見出し画像

パン屋日記 #44 やさしさの形

仕事中、休憩室の奥の倉庫から
補充用のドリンクを積み出していると

「iccaちゃん。これ持ってったげる」

と言って

休憩中のパートさんが、
ひょいと1箱抱えました。

えっ、林さんは休憩中だからいいんだよ、

と言っているそばから

タバコを吸いに来たジャムおじさんが、
黙って2箱持って出ていきました。

そこへ在庫を見に来た
後輩社員のこうめちゃんが

「iccaさん、これ持ってっときますね」

と言って、もう2箱

アリさんの行列のように、
みんなで運んでいってしまいました。

わたしはとうとう運ぶものがなくなり

みんなが運び出す時に、
ドアを開けて押さえておく係に
なってしまったのでした。



目の前でやさしくされた時は、
お礼が言えるのでまだ良いです。

さらに困るのは、
こっそりやさしくされることです。

朝一番で出勤すると、誰もいない店内に

工場から届いたパン粉やサンドイッチ、
冷凍惣菜などが

番重(ばんじゅう)に入って
うず高く積まれています。

ある日、ふと何か違和感を覚えました。

一番上にあるはずの
冷凍惣菜が入った番重が、

まったく別の低い場所に
下ろしてあるのです。

常温・冷蔵・冷凍の中では
冷凍物を最後に車に積むので、

荷下ろしをした時、本来なら冷凍惣菜は
一番上になるはずなのです。


やられた、と思いました。


重量のある冷凍惣菜を
高いところから下ろすのが大変だろうと

配送のおじちゃんが、
わざわざ低い場所に下ろしてくれていたのです。

目の前にいない相手を想像して
やさしくできるのは

すごいなあ、と思いました。



とある日の、昼休憩でのこと。

接客業に従事する人たちの間には、

「カップラーメンにお湯を注ぐと呼び出しがかかる」という

サービス業あるあるがあります。

その日も例にもれず、

わたしが休憩室で
ラーメンにちょうどお湯を注ぎ終わったところへ

店舗から「iccaさーん」と、

内線がかかってきました。

一緒に休憩していた事務のお姉さんに見送られて
泣く泣く休憩室を後にし、

カタをつけて戻ってみると


お湯を注いだカップラーメンの
麺とお湯が、

別々の容器に
分けられていました。


飲み物とおかずには、
ラップがかけてあります。

事務のお姉さんの機転です。

わたしのお昼ごはんは
奇跡的に一命を取りとめ、
おいしく食べることができました。

でも、お姉さんはもう、
とっくにいなくなっているのでした。



昼食を食べ終わり、
お皿やお箸をシンクで水につけて
ソファでごろごろしていると

バックヤードを掃除していた
アルバイトの福岡さんが

どこか照れたような笑顔で、

「お先に失礼します。おつかれさまです」

と言って休憩室を出ていきました。

「はーいおつかれさまー」と返事をし、

さて、わたしもそろそろ店に戻るかと
シンクの方へ向かうと


わたしが使った食器が全部
きれいに洗われ、干されていました。


(やられた!)


急いで後を追いかけましたが、
もう姿は見えません。


ありがとうも
やさしいねも 大好きも受け取らず

やさしさだけを置いて
スッとといなくなってしまう、

パン屋の人々なのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?