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植物の毒は人間の狂気か

故郷の言語変種は中国の普通話とも日本語とも違って、「毒」= doʔ (ドッ)は名詞として用いられません。故郷の「毒」= doʔはあくまで形容詞で性質を表す言葉です。なので故郷では普通話の「投毒」、日本語の「毒を盛る」、「毒殺」など名詞化された「毒」の表現がなく、その代わりに毒殺は「薬殺」= jaʔsaʔ(ヤッサッ)と言います。 ※私の生活史において、故郷の大多数の人口を占める農民・農民二世は毒を自ら作ることはまずないです。知識として一部の植物、動物の部位が「毒い」ことは知ら

    • セミの鳴き声・・・リズムとメランコリー・・・

      故郷では2種類のセミが認知され、方言の名前を与えられている。 それぞれの鳴き方が特徴的で、「ヤッズーダー…ヤッズーダー…」とリズミカルに鳴く種類をその鳴き方にちなんで iaʔzɿda(ヤズーダ)と呼んでいる。それに、「ヤッズーダー」という鳴き声は空耳でȵiəʔsaʔzəʔ(死ぬほど熱い)に聞こえなくもないから、偶に iaʔzɿdaの鳴き声はȵiəʔsaʔzəʔ(死ぬほど熱い)だと茶化す人もいる。 一方で、「ジーーーー」と大音量(合唱)で鳴く種類はtsɿlɒze(ツーローゼ

      • 反復される逸脱者のイメージ

        子供の頃に、モノをたくさん身に付けたり、手に持ったりすると、「まるでwɑ̃ȵinsən(ワンニンスン)だ」と周りの大人に笑われながら、言われていた。 漢字イメージの付着しない、話し言葉にとどまる方言語彙について辞書的な説明をする習慣がそもそもなかったからか、wɑ̃ȵinsənとは一体なんなのかを周りの人が進んで説明してくれることはなかったし、私がwɑ̃ȵinsənの意味を聞き返すこともなかった。 そうして、すでにこの言葉を何度も聞いたことのある後の日、オンにしているラジオ

        • ニラレバとその他諸々

          日本ではお馴染みの中華料理だが、私という一個人が中国で食べたことのない「ニラレバ」をやってみました。 豚レバーとニラとを一緒に料理すると言ったら、「(そんなの)美味しくないのだ」と祖母に言われた。実際地元の老人の言う「美味しくないのだ」(不好吃kəʔ)は必ずしも自分の直接経験に基づいた判断ではないのが分かってきたので、これは美味しく作って黙らせるほかないと思った。 ※食べたことないのに「美味しくない(のだ)」と言うのが、「美味しいはずがない」と解すべきだと考える。実際「美

        植物の毒は人間の狂気か

          時の狭間に

          2月9日午後2時台、The Soul of Careの中国訳『照护』を読んでいる最中、住宅街で少し離れたところから、爆竹の音が急な勢いで鳴り始めた。読書を続け程なくしたら、火薬の匂いがやってきて部屋中にはびころうとする。時は【陰暦】の年末、不意の爆竹音に驚きはしないが、何のためのものかと気になり始め、祖父母に訊ねようとして一階に降りる。 一階ではテラスに取り付けられたガラスの部屋に祖母が編み物をしていた。何の爆竹かと聞こうとすると、方言の発音を間違ったためか、一度目は理解さ

          時の狭間に

          アブラナの種子から中国農村部の土地使用まで

          私 「これゴマだよね」 祖母 一瞬戸惑ったように固まって「ゴマ?(笑笑)」 私 「ああ、アブラナの種子だ!」 ↑家の前で干されていたアブラナのタネ  祖父母(主に祖父)は土地開発で移住されたあとも、政府に徴収されたものの、未だに再利用されていない、過去に使用権のあった耕地で農作物を育て続けてきた。このアブラナの種子もそこで収穫されたものだ。  一緒に畑に行きたいと祖父には言っているのだが、私を耕地に連れて行くことに積極的ではないか、いつも反応が薄く、一緒に行こうと応

          アブラナの種子から中国農村部の土地使用まで

          魚に関する覚書き

          ⒈魚の料理  帰国後の集中隔離において、毎日三食配送されてくる中国式のお弁当=「盒飯」に、たびたび魚料理が入っていて、「盒飯」や中国の学校食堂の「魚料理」を基本食べなかった私にとって非日常的で、10代の頃と比べるとと殆ど何でも口にしてみたい現在の私に少し新鮮な気分をもたらしてくれました。  もっとも魚全般が嫌いなわけではありません。ただ川魚の泥臭さが苦手で、中国の魚料理(とりわけ家庭料理と食堂料理)は川魚をよく使うからあまり食べていなかったです。中国では四大家魚と称されるほ

          魚に関する覚書き