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セミの鳴き声・・・リズムとメランコリー・・・

故郷では2種類のセミが認知され、方言の名前を与えられている。

それぞれの鳴き方が特徴的で、「ヤッズーダー…ヤッズーダー…」とリズミカルに鳴く種類をその鳴き方にちなんで iaʔzɿda(ヤズーダ)と呼んでいる。それに、「ヤッズーダー」という鳴き声は空耳でȵiəʔsaʔzəʔ(死ぬほど熱い)に聞こえなくもないから、偶に iaʔzɿdaの鳴き声はȵiəʔsaʔzəʔ(死ぬほど熱い)だと茶化す人もいる。

一方で、「ジーーーー」と大音量(合唱)で鳴く種類はtsɿlɒze(ツーローゼ)と呼ぶ。tsɿlɒzeはその音韻からすると「知了蝉」という漢字から来ているのだと推測できる。とはいえ、【了】という漢字の音読みは方言においてliɒ(リョー)だから、lɒは非規則的な音韻変化である。普段口語で話している分、リテラシーのある人でも、その漢字をイメージすることは滅多にないかと思う。それから、tsɿlɒzeの抜け殻に薬効があるとされるから、母は子供の頃にそれを集めてお金に替えていたそうだ。

両者をまとめた「セミ」というカテゴリは漢文と標準語にはあるものの、話し言葉としての方言にはない。(方言で漢字を読める人でしたら)【蝉】という漢字は方言でze342と読む。ところが、ze342という音節が話し言葉で名詞として用いられた場合カイコ【蚕】を意味してしまう。

どちらの名も普段漢字のイメージされない話し言葉であるが、iaʔzɿdaとtsɿlɒzeがそれぞれ聴者に与える感覚は大きく異なるように感じる。能記と所記との関係でいうと、iaʔzɿdaは有縁的で、tsɿlɒzeは無縁的である。iaʔzɿdaの与える聴覚イメージはすぐそのセミの鳴き声につながるが、tsɿlɒzeはそうでもない。実際、私は子供の頃にすぐ、iaʔzɿdaをヤッズーダーと鳴くセミとして同定することができたが、tsɿlɒzeはセミ(標準語の【蝉】=chán)であることを認識できたとしても、それを「ジーーーー」と鳴く蝉と結びつけるのに時間がかかった。

この2種類のセミは外観においても簡単に見分けがつくから、中年層以上の人は基本的に見た目のみで2者を区別できる。一方で、村生活から距離を置かれた私は故郷のセミを観測する機会が殆どなかったから、この2種類の名をそれぞれ身体の持つセミと同定することができなかった。

細い違いもあるかと思うが、日本語では iaʔzɿdaはコマゼミ(Meimuna mongolica)で、tsɿlɒzeはスジアカクマゼミ(Cryptotympana atrata)である。

さらに、ネット上の情報によると、「上海」(上海直轄市の範囲は広い)でよく見かけるセミは3種類もあるそうだ。故郷と「上海」との間に微妙な生態的差異があることも考えられるが(生態自体も変わるもので)、現地人がセミの種類をどのくらい同定できているかという問題もある。以上で述べた2種類の他に、「上海」で見かけるとされる第3種のセミはニイニイゼミ(Platypleura kaempferi)である。そこでニイニイゼミの鳴き声を調べると、比較的に低い音量で「チーー」、「ズーー」と鳴くらしい。仮に他の2種類のセミとの合唱ができたとしたら、背景音に埋もれてしまうような声の持ち主である。

iaʔzɿdaとtsɿlɒzeを見分けられる人にこの3種類のセミの写真を見せると、ニイニイゼミのことをiaʔzɿdaだと判断される。

私は汗かきで、蚊にも愛され、夏になると、体内のエントロピーが増大するような感覚で、湿疹など皮膚のトラブルが起こり、自分の境界があやふやになり思考も乱れやすい。(論理的思考と規則的生活が生きる上で必要である限り)夏はあまり好きではない。

小学校と高校の時に観たエヴァンゲリオンの影響で、「ジーーーー」と鳴くセミの声に没頭すると、エヴァを観ていた頃の感覚とムードが現在に侵入してくる。「ヤッズーダー…ヤッズーダー…」の鳴き声に没頭すると、小学校の夏休みの移住前の集落のイメージが断片的に蘇る。

「ジーーーー」と鳴く声が連綿としているから、メランコリーと親和的なのか。

リズミカルに鳴くヤズーダはどこか元気があるようだ。

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