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パン屋日記 #26 クマ崎さんのお留守番

ある日、毎朝7時45分にやってくる
常連客のクマ崎さんが、
めずらしく弱気な顔で言いました。

「明日から、家族が旅行でおらんのんじゃ。
 自分じゃコーヒーも淹れれんのに、
 どうしょうか」

69歳にして
コーヒーの淹れ方もわからないというのは、
なかなかハイレベルな亭主関白です。

「お金も自分じゃ下ろしたことないけん、
 昨日まとめて下ろしてきてもろた」

もう、いやな予感しかしません。

『クマ崎さん。ご家族の方は、
 どれくらいお家を離れる予定ですか?』

「10日」

それは、大変。

こうして、

クマ崎さんの「初めてのお留守番withパン屋」が
幕を開けたのでした。

お留守番1日目。

クマ崎さんは、早くも不機嫌です。

「家でコーヒーが飲めん」

『そうですか。じゃあ、毎朝一日分、
 うちで飲み溜めしていかなきゃですね!』

1日目は、それでごまかせました。

2日目。


「コーヒーが飲めんけん、体調が悪い!」

そこまで言われたら、
放っておくわけにはいきません。

『クマ崎さん。ドリップじゃなくて、
 溶かせば飲める簡単なやつがありますから、
 それでしのぎませんか?』

「うーん」

『ミルクと砂糖は入れるんでしたっけ』

「ミルクだけ入れる」

『じゃあ、ミルクはおうちにありますね?』

「無い!」

無いわけ、ないのです。


ですが、場所がわからないなら仕方ありません。

コーヒー、ミルク、
砂糖と紙コップまでフルセットになった
コンビニのインスタントコーヒーに、

一抹の不安があったので、
作り方を手書きで添えて渡しました。

パッケージの裏の小さい文字は
クマ崎さんには見えにくいかもしれないので、

------------------
茶色:コーヒー
オレンジ:ミルク
白:砂糖
------------------

と、何色の袋に何が入っているのかも
書いておきました。

さて、そういうとき、
クマ崎さんはどうなるか。

なんにも言わずに、

「悪かったな」と
「ありがとう」の顔になります。

翌日、急に「やる」と言って
どこかのおみやげを買ってきたりもします。

わたし自身は、いくつになっても

「悪かったな」と「ありがとう」を
言える人でありたいとは思うのですが

それが言えない人の
「悪かったな」と「ありがとう」も

わかってあげられる人でいたいと
思うのでした。


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