2022年5月の記事一覧
手数の多さとオリジナリティ
とある展示を見にいった日。アートに関する深い知見を持たないわたしは、自分の直感と感性でしか「ここが好き」「ここに惹かれた」という感想を伝えられない。でもそれでも問題なくて、芸術ってどんな人にも開かれているのがいいなあと思う。
今日観たいくつもの絵は、同じひとが描いてるのにいろんな描き方と雰囲気があっておもしろかった。モチーフは自然のものや景色が多いものの、それぞれから受ける印象がかなり違うのだ。
まっとうで必要なことは、つまらなかったりする
白状すると、自分は生活が苦手だ。1日1食になったり1日4食になったり、昼夜逆転生活になったり、寝なかったり寝過ぎたり。要は、定期的に生活が荒れる。そういうときは大抵、部屋にモノが散乱するし、洗ってない食器もいっぱいに溜まるし、洗濯物も溜まる。
掃除、洗濯、料理。自分はそういう生活の基盤になるものを軽視しがちなところがある。
その理由は、ときに忙しくて手が回らないのもあるだろうけど、それは表向き
よそ見してる“神サン”に見つけてもらえるまで
「あれがしたい、これがしたいと言ってるうちは、まださほどしたくないの。したいならするでしょう?わたしが本当にしたいことは、とっくにしたことの中にしかないわ」
友達に誘われて観に行った舞台『お勢、断行』で、お勢が言ったセリフ。お勢を演じる倉科カナさんは、狂気をはらんだミステリアスな雰囲気を醸し出しながら、そう力強く言い放った。
作品の内容は、大正末期頃に資産家の屋敷で起きたミステリーなのだけど、
「自分の言葉」を探すことでわかることもある
以前、自分の語彙と表現の幅を広げたいという話を書いた。それに近いことで、少し前にも自分の思いを文章でうまく伝えられないもどかしい思いをした。
それは、いち編集として原稿をオファーするときのメールの文面を書いているときだった。仕事を依頼したい理由を伝えるのに、自分がその方の作品に触れていることや、そこで感じたいろいろを文章にしたいと思った。でも、何度も手が止まった。自分のなかに納得いく言葉が見つか
誰かをわかろうとすること
実際に起きた事件を取り入れた映画を観たらいろいろ思うことがあって、ネットで事件と事件を起こした人の供述とか調べて、さらには関連する本を読むまでしてしまった。それでもあまり腑に落ちなくて、人間ってなんだろうとか考える。
ときに誰かのことを知ってる、わかってる気になってしまうけれど、自分の「わかってる」なんてほんの一部で、思い違いでしかないこともあるんだろうな。
子どもの頃は、たびたび母や父と口喧
最近うれしかった仕事と、わたしの「好き」を広げてくれた人の話
これまでnoteでは仕事の話をあまりしてこなかったのだけど、今日は最近うれしかった仕事のことを。先日、TBSラジオのメディア「オトビヨリ」で公開された九龍ジョーさんのエッセイ(わたしとラジオと)について。
九龍ジョーさんがとても素晴らしいお仕事をされる方ゆえ、わたしの「編集」というクレジットなんて名ばかりだけれど、仕事で関わらせていただけたこと、とてもありがたくて、うれしかった。最初にエッセイの
夢とかやりたいことへの向き合い方が変わってきた
「40代になると、自分にできることとできないことがわかっていい意味で諦められるし、ラクになるよ」
そんな言葉を、数年前に渋谷の居酒屋さんで聞いた。わたしもいつか、今抱えている「こうなりたい」「これを叶えたい」を手放して諦められる日がくるんだろうか。“いい意味で諦められる日が来る”なんて想像もできなかったし、まだまだしたくないなあと思った。
その頃のわたしはまだ会社員で、「ライターの仕事がしたい
3ヶ月ぶりの再会なのにネガティブが爆発してた
昨日は3ヶ月ぶりくらいに好きな人に会い、東京の街をぶらぶらお散歩した。いい天気で、いい日だった。けど、そう思えたのも夕方くらいまでだった。
原因はよくわからないのだけど、お昼過ぎから少し頭痛があった。「まあ、夕食までには治るでしょう」と思ってたら、夕食までに治るどころか悪化した。夜になって頭痛薬を飲むも、タイミングが遅かったせいか効かなくて、そのままに予約していたレストランへと向かうことに。そし