思った方が良いと考えているくらいです。

放射線は目に見えず、無味無臭で感知することができません。それなのに当たるとDNAを傷つけ身体に害が現れます。そして放射線を浴びすぎてしまうと、命に危険が及んでしまうこともあります。ストレスに似ていると思いませんか?

放射線の被曝量には皆神経を使いますが、より身近なストレス被曝量の抑制にも気を遣った方が良いのではないかと私は思っています。放射線に対して体を鍛えて対抗しようという人はいません。対抗し得るのは科学的な対処のみです。ストレスもそう。精神力を鍛えて対抗すべきものではありません。

だいいち、私は何歳になっても精神的には10歳前後のままですので、鍛えるなんて非現実的です。10歳児でもできるように環境の方を調整すべきなのです。

ただ、自分が「メンタルよわよわ」だと公然と認めることに抵抗のある人もいるかもしれません。それがダメなことのように思う人もいることでしょう。あるいは、本心ではメンタルよわよわな自分を愛していても、世間では劣っていると思われているから堂々と自分を愛する勇気を持てない人もいるかもしれません。

しかし、ピアニシモでは退屈だという人がピアニシモで満足している人に対していくら軟弱だと難癖をつけたとしても、音楽界からピアニシモを評価する美しい感性が消え去ることはありません。同様に、カレーは激辛★5つ以外はお子様カレーだと豪語する人がいくら名を馳せ、激辛ブームが世間を席巻したとしても、甘口カレーへの需要がこの世から消え去ることはありません。世界は表面的な見た目とは異なる形をしています。

ということで誰がなんと言おうと、メンタルよわよわな人はメンタルよわよわで行きましょう。堂々とではなく、ひっそりと、細々と。海底の砂の中に隠れて生きるチンアナゴのように。たとえがよく分かりませんが、とにかくそういうことです。

というわけで今回はここまでです。いつものことながらまとまりのない文章ですが、実はこんなので良いのか毎回迷ってはいるメンタルよわよわな私です。ぜひスキとフォローで応援してください!!次回も楽しみにしていてください。

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