壱羽烏有

短歌を詠みます。

壱羽烏有

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最近の記事

宇宙の子宮

病室の白き区画にわれ臥して《宇宙の子宮》の記号を描く 祈るべき言葉を持たず朝よりうしなふ子宮は空の媒介 夕まぐれ部屋に嫗のありと知るとぎれとぎれのすがる祈りに 苦しみにあへばおのれの内にさへ難き間合ひは慈悲のつたなさ さいころを投げるともなき大空の退屈にこそ時はあるらし ──壱羽烏有 明日の子宮全摘出の手術のため、今日から1週間ほど入院することになりました。 入院前にスマホの中も家の中も、なんなら仕事も断捨離して、すっきり生まれ変わる準備が整っています。 奇し

    • 蝶の羽ばたき

      禍福なき春のめぐりのうららかに去りゆく子宮は蝶のはばたき ──壱羽烏有 この4月に、子宮全摘出の手術をすることになりました。 今のところ、この出来事も、不幸/ネガティブの一極のみではないように感じています。 意識が俯瞰にあり、この出来事をケアするように周囲のエネルギーが働いているのが見えていて……それはわたしにとって幸福/ポジティブな側面もあるととらえているのです。 幸と不幸の波があるのではなく、ある出来事それ自体でバランスは完結している。 一極しか見えずにいると、出来

      • 梅の精

        梅が香のうつる心に影見えて神の代に知る恋もありしや ──壱羽烏有 今日は恋人と梅林へ。 蕾ばかりでもなく、咲きすぎず、良い頃合いでした。 花から花へとわたっていると、ふっと花の気が心に憑いたような感覚が…… そして、心のおもてにゆらりと古風な青年の像が結ばれました。 梅の精……? 目に見えぬものが心に直接焼き付いたような。 その印象の強さは、恋と似ていました。 こんなものの見え方は初めてで、ちょっとびっくり。 精霊の姿を心で見る……ってこんな感じなのかな、と思ったので

        • ルシフェルの帰還

          魂の闇夜は永く道もなくいのちの果ての天津甕星 ──壱羽烏有 今日は、スピリチュアルに振り切った記事を書きます。苦手なかたは、回れ右してくださいませ。 * 最近、「ルシフェルの帰還」という言葉とスピリチュアルな情報が立て続けに入ってきています。 曰く、ルシフェルが堕天した真の目的は、全ての人間を闇から救うこと。 「完全な闇の中で、闇を打ち破ることができるか」を試みに、ルシフェルは一切の助けも光も届かない深い闇に落ちていった……。 そして「闇を打ち破る法」を極めて、たった

        宇宙の子宮

          散る。

          無力とはあはれ魔王の手の渇き散る花びらを支へむとして ──壱羽烏有 恋人が植物園へ連れていってくれました。 大寒の最中にも、冬の花が彩りを添えています。 蝋梅に山茶花が盛り。 そして、もうひだまりの梅が咲き始めです。 恋人が十月桜の低木にちらちらと咲く花を撮ろうとしたところ、枝に触れてしまいました。 もう花の季節は終わろうとしていたのでしょう、もろく散って…… わたしは咄嗟に、倒れるひとを支えようとするような条件反射で、花びらに手を差し伸べました。 当然、花びらは体勢を

          master of silence

          静寂の階段ひとつおりるたび上にのぼつた。ひとに逢ふとは ──壱羽烏有 騒音とリラクゼーション音楽を聞いた時の脳の変化を見た研究があるそうです。 その研究では、なんと騒音と音楽の間の2分間の何もない音の時に、脳が一番リラックスしている状態をみせたのだとか。 * 最近、行く先々の静けさに様々な味わいを感じるとともに、その深まりに段階があるような気がしています。 そこで、静寂の味わいと深まりに特化して書かれた本がないかしら……?と探してみるも、なかなか見当たらず。 言葉はと

          master of silence

          静寂礼賛

          冬の茶を舌にのせれば味はひと吾を受けとめる宿のしづけさ ──壱羽烏有 今日は久しぶりの、お気に入りの古民家カフェへ。 山を切り開いて作られた庭園は紅葉。 広い和室に座を占めると、時折、冬の風が縁側のガラス戸を叩くのが聞こえました。 静か……。 ひと口に静けさと言っても様々な味わいがあります。 このカフェの静けさは絶品。 障子が薄い膜のように外界と部屋を隔てていて、まるで自然の静寂を部屋に掬いとったよう。 都会で作られる締め切った静けさとは違って、静けさそのものに

          成る島

          せとうちにぽこりぽこりと成る島の息をこころにむすぶ神名ぞ ──壱羽烏有 1泊2日、倉敷・岡山の旅へ。 初めて瀬戸大橋をわたりました。 小島がぽつぽつと浮かんでいます。 淡路とはまた違った神代の雰囲気…… 島々の間で潮の流れが複雑になっているのが見えました。 そんな潮の描写から始まる小説がありそう。 何かがこころの底で呼んでいるような、なんとも不思議な心地を味わったのでした。

          夜雨。

          さらさらと雨の音のみ耳に流れまぶたに映る闇の幕間 ──壱羽烏有 深夜3時、雨。 今日と明日のあいだのホワイトノイズ。 音は正しく耳に入る。 耳でしか聞こえないことを居心地悪く感じながら、いつの間にか眠っていました。

          時を計る

          秋の日はきみの隣にはらはらと木の葉がはかる時にまかせて ──壱羽烏有 恋人が湖畔のカフェに連れていってくれました。 北欧風の、木材を主にした造り。 窓際の席は湖をのぞみ、二本のおおきな木が見えました。 BGMの音量はごく小さく、静寂が柔らかい。 わたしごのみの空間です。 時が止まったような……? 否、ときおり木の葉が落ちていく、それが時の流れを教えてくれています。 以前彼とともに訪れた、これもまた静寂の心地よい古民家カフェで、庭の大木から落ちる雨だれが低木の葉を叩

          優美な人よ、遊べ。

          見上ぐれば秋のさくらの虫食ひの葉に連れられて空も散りゆく ──壱羽烏有 「今ここ」のあるがまま。 目の前にある通り、事実そのもの。 最近は、そんなところに意識を向けています。 五感は「今ここ」だけをつかまえる。 音を言葉に、音楽にするのは思考。 思考とは、一瞬前に消えていったものたちを組み立てる力。 思考はそのようにわたしと現実を構築する。 それを、幻という……。 ゆえに経典でさえ幻と言い放ってしまう、そんなエッジに立っていると。 まさに言葉と記憶の構築である、短

          優美な人よ、遊べ。

          夕暮れ

          存在の膜はたしかに呼吸する薄桃色の秋のゆふぐれ ───壱羽烏有 心地よい気候になってきました。 何をするにもよい頃です。 何もせずにいるにもよい頃です。 瞑想でよく言われる「今ここ」。 「今ここ」とは…… オセロでいうなら、白黒する石ではなくて。 ゲームをあるがままに良しとする盤のようなもの。 そのあり方を愛と呼ぶなら、 すべては、今、愛のなかにある。 そんな思考が起こったり 起こらなかったり。

          月。

          地のあなた時のあなたも見上ぐればあなたの岸もむすぶ望月 ──壱羽烏有 月を見ると とおい国のひとも はるか古代のひとも ひとつの月があったのだなぁ、と 思います。 今日は、月読命は闇と黄泉の神さまだ、という話を聞きました。 月読命がまことに黄泉の神であるならば…… 彼岸と此岸をへだつ川さえ照らすのでしょう。

          秋。

          恋神の羽空ゆ降りくる秋なれば知らずつもりて知らず哀しも ──壱羽烏有 明け方の冷えこみに目が覚めて、毛布にくるまる…… よい気候になってきました。 明日は秋分。 いよいよ夜が長くなってきます。 漠然と恋しい、そんな季節がやってきます。

          バンジー

          ABRACADABRA 昆布に煮干し鰹節 悪い魔法を ホラ、ときませう ──壱羽烏有 今日も今日とて、二礼二拍手一礼から始まる台所。 土鍋ごはんのおむすび&お出汁からとったお味噌汁をいただきました。 そして、ゆっくりとお茶。 至福でございました。 * わたしにとっては、「お料理」がバンジーでした。 怖くてできない、というより、料理をするということが本当に受け付けられなかったのです。できるできない、ではなく、無理。 これが今までのお付き合いに影響していたなぁ、と。

          料理を神事として

          遥々とめぐる命よ大御食よわが命さへわがものならず ──壱羽烏有 随分ご無沙汰しました。 最近は、お料理という行為を受け付けなかったわたしが何やら目覚めまして。 土鍋ごはんの塩おむすび。 お出汁からとったお汁物。 これらを朝から小一時間かけて作っています。 でも、お料理を覚えようと思い立ったわけではなくて。 神さまとの生活のなかで、ふとやってきた 「神さまにお捧げする米・塩・水。これらを使った、土鍋ごはんの塩おむすび」 これをつくる。 神事としての料理をする。 そ

          料理を神事として