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手数の多さとオリジナリティ

とある展示を見にいった日。アートに関する深い知見を持たないわたしは、自分の直感と感性でしか「ここが好き」「ここに惹かれた」という感想を伝えられない。でもそれでも問題なくて、芸術ってどんな人にも開かれているのがいいなあと思う。

今日観たいくつもの絵は、同じひとが描いてるのにいろんな描き方と雰囲気があっておもしろかった。モチーフは自然のものや景色が多いものの、それぞれから受ける印象がかなり違うのだ。たとえば花というモチーフでも、強くて高貴さを感じる絵もあれば、やさしく柔らかな雰囲気を持つ絵もある。

もし「複数名での合同の展示なんです」なんて言われたら、アートを見る目が肥えてないわたしは「へえ、そうなんですね!」なんて素直に信じていたかもしれない。絵をひとつずつじっくり見つめながら、同じひとりでもいろんな表現ができるものなんだなあと思った。


受ける印象や表現の幅広さの理由について、絵によって画材や描き方が違うことは、素人のわたしでもわかった。それ以外にも、わたしが気づけてない理由というか秘密があるのかもしれない。

何にせよ自分には、そういう幅広さがとてと魅力的に映った。この言い方が合っているのかはわからないけど、おそらく手数が多いのかな?と思った。

これは画家さんに限ったことではないけれど、わたしは手数の多い人を尊敬する。ここでいう手数の多さは、生まれ持った天性の技術や手法だけじゃなく、新しい挑戦や工夫を重ねるなかで生まれるもの。さまざまな一手を繰り出せる人は、慣れ親しんだものだけじゃない、新しい景色を見せてくれる。


あと最初にぐるりと見てまわったときは気づかなかったのだけど、もう一度いくつかの展示を見返して驚いた。最初は「幅広い表現で、全然違うなあ」と思ってた絵に、“共通する何か”を感じたのだった。

最初はそれぞれ違う印象を受けた絵なのに「この画家さんの絵だ」とたしかに感じられたそのとき、これがオリジナリティなんだと思った。

オリジナリティというと、パッと見ただけで「この人の作品だ」と見分けられるようなものを思い浮かべがちだ。でも、たとえ全然違って見える作風にも共通する何かを感じたなら、オリジナリティはそこに宿っているのかもしれない。

そういえばしりあがり寿さんも、何かのインタビューで「いろんな作風でも自分の漫画ってもらえたらそれが個性だと思うから、わざといろんな作風で描いていた」というような話をしていた。

オリジナリティの生み出し方は、個性を出そうと同じ作風、同じやり方を繰り返すだけじゃない。手数を増やして、そこに共通点を見出すというか見出してもらうことを選ぶのだって断然ありだ。


追記
ちなみに、この日みてきたのは神田羊児さんという日本画家さんの作品展です!自然の景色や草花とじっくり向き合って描いてらっしゃるのが伝わってくる絵でした。

↑minneでしおりなどのアイテムも販売されているとのことで、よければ見てみてください!

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