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優美な人よ、遊べ。

見上ぐれば秋のさくらの虫食ひの葉に連れられて空も散りゆく
──壱羽烏有



「今ここ」のあるがまま。
目の前にある通り、事実そのもの。

最近は、そんなところに意識を向けています。

五感は「今ここ」だけをつかまえる。
音を言葉に、音楽にするのは思考。

思考とは、一瞬前に消えていったものたちを組み立てる力。

思考はそのようにわたしと現実を構築する。
それを、幻という……。

ゆえに経典でさえ幻と言い放ってしまう、そんなエッジに立っていると。
まさに言葉と記憶の構築である、短歌を詠むという作業に、自分との乖離を感じはじめました。

そして、短歌を詠むならば自らの幻を愛でて戯れる心が必要なのだ、と気づいたのです。

古代インドの経典「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ」にこんな一節があります。

優美な人よ、遊べ。
宇宙は空っぽの貝殻、その中であなたの心は無限に戯れる。


そう。遊べばよいのです。なーんだ。

というわけで、遊びます。

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