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生きた証

参拝客で賑わう筑波山神社のメインストリートからひとつ隣にずれた道に行くと、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っていました。

澄み切った青空と優しい午前中の太陽の光の下、ひっそりと建つ小さな銅像。

幕末に攘夷実行の魁たらんとした志士、藤田小四郎の銅像です。


彼が幹部を務めていた天狗党は、今から155年前の1864年、この筑波山で挙兵しました。

天狗党についてはこちらのサイト様(https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4966)が簡潔に分かりやすく説明して下さっているので、ぜひご覧下さい。

天狗党党員たちの最期だけを簡潔にまとめますと、1865年1月に加賀藩に投降。幕府軍に引き渡されると真冬にも関わらず褌1枚で鰊(にしん)倉に押し込められ、食事は1日あたりおにぎり1つと湯水1杯という過酷な環境に晒されました。

そして最終的には、党員828人のうち353名が斬首という極刑に…。幕末史上最大の大虐殺です。

下の写真は、彼等が処刑された福井県敦賀市で撮ったものです。

藤田小四郎は幹部のため、第一回処刑日に刑が実行されました。

享年24歳。

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天狗党は大きなグループだったため、中には罪なき人々に乱暴狼藉を働く党員もいました。

そのため「先祖が天狗党に殺された」という人も少なくなく、今でも博物館などで大々的に展示をすることは憚られるそうです。

このような「天狗のことを語るのはタブー」のような風潮があるため、よほど幕末史を勉強している人でないと天狗党の名前を知らないのではないでしょうか。

かく言う私も、水戸出身の友人に教わるまで知りませんでした。

明治維新、旧幕瓦解から150年経ってもなお、傷跡は残っています。

高校時代、「歴史なんて過去のことを勉強してどうするの」と言っていたクラスメイトがいましたが、過去があってこその現在です。

天狗党の話を聞くと、歴史とは決して過去に完結したものではなく、今でも続いているということを実感します。

ですが新選組や奇兵隊などのように、天狗党も日本国を思っていた気持ちは同じはずです。

そんな彼らが命をかけて残した足跡が埋もれてしまうのは残念に思います。

激動の時代を駆け抜けた天狗党幹部、藤田小四郎の銅像が今、挙兵の場となった筑波山神社のそばで人知れず静かに茨城の街を見つめている姿を目の当たりにすると、彼のことをあまりよく知らないのにも関わらず涙が滲んできました。

冥土でゆっくり休んで、来世では幸せになってほしいものです。

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