うつ病ではないわたしは、心療内科で4000円を払っている
「がんばりなさい」
潤う、これは幻聴だろうか。
ただどうやら、目の前にいる人がわたしの方を見て微笑んでいる。これは嘘だと思われても構わないのだが、わたしは街ですれ違った人の"表情"を年単位で覚えている。一人ひとりを、丁寧に見やすく本棚のような場所に仕舞っているわけではない。雑多に積み上がる、古いビデオテープに録画されている。擦り切れても、消えることはない。どうしてここまで、人は多彩で、眩しいのだろうと思う。網膜を伝う季節風。ため息からは、甘い、過去の香りがした。
「どうもおかしい」
不思議なくらい最近、人に話しかけられるようになった。それはわたしの顔の造形が整っているからとか、それとは違う。27年も生きていれば、自分がどれほどかはわかる。劣等感からではなく、わたしは人の顔を見るより、表情を見るのが好きだった。
「道を聞かれるような人になりなさい」
昔、幼かったわたしに、祖母は繰り返し言っていた。その意味が当時、よくわからなかった。わかる必要もないと思っていた。数年前のわたしは、人に道を聞かれたことなど、ほとんどない。ノウゼンカズラの暖色と、深緑のマニキュア。相性の良くない色はないのではないかと、時々考える。それは人と人との、対話のようにして——。
「どう思いますか?」
家に帰り、恋人の彼に聞いた。わたしたちは一つ屋根の下で暮らしている。もうすぐお付き合いをして、半年だ。この時間が何を意味するかはわからないが、日々「結婚」に変わるものを、瞳を赤らめないように探している。指の腹で掬うのは、砂糖でできた色彩。空に向かって息を吹きかければ、そこにはたちまち、虹がかかるだろう。
彼は柔らかく、首を傾げながら零す。
「最近のしをりさんは、自分を楽しんでる表情をしています」
果実が熟れるようにして、頬が上を向く。
自分の中だけで完結するのであれば、解釈など、適当でいいのだ。そう思える。心の中にある、ぬるく透き通った水面に一滴垂らす。広がる彗星。強さなど、それくらいあれば十分なのだ。
◇
どうしても見せたい人がいた。
お腹が鳴り、それを紅茶で誤魔化している。不必要なほど早起きをした。色がはみ出し、余白が透き通る。実際、手際のよくない今のわたしにはもっと、時間が必要だった。
朝焼けと寝息が交じる。
彼は先々月うつ病になり、主に寝て過ごしている。療養という選択を"ふたりで"した。とはいえ、彼の収入がなくなり、不安で眠れない日々が続いていた。
とあるきっかけから、「ゲイはきもちわるい」と言葉を突き付けられ、職場で無視されるようになり、耐えきれなくなったわたしは先月退職した。一筋の光なんて、この世にないと思った。あらゆる帰り道、踏切の音を聴いているだけで泣き出してしまうわたしは、どう考えても限界を越えていた。足元にできる湖。未来を花瓶に生けようとした、その手が震える。今日も生きている、そんな奇跡をわざわざ思い出し、落ちる雫を宙にかけていた。
「是非、うちの会社で一緒に働きませんか」
何度も音を、鼓膜で咀嚼する。
そんなわたしも、やっとの思いで最近、転職先が決まった。LGBTフレンドリー企業に入ることができた。そこで面接官の方は、同性の恋人がいるわたしに向かって、やさしく、奏でるような声で言った。
「うちはあなたのような人も、あなた以外の人も守る場所ですよ」
ここから、だ。
全ての居場所で共通する言葉。
その台詞を何度も携え、生きていく。感謝が夏の太陽と共に、風鈴を鳴らす。この就職が、またさらなる一歩を後押しする。何十年と勇気が出なかった、わたしは"自分の力で"マニキュアをドラッグストアで買っていた。
◇
最初のきっかけは、友達からのプレゼントだった。
エッセイを毎日のように書いていた。ワンピースに体を通し、スカートを体に当てた。それらの出番はほとんどなく、鏡に映るわたしを素面で見てしまえば、似合うとは思えない。手入れしなければ髭は、日向で伸びる植物のよう。しきりに自分を撫でるのは、角張る骨格を削る仕草。ああ、どこまでもこれは遠い。
それでも、欲しかった。
身につけたかった。
纏いたかった。
細かい感情の整理などない。好きな食べ物を選んで食べようとする、それくらい自然であり、肯定否定の隙間すらないくらいの日常だったのである。
そんなわたしが、数日前、"自分の力で"マニキュアを買った。勇気が、線香花火のように輝く。とてつもない衝撃が身体中を走り、儚く、指先が栞として目に入る。同じく何年もの間、うつ病と重度のパニック障害と連れ添ってきたわたしに、あるはずのない、それは一筋の光だった。
◇
朝から、必死に、必死に塗った。
家で、塗っては落としての繰り返しだった。それで十分だと思うことにしていたのだ。
けれどその瞬間は違った。明確に、見せたい相手へ運びたい。その日、わたしは月に一度の、心療内科のある病院へ行く日だった。
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「10年かかります」と、当時病院の先生に言われた。
5年ほど前、初めてうつ病になったわたしは、わかりやすく絶望していたと思う。ただそれに続けて、先生は言った。
「治そうとは思わなくて大丈夫です」
何が人生において正解かはわからない。ただその先生は、わたしに対して、救いにした。それからわたしは、"景色"を愉しむようになる。人にはそれぞれの歩幅がある。生きてさえいれば、大丈夫な気がした。
ただ、その先生に診てもらうわけではない。
それとほとんど同じタイミングで出会った、わたしは"カウンセリングの"先生の元へ向かっていたのだ。
◇
「できました!」
彼に見せつける。
じっとりと、蒸すような暑さ。はみ出していたり、余白がある。まだ、ベースコートやトップコートを買ったり、そこまで準備ができていないわたしの指先の進歩は相変わらずだった。それでも綿雲のような言葉が、表情に乗る。「いいですね」「似合ってます」と、今日も言ってくれると思ったわたしは、彼と視線を絡める。
手の甲にキスをされた。物語のような人だと想う。そしてそれに酔う自分も大概、幸福だった。
数駅先の病院へ向かう。
飛び乗るようにして、車内に体を入れた。土曜日の電車、そしてこのご時世もあってか、空いていた。ぽつりぽつりと人が座っている。わたしも同じように腰掛け、ひたすら自分の指先を眺めていた。すると、次の駅で杖をついたおじいさんが、隣に座る——
「よいしょ」
落ち着きのある陽気さだった。そしてわたしのように独り言が多い人だろうと、表情だけで悟る。そんな穏やかな気持ちでいられたのも束の間。そのおじいさんはわたしの深緑を見て、言う。
「男がネイルか」
心臓が激しく動悸する。その後、みぞおちを打たれたように声も立てられなかった。「恥ずかしい」。そう思った。咄嗟に手を隠す動きをする。瞼で水滴を受け止め、暗闇に逃げ込んだ一瞬。そこへ、一筋の光が灯る。
「なんで隠すんだ。素敵じゃないか」
人の皺が動くと、歌が響く。隅で捉えたおじいさんの表情は柔らかく、どこか、亡くなったわたしの祖父に似ていた。そこで気づく。わたしは祖父にも、今の自分の姿を見せたかったのだと。走馬灯のように、声色が美しい。
「じゃあな」
そのおじいさんは、たった一駅で降りてしまった。数分間の交錯。「待って」と、わたしにだけ感じ取れる喉の震え。いつだって、追いかけてばかりだ。早くわたしも"教える人"になりたい。ざらつく感触。長い目で、それを目指そうと想う。
◇
病院に着き、診察券を渡す。
何度ここに来ただろう。
何度ここに、通っただろう。
いっとき、いや、いっときどころではない。飲み続けられない薬と同じように気まぐれで、縋るように流れ着く日もあった。
「いちとせさん、どうぞ〜」
部屋の奥から聴こえる声。人の声を、評価できるほど何かを知っているわけではない。気が合う、それは波長と同じようにそよぐ。「見てください!」と言おうと思ったら、先を越される——
「あら、どうしたの?いいじゃない!」
瞳が一直線に描かれる。こちらが迷うような言葉は渡さない。主語がないのに、どうしてここまで心を守る言葉を持っているのだろう、と。勘違いではないのだ。指先を目一杯咲かせ、わたしはカウンセリングの先生に自慢していた。
◇
「エッセイストになりたいです」
絵の具でいっぱいにした、大人の表情。
やっと、前を向けるようになったから言ったわけではない。崖をつかむような手の使い方でもない。重力がないのではないかと錯覚するほど軽やかである。写真立てに入れるように、人は夢を語るのだ。
昔のわたしは、どこで自分の人生に区切りをつけようか、そればかり考えていた。
去年のわたしがやっと口にした。
見つけた夢は、エッセイストだった。
文章を書いて、エッセイを書いて、ひたすらそれで歩んで来た。noteだけでも書いた話は500を越えている。早口になるわたしに、当時の、同じカウンセリングの先生は言った。
「もっとがんばりなさい」
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昔勤めていた、どの会社でもわたしは言われていた。
「お前はがんばりが足りない」「本当にがんばってるのか?」「もっとがんばってる奴がいるぞ」、と。他で頼ろうとすれば、多くの人は「がんばらなくていいよ」と言う。
どこかでわたしは、"がんばる"がわからなくなっていた。楽をしたかったわけではない。どうしたら前に進めるのか、それが見えなかった。がんばる話ばかりされるわたしは、何もかも遅れを取っている、それが唯一残った感情だった。
そんな想いの中、わたしの夢を聴いたカウンセリングの先生だけはやさしく、そして強く、「もっとがんばりなさい」と当時言ってくれた。本当に手を差し伸べられるのは、一緒に傷つく勇気のある人なのだろう、と。救われるばかりでなく、先生の言葉を聴いて、わたしは前を向き、繋ぎたい——
あれから今日、ここにいる。
マニキュアの話をたくさんした。
出会った人の話も、両手で抱えきれないほどした。
そんなわたしの姿を見て、先生はまた、言うのだ。
「がんばってきたのね」
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重なる表情、弧を描く目尻。
わたしの人生の横にまた、人がいる。両手はいつだって、余らないようにできている。「だめだよ」と自分に言っても、止まらない。さめざめと泣いた。いつもであれば、指先で溢れる涙を掬う。マニキュアを塗っていたその日、上手に拭けない自分が可笑しかった。手の甲で必死に拭う。そこからはあたたかい、恋の味。数時間前の、彼のキスがわたしを高揚させた。
◇
「ありがとうございます」
深々と頭を下げ、届く距離にいるのに、わたしは手を大きく振った。
早起きしてベランダで深呼吸する自分、帰り道花屋に寄る自分、マニキュアをせっせと塗る自分、そういうのにわたしはやっと、酔えるようになった。そんな自分が、好きになる。
昔、病院で聴いた。自分を好きになるのはかなり難しいから、"何かをしている自分"を好きになりなさい、と。
受付で財布から4000円を出す瞬間、「現実」に引き戻される感覚は一滴もない。瑞々しい、これは癒える匂い。一歩一歩、足を動かしている。その全てが、前進でなくてもいい。"わたしたち"は、今日も、確実に生きているから。
書き続ける勇気になっています。