時の狭間に

2月9日午後2時台、The Soul of Careの中国訳『照护』を読んでいる最中、住宅街で少し離れたところから、爆竹の音が急な勢いで鳴り始めた。読書を続け程なくしたら、火薬の匂いがやってきて部屋中にはびころうとする。時は【陰暦】の年末、不意の爆竹音に驚きはしないが、何のためのものかと気になり始め、祖父母に訊ねようとして一階に降りる。

一階ではテラスに取り付けられたガラスの部屋に祖母が編み物をしていた。何の爆竹かと聞こうとすると、方言の発音を間違ったためか、一度目は理解されずもう一度聞く。それで意思疎通ができ/tsalɒtsutsoŋ/【齋老祖宗】(祖先を祀ること)だと祖母は答えた。それらの家では今日/kuȵie/【過年】をしているのだと理解し、「私たちは明日なのね」と確認の相槌をしたら、祖母は赤い糸を編みながらこう言った。「私たちは明日、【小年夜】(陰暦の大晦日【大年夜】の前日)ね」と、少し間が空く。「私がいなくなったら、きみの息子たちにはこう言う。私たちの家では【小年夜】に【過年】をするのだとおばあちゃんが言ったと」。

その時、隣のおじいちゃんおばあちゃんが一階のテラスで【蹄膀】(豚のもも肉の上半分)を油で揚げていた。年越し用の【走油肉】を作っているのだ。2月の暖かい日差しが橘の繁葉を通り越して、ガラス窓の堅固を突き破って、部屋の中に降り注ぐ。ラードの焼けた匂いと薄れてゆく火薬の匂いが相まち、身体に秘められた遠い昔の記憶が呼び覚まされたか、とても愉快だ。床に漏れた光を辿りつつ、昨日【過年】の会食でストレスを覚えたこと、またそのストレスが今消えてゆくことに気がつく。夢から続いた朝の鬱屈もどこか境界のあるものと化して浮上しては静まる。

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