見出し画像

反復される逸脱者のイメージ

子供の頃に、モノをたくさん身に付けたり、手に持ったりすると、「まるでwɑ̃ȵinsən(ワンニンスン)だ」と周りの大人に笑われながら、言われていた。

漢字イメージの付着しない、話し言葉にとどまる方言語彙について辞書的な説明をする習慣がそもそもなかったからか、wɑ̃ȵinsənとは一体なんなのかを周りの人が進んで説明してくれることはなかったし、私がwɑ̃ȵinsənの意味を聞き返すこともなかった。

そうして、すでにこの言葉を何度も聞いたことのある後の日、オンにしているラジオを肩からぶら下げて、今やもはやどんなものかはっきり覚えていないが、多種多様なモノを身につけて派手に着飾っていたおじいさんが、当時は工事車両、各種運搬車、バイク、自転車ばかり走っていた、滅多に人の歩かない大通りを徒歩で経過したのを見かけた。「ほら、wɑ̃ȵinsənだ」、と身近にいた大人が笑顔でそのおじいさんの方向に目配せして注意を促した。

それからそのおじいさんのことを何度か見かけた。見るたびにラジオをオンにつけたまま身を派手に飾っていた。そうして私は、習慣的に派手に着飾りをする人がwɑ̃ȵinsənだと考えるようになった。たまにそのようなフリをする自分はあくまでその都度wɑ̃ȵinsənみたいなものになるが、wɑ̃ȵinsənではないのだと思うことになった。

後にどんなきっかけか忘れたが、wɑ̃ȵinsənというのが実は私が何度か見かけたことのあるそのおじいさんの名前だと知ることになった。それを知ったときに実に奇妙な感覚を覚えた①。人の身振りを形容するような言葉が人名だなんて、不思議でしかなかった。あれほど名前が会話で繰り返されていたのに、彼はどこの住まいで、なぜそうしてぶらついていたのか、wɑ̃ȵinsənという人物に関する話は一切なかったのだ。「wɑ̃ȵinsən」というのはその震源である人物から飛び放って、彼の生い立ちから切り離されて反響されていった。

その後家族の住まいでもある母の店の移転がきっかけとなって、wɑ̃ȵinsənのおじいさんを見なくなった。彼はすでに死んだという話も聞いたことがあるようなないような…私が大きくなるにつれ、モノをたくさん身につけたり、手に持ったりするようなマネもしなくなり、中学校から故郷を離れて故郷の物事から疎遠していくうちに、wɑ̃ȵinsənという言葉も聞かなくなった。wɑ̃ȵinsənはいつから「wɑ̃ȵinsən」になったのか、結局それを知ることもなく時間が経過した。「wɑ̃ȵinsən」はwɑ̃ȵinsənの消失に伴って消えていったように見えた。大人になってからそれを思い返すと「wɑ̃ȵinsən」はあくまで一時的なノリでしかなかったのではないかとも考えた。

ところが昨日、今でも同じ住宅街に住んでいる、移住前は同じ集落のすぐ隣に住んでいたおばあちゃんが家にやってきて祖母と世間話をしていた。私は挨拶を兼ねて、お爺さんは家で何をしているの?と聞いた②。そしたら、「テレビを観るのよ。(目が悪くなったから)最近はラジオばかり聞いてるんだ。まるでwɑ̃ȵinsənだ」とお婆さんは笑いながら話した。

久々に「wɑ̃ȵinsən」を聞いた。今までの通り、wɑ̃ȵinsənという人物の話は一切出てこなかった。ただ「ラジオばかり聞いてる」というのは、確かにwɑ̃ȵinsənという人のイメージだが、私の知っている「wɑ̃ȵinsən」の使い方ではなかった。最も私にとってラジオはwɑ̃ȵinsənが身につけていたモノたちの一つでしかなかったのだ。お婆さんがwɑ̃ȵinsənという人を果たしてどれくらい知っているかをその場で聞くことはできなかったが、「ラジオばかり聞いてる」ことで「wɑ̃ȵinsən」が引き出されたのが気になった。彼女にとってラジオばかり聞いているのが笑うに値するおかしなことだ。読書きのできない、標準語も殆ど理解できない地元の年寄りの女性にとっては、配偶者がテレビばかりを観る/ラジオばかり聞くのはそれほど不可解なことなのだ。私は今までwɑ̃ȵinsənが男性であることを見落としていたのに気づいた。思い返すと、私が子供のときに派手に身を飾ったりするのを「wɑ̃ȵinsənだ」と笑ってくれた相手で最も鮮明に記憶しているのが父だった。wɑ̃ȵinsənは男女の不思議を一つの身にかき集めていたのだ。彼は逸脱していながらも、至って普通の人だった。彼の名前が彼という人物から離れて存在できたのは、その名前が具現するそれぞれの「撼動」が彼という一個人以前のものでもあるからだ。wɑ̃ȵinsənという人は必ずしも均質的な個人にならない人々が日々隣り合わざるを得ない他性を身にかき集め、それを「舞台」(市場圏の中心部/幹線道路)の上で見せ物にしたのに過ぎない。「wɑ̃ȵinsən」が二次的に使われたときに彼という人物はもはや重要ではなかった。彼が再現した他性と多性が現地の人々にとってときには自分にもありえたかもしれないし、ときには自分にありえないかもしれない。それらは「普通の人」として生きる上でも解消しえない他と多だからだ。自分の身体の延長・一部でもある配偶者/息子にそれらが現れたときに笑いが誘われた。状況によっては同じ質で同じ強度の笑いではなかったかもしれないが、それは自分の延長・一部でありながらも、その間が決して埋まることのできない二人称的な関係そのものの不思議と不可解さの裏返しではなかろうか。

①故郷(旧行政鎮・田舎の下層市場圏)の老人は一部文化資本の高いご出身の人を除けば、農民であった大多数の人には、戸籍に登録する漢字の正式名のほかに、基本的に日々の生活において呼称として使う別の名前を持っている。それは例えば「アレー」、「アロ」といったような「aʔ+1つか2つの音節」の形を取る名前だ。日本のケースで言うと、「おきち」、「おゆき」のような名前の感覚に非常に近い。aʔに続く音節は漢字の正式名の音節と重なることもあるが、全く関係のない音節が一般的だ。このような呼称を持つ人は、漢字の正式名を基本的に戸籍・国家の人口管理以外で呼ばれることはない。従って、wɑ̃ȵinsən「ワンニンスン」という如何にも漢字のフルネームの響きである名前は私にとってお爺さんのイメージとは釣り合わなかった。聞き取りでわかったことだが、wɑ̃ȵinsənという人物は中華人民共和国の成立以前には裕福で文化資本の高い家の生まれだった。

「aʔ+1つか2つの音節」の形を取る呼称は、1960s〜1970s前後で私の親に当たる世代(建国前後に生まれた人の子世代)から急速に減っていった。それ以降生まれた人は基本的に漢字の正式名が日常生活の呼称としても使われるようになり、「名前」の言文一致が始めた。なお、私の世代では「aʔ+1つか2つの音節」の呼称は完全に消滅してはいない。方言で漢字名にある音節Xを使ってaʔ+Xと親みを込めて呼ばれたりもする。ただこれは漢字名の音節によるもので、aʔ+Xの形で呼ぶには相応しくない音節もあるから、全ての名前をその形式に転換することはしない/できない。最も老人の間で使われる呼称は漢字名の音節と無関係なものが一般的だ。

②故郷では年老いた女性が近所の家を訪ねて雑談したり、一緒に作業したりすることが多いが、男性は基本そのようなことをしない。日本では家の外に村や職場など男性的な集まりはあるが、故郷では確固たる男性的な集まりは存在しない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?